御嶽山噴火から10年。あの瞬間、山頂部ではなにが起きていたのか

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2回目の爆発、漆黒の闇

口の中はじゃりじゃりで水分がなく、喉が張りつきそうだった。ザックを下ろし水やタオルを出すことさえ許されない。そんなことさえ命取りになるほど状況は緊迫していた。

噴火だと思い即座に行動したものの、こうした状況を受け入れることができず、何かの間違いだと思いたかった。何が起きているのか理解したくなかった。この状況を受け入れるのは死ぬことだった。目の前の恐怖に、身近過ぎる死に、すぐには順応できなかった。

このままだと死ぬ。その思いだけは強かった。

噴火から6分くらいだったと思う。12時少し前、冷たい新鮮な空気が吹き込んだ。ガスの臭いのない新鮮な空気だった。普通に息が吸えた。今でも覚えている。最初の噴石が落ち切ったのか、噴石が止んだ。視界もあった。

立ち上がり、隣の男性に「ここじゃやられる。もっといい場所を探そう」、そんなことを言ったと思う。一瞬だけ空高く青空が見えた。私は一ノ池方面の浮石だらけの急斜面を勢いよく走り出した。「こんな所を行くの?」そう後ろで聞こえたような気がする。

振り返ると、登山道を駆け上がって行く男性の後ろ姿が見えた。単純に上がるより下がる方が早いと思ったのと、すぐ下に大きな岩の塊が目に入った。瞬時の決断だった。30メートルほど下ると、大きな少し前傾した岩の下に不自然に空いた小さな穴を見つけた。

「もっと大きな穴がいいな」と思ったが、とりあえず「頭が守れればいいや」と思い直し、小さな穴に頭を突っ込んだ。

153センチの私が頑張っても、頭と背中の半分しか入らないそんな小さな穴だった。左足は折りたたみ、両腕は無理やりねじ込んだ。どう頑張っても腰と右足は入らなかった。背中にはザックがあった。

「もっといい場所を探そう」

そう言ってから15秒くらいである。小さな穴に頭を突っ込んですぐに、2回目の爆発があった。12時くらいだったはずである。辺りは真っ暗闇になる。目の前にかざした手のひらさえ見えない。多くの生存者が「漆黒の闇」と表現しているが、まさにその通りである。まったく見えない暗闇のなか、噴石が飛んでくる絶望的な音や鈍い爆発音も聞こえた。そして何も見えないが、得体の知れない何かがうごめいているように感じた。

視覚がないことは恐怖を増大させ、人間をさらに追い込む。しかし、私には大した想像力がなくてよかった。

(『ヤマケイ文庫 御嶽山噴火 
生還者の証言 増補版』より抜粋)

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著者 小川さゆり
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この記事に登場する山

長野県 / 御嶽山とその周辺

御嶽山・剣ヶ峰 標高 3,067m

 ♪木曽のなあ、仲乗りさん、木曽の御嶽山はなんじゃらほい、夏でも寒い、よいよいよい♪  哀調を帯びた木曽節に歌い込まれた御嶽山(御岳山)は、富士山、白山とともに信仰の山として知られている。現在でも夏には白衣の御岳講の人たちが、「六根清浄」を唱えながら大勢登っており、『信濃奇勝録』にも「信州一の大山なり、嶽の形大抵浅間に類して、清高これに過ぐ、毎年六月諸人潔斎して登る、福島より十里、全く富士山に登るが如し」と書いてある。  御嶽山黒沢口の登山道沿いには、「何々覚明」と刻まれた石柱が、所狭しと林立しているのが見られるが、江戸末期から明治初めにかけて、毎年何十万人も登ったといわれる御岳講の賑わいぶりが想像される。  この御嶽山は何回もの爆発を繰り返したコニーデ型の複式火山で、1979年(昭和54年)には突然、地獄谷に新しい噴火口を現出させ、日本中をびっくりさせている。また、91年、07年にもごく小規模な噴火をしている。  最高峰は3067mの中央火口丘、剣ヶ峰で、その周りを継子岳(ままこだけ 2859m)、摩利支天山(まりしてんやま 2959m)、継母岳(ままははだけ 2867m)などのピークが外輪山となって取り囲んでいる。  また、これらの峰々の間にはエメラルド色をした、一ノ池から五ノ池まで数えられる山上湖が散在している。なかでも二ノ池は標高2905m、日本で一番高い湖として知られている。これらの池を結んでの池巡りコースも考えられる。  登山コースは信州側から3本、飛騨側から1本の計4本がある。7合目の田ノ原までバスが上がる王滝口は歩行距離も短く、日帰りも可能なので最も登山者が多い。田ノ原から荒々しい地獄谷爆烈火口を眺めながら3時間強で剣ヶ峰に立てる。  御岳山で最も古く、信仰登山のメインルートである黒沢口も6合目までバスが入る。また御岳ロープウェイ・スキー場からロープウェイを利用すれば7合目まで上がることもできる。6合目から4時間30分で剣ヶ峰。  信州側第3のコースである開田(かいだ)口は、標高差も大きく、行程も長いので、開田高原散策と合わせて下山に利用した方がよかろう。西野から登るとなると距離も標高差も大きく、6時間30分で剣ガ峰。  飛騨側唯一の登山道で、標高1900mに湧く濁河(にごりご)温泉がベースとなる飛騨口は、原生林の中の静かな山旅を楽しめる。濁河温泉から5時間30分で剣ガ峰へ。  山頂からの展望は広大で、3つのアルプスや中部、関東一円の山々を見渡すことができる。また遠く加賀の白山も望まれ、日が落ちると名古屋の街の灯が美しい。  2014年(平成26年)9月27日にも噴火し、大きな被害を出したのは記憶に新しい。噴火直後に気象庁は入山を規制する「噴火警戒レベル3」を発表した。2022年7月28日現在、「噴火警戒レベル1(活火山であることに留意)」だが、引き続き火口から概ね500m程度の範囲で立ち入りが禁止されている。

プロフィール

小川さゆり(おがわ・さゆり)

南信州山岳ガイド協会所属の信州登山案内人、日本山岳ガイド協会認定ガイド。中央アルプス、南アルプスが映えるまち、長野県駒ヶ根市生まれ。スノーボードのトレーニングのため山に登り始める。景色もよく、達成感もあり、すぐに山を好きになる。バックカントリースキーに憧れはじめた25 歳のとき、友人が雪崩で命を落とす。山は楽しいだけではない、命と向き合うリスクを痛感する。「山で悲しい思いをしてほしくない」、そんな思いをもって、中央アルプスをメインにガイドしている。山以外では無類の猫好き。

Special Contents

特別インタビューやルポタージュなど、山と溪谷社からの特別コンテンツです。

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