噴火直後の御嶽山山頂付近。生き残るために彼女は走った
63人が犠牲となった御嶽山噴火から10年。頂上付近で被災しながらも生還した著者が、その決死の脱出行と教訓を綴り、その後の安全登山活動、御嶽山の防災への取り組みなどを追加した『ヤマケイ文庫 御嶽山噴火 生還者の証言 増補版』から、三度の噴火の直後の待避行動を抜粋して紹介しよう。
文=小川さゆり
必死の疾走
12時50分ころ、私のいたお鉢は不気味なくらい静かだった。
剣ヶ峰にのろしのような黒い雲がかかり、ゆらゆら揺れていた。気持ちの悪い雲だった。
私は、噴火が終わったとは思っていなかった。次の爆発までに「全身の隠れる岩を見つけたい」、ザックの雨蓋から手早くサングラスと手袋を取り出して身につけ、行動に移った。水も飲みたかったが、「隠れる岩を見つけてからでいいや」と思った。
「するべきこと」の優先順位は、次の噴火に備え全身が隠れる岩を探すことだった。
外輪の稜線に登山者が見えた。一ノ池の斜面では膝上おそらく50cmは火山灰が積もっていた。それは2、3mmの石の粒で、手ですくうとこぼれ落ちるサラサラのものだった。「黒い新雪」そのものだった。不思議な感覚だった。稜線まで80mくらい、岩場を両手を使いながら駆け上がると、大きな岩に張りつくように、男性2名、女性1名の登山者がいた。そして剣ヶ峰方向の岩陰から男性1人が来た。
ここで私を含め5人の登山者が生きていた。男性1人はボーッと座っていた。「地獄ですね」と声をかけると、感情のこもっていない声で「地獄だね」、そう返してくれた。
女性は痛いでも、怖いでもなく、足を投げ出し膝のあたりをさすって泣き叫んでいた。パッと見たところ足に大きな変形はなかった。ズボンに血がにじんでいる様子もなかった。横に立っていた男性が、「噴石が当たって脛すねが折れたみたい」と教えてくれた。
剣ヶ峰方向の岩陰から来た1人の男性は噴火直後、私の隣にいた男性だと思う。そうであってほしいと今でも思っている。
「隣にいた方ですよね?」
そう聞けばいいのだが、「違う」と言われるのが怖いので言い出せなかった。違うと言われれば、ここにいないということは、最初隣にいた男性は噴石を凌ぐことができなかったことを意味する。ただ顔は灰で真っ黒で目しか分からなかったが、帽子と服装で隣にいた男性だと思った。男性は「小屋に行きたい」と言っていた。私は小屋なら火口から離れた「二ノ池本館か新館がいい」とアドバイスした。
泣き叫ぶ女性に横で立っていた男性が、「生きて帰りたいのならしっかりしなさい」と、大きな声で檄を飛ばした。
あの恐怖である。泣き叫びたくなるのも分かる。
私は彼女の横に行き、彼女を強く抱き締めた。この先どうなるか私自身分からないが、「大丈夫、大丈夫。噴火は終わるから」そんなことを言った。他に思いつく言葉がなかった。自分にも言い聞かせるように少し大きな声で言った。「助かって」そう思いを込め、願いを込めて強く抱きしめた。
そしてそこから立ち去る前に、男性3人にケガはないか聞いた。3人それぞれが「ケガはしていない」と返してくれた。
この記事に登場する山
プロフィール
小川さゆり(おがわ・さゆり)
南信州山岳ガイド協会所属の信州登山案内人、日本山岳ガイド協会認定ガイド。中央アルプス、南アルプスが映えるまち、長野県駒ヶ根市生まれ。スノーボードのトレーニングのため山に登り始める。景色もよく、達成感もあり、すぐに山を好きになる。バックカントリースキーに憧れはじめた25 歳のとき、友人が雪崩で命を落とす。山は楽しいだけではない、命と向き合うリスクを痛感する。「山で悲しい思いをしてほしくない」、そんな思いをもって、中央アルプスをメインにガイドしている。山以外では無類の猫好き。
こちらの連載もおすすめ
編集部おすすめ記事

- 道具・装備
- はじめての登山装備
【初心者向け】チェーンスパイクの基礎知識。軽アイゼンとの違いは? 雪山にはどこまで使える?

- 道具・装備
「ただのインナーとは違う」圧倒的な温かさと品質! 冬の低山・雪山で大活躍の最強ベースレイヤー13選

- コースガイド
- 下山メシのよろこび
丹沢・シダンゴ山でのんびり低山歩き。昭和レトロな食堂で「ザクッ、じゅわー」な定食を味わう

- コースガイド
- 読者レポート
初冬の高尾山を独り占め。のんびり低山ハイクを楽しむ

- その他
山仲間にグルメを贈ろう! 2025年のおすすめプレゼント&ギフト5選

- その他