熊野御幸の道・熊野古道紀伊路②大阪府下の区間について

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熊野御幸(くまのごこう)とも呼ばれる熊野詣(くまのもうで)は平安時代中期、宇多(うだ)上皇によって始まったとされており、その後、白河上皇、鳥羽上皇など上皇たちによって毎年繰り返され、活況を呈することになる。紀伊路(きいじ)はこの熊野御幸の道として利用され、江戸時代には武士・農民をはじめ一般庶民による熊野詣でが盛んに行われ、「蟻の熊野詣」と形容されるほどにぎわった。

写真・文=児嶋弘幸、トップ写真=風情漂う山中宿の町並み

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大鳥大社から久米田
約12.7km・約3時間10分

大鳥大社からは、鳳本通(おおとりほんどおり)商店街を通り抜け、大阪府道30号と重複・交差・並行しながら進む。

〉大鳥大社
大鳥大社

ここで再び、紀伊路の概略地図を以下に示しておこう。

〉紀伊路大阪府下概略図
紀伊路大阪府下概略図

JR北信太(きたしのだ)駅の西側には、信太森葛葉稲荷(しのだのもりくずのはいなり)神社がある。安倍保名(あべのやすな)と白狐に化身した葛葉(くずは)姫との葛の葉伝説で知られており、この伝説に登場する葛葉姫と安倍保名の間に生まれた子が、のちの安倍晴明ともいわれている。

また信太森葛葉稲荷神社の東の丘陵地は、古くから信太の森と呼ばれた聖(ひじり)神社の境内地で、信太の森の鏡池は、安倍保名に助けられた白狐が水面に姿を映して、葛葉姫に変身した所と言い伝えられている。また、かの清少納言(せいしょうなごん)は『枕草子』で「森は信太の山」と記していることから、当時この周辺は大きな森をなしていたことがうかがえる。

〉聖神社一の鳥居
紀伊路沿いにある聖神社一の鳥居。聖神社はここから東へ約10分の距離にある

聖神社一の鳥居からは、信太の森の裾付近をJR阪和線とほぼ並行して通り抜け、平松王子跡を経て泉井上(いずみいのうえ)神社へ。泉井上神社は、和泉国の国名の起源とされる神社だ。

古道は府道30号と合流、柳田橋を渡る。南詰に「右小栗街道信達郷」の道標石が立っている。道標に従い右折、すぐ左の小栗街道へ。松尾川緑道を進むと小栗橋がかかっている。このあたりの古道には、土車に乗せられた小栗判官が通ったとされる小栗街道の名が残っている。小栗街道と熊野古道は必ずしも同一ルートとは限らないが、目的地としては熊野をめざしている道である。

さらに進み、JR久米田(くめだ)駅へ。駅の西裏付近には池田王子の旧跡があり、また駅の東側の久米田池一帯には久米田古墳群、久米田古戦場跡、久米田寺など、当地の古い歴史を伝える史跡が数多く残されている。

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プロフィール

児嶋弘幸(こじま・ひろゆき)

1953年和歌山県生まれ。20歳を過ぎた頃、山野の自然に魅了され、仲間と共にハイキングクラブを創立。春・夏・秋・冬のアルプスを経験後、ふるさとの山に傾注する。紀伊半島の山をライフワークとして、熊野古道・自然風景の写真撮影を行っている。 分県登山ガイド『和歌山県の山』『関西百名山地図帳』(山と溪谷社)、『山歩き安全マップ』(JTBパブリッシング)、山と高原地図『高野山・熊野古道』(昭文社)など多数あるほか、雑誌『山と溪谷』への寄稿も多い。2016年、大阪富士フォトサロンにて『悠久の熊野』写真展を開催。

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