熊野御幸の道・熊野古道紀伊路③矢田峠・汐見峠越えから海南へ

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熊野御幸(くまのごこう)とも呼ばれる熊野詣(くまのもうで)は平安時代中期、宇多(うだ)上皇によって始まったとされており、その後、白河上皇、鳥羽上皇など上皇たちによって毎年繰り返され、活況を呈することになる。紀伊路(きいじ)はこの熊野御幸の道として利用され、江戸時代には武士・農民をはじめ一般庶民による熊野詣でが盛んに行われ、「蟻の熊野詣」と形容されるほどにぎわった。

写真・文=児嶋弘幸、トップ写真=古道の雰囲気漂う矢田峠

目次

布施屋駅から矢田峠越えへ

前回は大阪府下から和歌山県側の紀ノ川南岸にあるJR和歌山線布施屋(ほしや)駅までの概略を説明したが、今回は布施屋駅をスタートし、矢田(やた)峠・汐見(しおみ)峠の2つの峠を越えてJR海南駅に至る区間を紹介しよう。

この区間は随所に案内標識、導き石、道標等が古道沿いに設置されており、ルート自体はわかりやすい。しかし、ほとんどが舗装された生活道で車道区間も多いので、車には充分注意したい。

〉熊野古道沿いに埋め込まれた導き石
熊野古道沿いに埋め込まれた導き石

布施屋駅から熊野古道の案内標識に従って、まずは川端(かわばた)王子跡へ。左手に高積山(たかつみやま)を眺めながら布施屋の集落を南進する。しばらくして立派な土塀が巡らされた旧中筋家(きゅうなかすじけ)住宅に着く。江戸末期の大庄屋跡で、中に一歩足を踏み入れると、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような感覚になる。時間が許せばぜひ立ち寄ってみよう。

〉旧中筋家住宅
旧中筋家住宅

すぐに県道につきあたり、左手の一角に和佐王子跡、その先に「通し矢日本一」の記録をうちたてた弓の名人、和佐大八郎(わさだいはちろう)の墓がある。県道を横切り、矢田峠に向かう。今回の区間では唯一古道らしい雰囲気があるところだ。矢田峠には、2mを超える徳本上人名号碑(とくほんしょうにんみょうごうひ)をはじめ、二、三の石地蔵が往時を偲ばせる。

〉矢田峠への道
矢田峠への道
〉矢田峠にある徳本上人名号碑
矢田峠にある徳本上人名号碑

矢田峠から右に下ると再び県道が合わさる。しばらく県道を進んだ後、斜め右の古道へ。平緒(ひらお)王子跡を経てわかやま電鉄貴志川(きしがわ)線の踏切を渡ると、口須佐(くちずさ)の変則四ツ辻に突き当る。かたわらに六地蔵が祭られていて、右が熊野古道だが、ここでは左に折れ、五十猛命(いそたけるのみこと)を祭る伊太祁曽(いたきそ)神社に立ち寄ろう。五十猛命は我が国に緑豊な環境を作った樹木の神様で、うっそうとした森の中に社殿が祭られている。

〉伊太祁曽神社の鳥居
伊太祁曽神社の鳥居
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プロフィール

児嶋弘幸(こじま・ひろゆき)

1953年和歌山県生まれ。20歳を過ぎた頃、山野の自然に魅了され、仲間と共にハイキングクラブを創立。春・夏・秋・冬のアルプスを経験後、ふるさとの山に傾注する。紀伊半島の山をライフワークとして、熊野古道・自然風景の写真撮影を行っている。 分県登山ガイド『和歌山県の山』『関西百名山地図帳』(山と溪谷社)、『山歩き安全マップ』(JTBパブリッシング)、山と高原地図『高野山・熊野古道』(昭文社)など多数あるほか、雑誌『山と溪谷』への寄稿も多い。2016年、大阪富士フォトサロンにて『悠久の熊野』写真展を開催。

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