熊野御幸の道・熊野古道紀伊路③矢田峠・汐見峠越えから海南へ

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熊野御幸(くまのごこう)とも呼ばれる熊野詣(くまのもうで)は平安時代中期、宇多(うだ)上皇によって始まったとされており、その後、白河上皇、鳥羽上皇など上皇たちによって毎年繰り返され、活況を呈することになる。紀伊路(きいじ)はこの熊野御幸の道として利用され、江戸時代には武士・農民をはじめ一般庶民による熊野詣でが盛んに行われ、「蟻の熊野詣」と形容されるほどにぎわった。

写真・文=児嶋弘幸、トップ写真=古道の雰囲気漂う矢田峠

目次

武内神社から汐見峠を越えて海南駅へ

参拝を済ませ、先ほどの変則四ツ辻を直進し、すぐ左へ。奈久智王子(なくちのおうじ)跡を経て阪和自動車のガードをくぐると、目の前に武内神社の森が見える。武内神社は、武内宿禰(たけうちのすくね)を祭る神社で、境内に武内宿禰誕生之井(たけうちのすくねたんじょうのい)が残されている。

〉武内神社
武内神社

宿禰は景行(けいこう)天皇に始まって仁徳(にんとく)天皇までの5代の天皇に仕えたとされる人物で、事実ならば300年以上の長寿ということになる。こうしたことから江戸時代には、宿禰の長寿にあやかり、紀州徳川家に子どもが生まれた際、ここ宿禰誕生之井を産湯として使用したという。武内宿禰の出自は不確かながら、長く天皇を補佐したとされる理想的な人物が投影されたのだろうか。ちなみに武内宿禰は、現在の私たちとってなじみが薄いが、明治から昭和の紙幣の肖像に使用された人物でもある。

左に阪和自動車道、右に新池、大池を見ながら県道を南進する。県道が左に大きくカーブするところで直進し、整然と区画された多田集落に入る。往時の面影を感じながら集落を南下、ふたたび県道が合流すると松坂王子跡に着く。

〉松坂王子跡
松坂王子跡

蜘蛛(くも)池畔に沿って汐見峠を越える。蜘蛛池は神武東征の戦いで、土地の豪族、いわゆる土蜘蛛を討ち取ったことがその名の由来とされる。

汐見峠を下り四ツ辻を直進、日方川(ひかたがわ)沿いの道を進む。しばらくして春日神社参道を少し登ると、春日山中腹に松代王子跡が祭られている。春日山は中世の紀伊国守護大名の大野城の支城があった所で、現在は「春日山城跡」の石碑が立つのみである。

〉松代王子跡
松代王子跡

再び四ツ辻の県道を横切ると住宅地の一角に石仏が集められた菩提房王子跡がある。その先古道はすぐに西に向きを変え、やがて熊野一の鳥居跡の三差路に着く。ここを右に折れ、JR紀勢本線の高架下沿いの車道を進んで、JR海南駅へと向かう。

MAP&DATA

高低図
最適日数:日帰り
コースタイム: 4時間28分
行程:布施屋駅・・・中筋家住宅・・・和佐王子跡・・・和佐大八郎の墓・・・和佐王子跡・・・矢田峠・・・平尾王子跡・・・六地蔵・・・伊太祁曽神社・・・六地蔵・・・奈久智王子跡・・・武内神社・・・四つ石地蔵・・・松坂王子跡・・・汐見峠・・・春日神社分岐・・・松代王子跡・・・海南駅分岐・・・菩提房王子跡・・・熊野一の鳥居跡・・・海南駅
総歩行距離:約16,217m
累積標高差:上り 約266m 下り 約271m
コース定数:16
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プロフィール

児嶋弘幸(こじま・ひろゆき)

1953年和歌山県生まれ。20歳を過ぎた頃、山野の自然に魅了され、仲間と共にハイキングクラブを創立。春・夏・秋・冬のアルプスを経験後、ふるさとの山に傾注する。紀伊半島の山をライフワークとして、熊野古道・自然風景の写真撮影を行っている。 分県登山ガイド『和歌山県の山』『関西百名山地図帳』(山と溪谷社)、『山歩き安全マップ』(JTBパブリッシング)、山と高原地図『高野山・熊野古道』(昭文社)など多数あるほか、雑誌『山と溪谷』への寄稿も多い。2016年、大阪富士フォトサロンにて『悠久の熊野』写真展を開催。

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