70年前のガイドブックに紹介された、比企丘陵の古ハイキング道を探して(埼玉県)
休日にどこかへ行きたいけれど、1泊でいくほど時間もない。あるいは、休日にうっかり寝坊したけど、外は晴れていて家でただのんびりするのはもったいない。そんな日には、半日で楽しめる徒歩旅行がおすすめ。今回は古いハイキングガイドのコースをたどって、早春の比企(ひき)丘陵を徒歩旅行。70年のタイムトラベルの書き下ろし新作をどうぞ。
文・写真=佐藤徹也
失われたハイキングコースを歩く
古いハイキングガイドを手に入れた。書名は『一日二日山旅案内』(以下「山旅案内」)。奥付を確認すると発行されたのは1956(昭和31)年。つまり今から70年近くも昔のものだ。版元は山と溪谷社。
本文で紹介されているのは、書名にもあるとおり東京から一日二日圏内の山々だ。奥多摩や奥武蔵、丹沢といった近場に始まり、奥秩父や八ヶ岳、日光、谷川岳(たにがわだけ)界隈まで収録されている。泊まりがけならもっと遠くまで足を延ばせそうだが、まだ新幹線がなかった当時はこれくらいが限度だったのだろう。
紹介されている山は今日とさほど変化はない。新しい登山道や林道が開拓されたり、それに伴ってそれまでの道が廃道になることはあっても、山自体が消滅することは滅多にない。
そんななかに、あまり聞き覚えのない山名を発見してしまった。奥武蔵の章に分類されている「大立山・二ノ宮山と福田鉱泉」というのがそれだ。こりゃいったいどこだとページをめくってみると、起点は東武東上線の武蔵嵐山(むさしらんざん)駅。武蔵嵐山駅から向かう山といえば駅から西へ、嵐山渓谷やその先の物見山(ものみやま)や仙元山(せんげんやま)といった外秩父の前衛だろうか。
しかし掲載されている概念図によると、紹介している山へは駅から北へ向かっている。はて。そんな方角に山なんてあったか。現行の山と高原地図『奥武蔵・秩父』でも、その方角はエリア外に見切れてしまっている。
「大立山・二ノ宮山と福田鉱泉」本文の冒頭には、「『鬼の金棒』や森や梢の影から突然顔を出す幾つかの湖に、暫し現実を忘れ、夢想と思索の庭をさまよう比企の低山地帯の抒情詩的なコースで、晩秋から早春のころにふさわしい」とある。なんだかおもしろそうだし、季節もピッタリだ。
とはいえ概念図だけでコースを同定するのは難しいので、まずは当時の国土地理院地形図を引っ張ってきて地名を照合。さらに現代の地形図とそれを比較して、なるべく当時に近いコースを描きだしていく。あとはこれをなぞって現地を踏査するだけだ。
かくして70年の時を経て、失われたハイキングコースを巡る徒歩旅行が始まった。
武蔵嵐山駅で下車する。山旅案内には「駅前の嵐山鉱泉の案内にしたがって……」と書かれているが、もはやそんな案内はない。地形図にトレースしたコースをたどり、かつて嵐山温泉があったとおぼしき場所まで行ってみたが、そこには住宅街が広がるだけだ。
そこから少し行ったところにあるのが鬼鎮(きぢん)神社。全国でも珍しい鬼を祀った神社だ。山旅案内の冒頭にあった「鬼の金棒」というのは、この神社の奉納物のこと。ここでは大願成就のあかつきには金棒を奉納するしきたりがあるのだ。この神社については拙著『完本 東京発半日徒歩旅行』でも紹介しているので、興味のある方はそちらも参照してみていただきたい。
ちなみにこちらの宮司さんに例の嵐山鉱泉について尋ねてみると、昭和30年代にはなくなったのではなかろうかとのこと。山旅案内が刊行されて、ほどなく廃業してしまったようだ。
鬼鎮神社を過ぎて市野川を渡ると、その先には小さな小さな山が見える。標高にして80mほどだろうか。山旅案内の概念図には御堂山という山名のみ記されているが、現在の地形図にその表記はない。
この山を半周ほど回りこむようにしてさらに北へ。山旅案内では「ここより山径に入る」とあるが、今、目の前を横断しているのは関越自動車道だ。しかしそれをアンダーパスで抜けてみたところ、そこにはのんびりとした里山の風景が広がっていた。
舗装こそされてはいるものの、右手には田んぼ、左手には雑木林、そしてときおり溜め池がいくつか姿を現す。山旅案内で「湖」と称しているのはこれらの溜め池のことだろう。
この地方は昔から水に恵まれず、そのため雨水に頼った溜め池が多く作られてきたそうだ。一説によればその起源は古墳時代にまでさかのぼるといわれ、今日では「日本農業遺産」にも指定されている。
ひっそりとたたずむその姿はなかなか風情があるが、ゴミの不法投棄や安全面、外来魚の違法放流といった問題のせいか、多くが柵で囲われていて近づきがたいのが残念だ。
道はこの先にある「おおむらさきゴルフ倶楽部」の縁をなぞるように進み、やがて両頭庵沼(りょうとうあんぬま)と呼ばれる溜め池の脇から標高を上げていくと、そこがこの日最初の山である大立山だった。標高は113m。山頂は竹林に覆われており、その狭間に小さな石祠が祀られていた。山頂への道は意外と整備されていたが、それは山腹にいくつかあったお墓をお参りするための便宜かもしれない。
ここまでは当時も今と同じような道筋なので、先のゴルフ場ができたことでコースが大きく変わったわけでもないようだ。ちなみにおおむらさきゴルフ倶楽部の開場は1995(平成7)年とのことなので、それほど昔のことではない。
大立山からは二ノ宮山へ。山旅案内によると山頂からはそのまま二ノ宮山方面へ下る道があったようだが、そこはゴルフコースの一部になってしまっているようで抜けられない。もと来た道を戻り、二ノ宮山方面に延びる用水路沿いの車道をたどることにする。この道もかつては細い土道だったようだ。
しばらく歩くと前方に二ノ宮山が見えてきた。山頂には1994(平成6)年に展望塔が建てられており、それがいい目印になっている。そしてその足元にはまた溜め池。
ここは管理釣り場として利用されているようで、何人かの太公望が釣り糸を垂らしている。みんな椅子に座っているので、てっきりヘラブナ釣りかと思ったが、営業案内を見ると対象魚はニジマスやイワナといったマス類だ。みんなルアーを盛んに投げている。今の季節はともかく水温が上がる夏場に渓流魚たちは大丈夫なんだろうかと、よけいな心配をしてしまう。
管理釣り場の向かいから延びる登山道をたどれば二ノ宮山の山頂はすぐだ。先ほどの大立山と違い、こちらの山頂からは展望が抜群。さらに展望塔に上がれば東の筑波山(つくばさん)、西の奥秩父、そして北には日光連山から赤城山(あかぎやま)、その先には雪をびっちりとまとった谷川連峰までが一望だ。たかだか標高131mからのこの絶景に、なんだかちょっと得した気分になる。
二ノ宮山からは滑川(なめかわ)を渡ってさらに北上、最後の高根山(たかねやま)をめざす。この先、山旅案内では丘陵を抜け、溜め池をかすめつつ進んでいくが、残念ながら現在そこには「高根カントリー倶楽部」というゴルフ場が広がっている。広がってはいるのだが、地形図を確認するとそのど真ん中を堂々と車道が抜けているではないか。
いったいこれはどういうことか。若干不安を感じつつも現地に着いてみれば、なんと本当にゴルフ場をぶった切るような形で片道一車線程度の車道が延びている。「ゴルフカート・プレーヤー横断あり」という注意標識が立っているので、それは逆をいえば一般人がここを通ってかまわないということだろう。さらに交通誘導員らしき人も常駐している。おそらくはプレーヤーがここを横断するときには注意を喚起したりするのだろう。
こちらのゴルフコースが開場したのは1962(昭和37)年と、ずいぶん歴史がある。もしかしたら開場にあたっては地域住民の生活道が分断されてしまわないように慮ったのかもしれない。
そんなことを思ったのは、最後の高根山に登ったときも似たような配慮を感じたからだ。高根山に向かうには、県道からゴルフコース専用のような道を入っていく。左右にはグリーンや池が点在し、まるで自分がゴルフコースに迷いこんでしまったかのよう。そんな場違い感を覚えつつも先へ進んでいけば、高根山の山頂はクラブハウスの真後ろに位置していた。山頂には石祠と「高根山105m」と書かれた小さな山名標、そして旧字で彫られた古い三等三角点。あくまでも想像ではあるが、このゴルフコース建設にあたっては先ほどの道だけでなく、一般人がこの山頂に往来することも担保されたのではないか。
このゴルフクラブのホームページによると、高根山山頂の石祠は火伏の神を祀ったもので、毎年4月には祭礼が行われ、クラブも酒や供物を供えているそうだ。
これにて70年前のハイキングコースを無事踏破。残念ながら当時のままの道筋をというわけにはいかなかったが、その長い年月にこの地に起きたさまざまな変遷とふれあう旅ともなった。
ちなみに山旅案内の表題にもあった福田鉱泉はといえば、こちらは高根山からしばし県道を戻ったところに位置する。残念ながら鉱泉自体すでに廃業してしまったが、「海族鮮 山忠」という飲食店として今も同地で営業を続けているようだ。
(2025年1月探訪)
DATA
スポット情報:
- 鬼鎮神社=比企郡嵐山町大字川島1898。TEL0493-62-2131
- 二ノ宮山展望塔=比企郡滑川町大字伊古
- 海族鮮 山忠=比企郡滑川町福田3463-1。TEL0493-56-4706。11時30分〜15時、17時〜22時(変更あり)。火水休(祝日は営業)

ヤマケイ新書 完本 東京発半日徒歩旅行
| 著 | 佐藤徹也 |
|---|---|
| 発行 | 山と溪谷社 |
| 価格 | 1,650円(税込) |
プロフィール
佐藤徹也(さとう・てつや)
アウトドア系旅ライター。徒歩旅行家。国内外を問わず徒歩を手段にした旅を続け、サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼路中「ポルトガル人の道」「ル・ピュイの道」を踏破。近年はアイスランドやノルウェイなど北欧のクラシック・トレイルを歩くほか、地形図をにらみながら国内近郊の徒歩旅スポットも開拓中。著書『東京発 半日徒歩旅行』シリーズ(ヤマケイ新書)は京阪神版、名古屋版など計5冊を数える。最新刊は『完本 東京発半日徒歩旅行』(ヤマケイ新書)。
半日徒歩旅行のすすめ
休日にどこかへ行きたいけれど、1泊でいくほど時間もない。休日にうっかり寝坊したけど、外は晴れていて家でただのんびりするのはもったいない。そこで、半日徒歩旅行。休日に、歩いて、見て、知って、ちょっぴり心がリッチになるプチ旅行のすすめ。
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