【書評】新たなる発見! 水木しげると“山怪”『水木しげるの山』
評者=田中康弘
少年漫画週刊誌の黎明期に子ども時代を過ごした人にとって、水木しげるの存在感は別格だ。忘れられない画風とストーリー、そしてキャラクターの濃さは群を抜いている。もちろん、私もそんな水木作品に魅せられた子どもの一人だった(ちなみに学生時代のあだ名は鬼太郎)。
長年、私は日本各地の山間地で山人が経験した不思議な出来事を集めてきた。民話のようであり、怪談のようであり、奇妙でおもしろい摩訶不思議な話の数々を“山怪”と名付けたのである。
今回あらためて水木作品を読み返してみると、作中に山怪があふれていることに気が付いた(大変恐れ多いが)。たとえば山の中で「おーい」と声がする呼子は山人にとっては普通の現象で、時には自分の名前まで呼ばれる場合がある。切ってはいけない木や動かしてはならない石の存在、神隠しや隠れ里での体験も共通項だ。また天狗や河童、狐、狸がいろいろと人を驚かすのも定番の話である。山で暮らす人にとっての当たり前が、水木作品にはあふれているのだ。それらを多く水木が描いてきたのはなぜなのだろうか。
水木の故郷は鳥取県境港市で日本でも有数の漁港である。そこで幼少期に「のんのんばあ」の薫陶を受けたことが水木の怪異出発点だ。掲載されているのんのんばあは、いで立ちからするといわゆる地域の神様らしい。法印様、法者様、ゴミソ、モノシリ、拝み屋とさまざまな地域名で呼ばれる能力者である。水木は子ども心に不思議な世界を教えてくれた、のんのんばあを特別な存在として認識したのだろう。
水木の描く死生観は曖昧模糊としている。幽霊なのに死んでしまうとか、生者は入れないはずなのにするすると穴から出入りするとか、境界が滲んでいるのだ。白でも黒でもなくグレーでもない。そのすべてが同時に存在している。水木ワールドはかなり不思議な空間なのだ。そして、なにより卓越したユーモアのセンスが作品に旨味を加えている。これも山怪と非常に似ているのだ。はっきりとは見えないし聞こえないが、なにかそこに存在する。そんなあちらとこちらの境界が曖昧な所に入り込んだ山人が経験する不思議な出来事は、水木作品そのものではないか。
古の山人は、長年怪異と共存してきた。いや、そうせざるを得なかったのである。今は生活スタイルが変化して怪異と遭遇する人が減り、平地人との差があまりないようにも思える。しかし、山には昔と変わらぬなにかが潜んでいるのだ。それを我々に強烈な印象で提示するのがこの本なのである。水木作品はエンタメであり資料であり、なにより民俗学。我々のDNAには間違いなく水木作品と共鳴する部分があるのだ。

水木しげるの山
| 著 | 水木しげる |
|---|---|
| 発行 | 山と溪谷社 |
| 価格 | 1,540円(税込) |
水木しげる
1922年生まれ。43年に召集され、第二次世界大戦下のラバウルに出征、過酷な戦争体験を積む。帰国後に紙芝居作家となり、貸本屋向け単行本「ロケットマン」で漫画家デビュー。少年誌で「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童の三平」などヒット作品を生み出し、妖怪漫画の第一人者となる。2015年没。
評者
田中康弘
1959年生まれ。カメラマン、ノンフィクション作家。著書に各地の猟師や山で働き暮らす人々から聞いた奇妙で恐ろしい体験談をまとめた『山怪』シリーズ(山と溪谷社)ほか。
(山と溪谷2025年4月号より転載)
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