【書評】紀行文に加え多岐にわたるチベット学を凝縮『チベット紀行 トランスヒマラヤを巡る』
評者=根深 誠
チベットに憧れを抱く山好きは多いに違いない。私もその一人だった。私の場合、その憧れはヒマラヤとセットになっていて切り離しては語れない。本書でも、ヒマラヤで体験した憧れが旅の動機になっている。
「1960~70年代にヒマラヤ山脈南麓を旅した人々にとって、当時、竹のカーテンでしっかり閉じられていたヒマラヤ山脈背後のチベット高原を訪れることは憧憬ともいえる想いであった。今回のチベット高原の中心域を一周する旅はその夢の実現である」
引用文にある「竹のカーテンで閉じられていた」チベットは文化大革命の時代であり、大勢のチベット難民が命がけで、ヒマラヤの氷雪嶺を越えて南側の温暖なネパールやインドに逃れてきていた。
当時、ヒマラヤ山中の村に滞在していた私は、日々、逃れくるチベット難民を目の当たりにし、夜は電気の通っていない村人の家で畜糞を燃やして暖をとり、地酒を酌み交わしながら歌を歌い、寝食を共にすることでさまざまな知識がごく自然に身についた。
そんな知識の一つに、チベットは観音菩薩のいるところで、ダライ・ラマ法王はその化身なのだ、との伝えがあった。これを聞いて、ますますチベットに行きたくなったけれど、当時は私が滞在していた村の先にあるジョムソンという村までしか行けなかった。ジョムソンはネパール名だが英語で書くとJomsom。チベット名だとDzong Sambaというらしい。これも現地住民から得た知識の一つだ。
その後、ヒマラヤ登山を繰り返しながら何度となく訪れたチベットは、標高が高く酸素濃度が希薄な土地柄なので高度障害には注意を要する。本書にもあるように、聖都ラサの高度が3658m。富士山に近い高さだ。本書の調査隊がたどった、チベット高原を右回りに周回するコースは高い地点で5000mを超えている。
そこには大空と大地が接する、日本では味わうことのできない広大無辺な風景がある。遥か地平にヒマラヤの氷雪嶺を望み、山や峠、河や草原、そして湖、岩石砂漠地帯などが圧倒的な迫力で広がっている。各種野生鳥獣も棲息し、拝観すべき仏教寺院も数多い。
かつてマニ車を手に持ち回しながら真言をつぶやき、街を歩いていた人々も、今はマニ車に代わってスマホを手にしている。社会は近代化され、各地に宿泊施設も完備し、ハイウェイを利用して手短に旅行が愉しめる。
本書は執筆者各人が、その道に造詣の深いエキスパートで、内容的にもわかりやすいように各種コラムや図表が配置され、従来の旅行記やガイドブックとは一味違った趣を呈している。機会があれば、この一冊を手に同じコースをたどってみたらどうか。有意義な旅が愉しめるかもしれない。

チベット紀行
トランスヒマラヤを巡る
| 編著 | 北大山の会チベット調査隊 |
|---|---|
| 発行 | いりす |
| 価格 | 3,850円(税込) |
北大山の会チベット調査隊
ヒマラヤ登山や学術調査を通して、チベットに思いを馳せた面々が、夢が叶ってチベット高原を踏査。その隊員や関係者が本書の著者陣だ。AACH(北大山岳部・北大山の会)、AACK(京都大学学士山岳会)、エベレストに登頂した登山家、ジャーナリストである。地球物理、地質、植物、工学など、各自の専門分野を執筆した。
評者
根深 誠
1947年生まれ。明治大学山岳部OB。日本人僧侶・河口慧海のチベット潜入経路をたどった紀行文『遥かなるチベット』(中央公論新社)で第4回JTB紀行文学大賞を受賞。
(山と溪谷2025年5月号より転載)
登る前にも後にも読みたい「山の本」
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