【インタビュー】人気シリーズ『山怪』最終巻刊行。田中康弘が語る、山怪と山人を追った10年の取材の軌跡
山怪シリーズ10周年にして、第5弾となる『山怪 青』を上梓した田中康弘さん。今作が“ラスト山怪”となるその訳や、フィールドで培った取材力など貴重なお話をうかがいました。
文=成瀬魚交、写真=山と溪谷オンライン
「山怪」はその地域で生きるために欠かせないもの
――まず、「山怪」を執筆するに至った経緯を教えていただけますか。
もともとカメラマンで、いろいろな現場に撮影に行っていました。大きなきっかけとなったのはマタギ――狩猟関係の方に取材したときですね。秋田県の阿仁マタギの方々の取材を通して、山の世界に入るようになりました。東京から車を飛ばして向かってもだいたい8時間くらいかかるんですが、もう30年以上の付き合いがあります。
私の生まれは長崎県の佐世保で、海ばかりで山がない。雪も降らないところなので、秋田の山間部とは気候や言葉、食生活などなにもかもが違うんです。さらにクマを狩猟したりするマタギって、普通の人は全然縁がなくて、それがとてもおもしろくなって、しょっちゅう行ってはマタギの方と深く山に入っていました。
足しげく通っているうちに狩猟組というような……彼らの仲間に入れてもらって、現地で泊まりながら何時間も酒を飲む、というような夜を何度も過ごしました。そういう宴会の場っていうのはただ単にわーってお酒を飲むだけじゃないんですね。いろいろな人が集まって会話をする場所でもある。そのときに出てくる話というのが、日常の他愛のないことなのだけれど、とてもおもしろい。芸人ではないし、特に意識はしていないんだろうけど、人がおもしろいなって思ってくれるような工夫があるんですね。
そうした話のなかに、山で起きた不思議な話が含まれていたんです。『山怪』で書いたような、山でこんな不思議な光を見たとか、キツネにだまされて道に迷ったなんて話がどんどん出てくる。
こうした話って、宴会でも出てくるんだけど、家庭のなかでも話されていたものなんですね。昔、テレビのない時代は家のなかにいても、話をするしかない。寒くて雪に閉ざされていた冬の間なんかは家族が囲炉裏に集まって、囲炉裏の火のほかには照明器具もないような暗い中でおじいちゃんやおばあちゃんの話をひたすら聞いたんです。だけどもそう毎回話題になるような新鮮なことってなかなか起きないわけで、去年の話だったり、「うちのお父さんが……」「うちのじいちゃんが……」なんて昔の話をする。それが何度も何度も繰り返されていくと、山で不思議な光を見た話やキツネにだまされた話になっていく。そうした話が、本人の体験談ではないけれども、山人の宴会でも語られていたわけですね。
何年もずっと宴会に参加していると、「絶対去年と同じ話なんだよなぁ……。でも、前よりおもしろくなってるなぁ」なんて思う話が出てくるんです。同じ話なんだけど、どこかブラッシュアップされている。
たとえば、もともとは山のなかで大きなヘビを見た、というだけの話だったのが、いつの間にかヘビに追いかけられたとか、それが車の前に出てきて踏んだら車が跳ねたとか、そのあと高熱が出たとか、いろいろな要素が加わっていくんですね。
こうやって、ひとつのエピソードだけだったものが百年単位で何十人、何百人の口の端に上っているうちに壮大なストーリーになっていく。ヘビの話も、もしかしたらいずれは「村の誰それがヘビに魅入られて、ヘビの嫁になった」なんて民話になっていくかもしれない。
こうした山怪のエピソードが、阿仁だけじゃなくて全国の山間地にもあるんじゃないのかなと思い、最初は主に狩猟関係者の方にお話をうかがっていったのが、執筆を始めるきっかけです。すると、いろいろなおもしろい話が集まったので、これはほかにも山で働いている人たちに話を聞いたら一定数は集まっていくはずだ、という確信をもって全国を回りはじめました。
――「山人」を中心に取材をしたのはなぜでしょうか。
私の場合は、やはり山に日常的に入って働いている「山人」から話を聞くのがベースになっています。狩猟もそうですが、山人は山に入る理由がはっきりしています。キノコ採りや山菜採りの人たちもですが、食べ物を直接的に得るために、季節のリズムに沿って山に入っていく。私は釣りくらいしかやったことがなかったから、食を自分たちの手でまかなうというのがすごく興味深いと思いました。
地元の人たちにとっては、山はいわばストックヤードなんですね。家の裏にある倉庫にしまいこんだ日用品を持ってくるみたいに、カチャって開けて手を突っこんでみれば食べ物がそこにある。けれどもそれを得るためには、子どものときから親や祖先から伝え聞いたことによって受け継いできた、危険を見極める能力、山の恵みを取ってくる力が必要です。そういった山人の能力といいますか、一朝一夕には得ることのできない力は重要なものです。
山怪もまた、こうした重要なもののひとつかもしれません。壮大な昔話の大元をたどれば、小さな種のようなエピソードだったかもしれない。しかし、この手の小さな種はほとんど意識されることがなく、もちろん記録にも残っていないので、そのままにしていればただ消えるにまかせるだけになります。
だけど、これも山の中で起きたことを伝え聞いた経験談のひとつでもあります。どこに食べ物があるかとか、水があるかという、山人の受け継いだ力と同じくらい重要な意味がそこにはあるのではないか、その地域で生きるうえで食べ物や水と同じように欠かせないものなのではないか。そう思ったので、私はそれを記録しようとしました。
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