巨大なマニ壁のあるゲミ、そして、グランドキャニオンのようなダークマーを経て、ツァーランへ

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今から100年以上も前に、標高5000m以上あるヒマラヤ奥地の峠をいくつもこえた僧侶、河口慧海。その足跡を辿って、稲葉 香さんらが歩いた2016年の記録。シャンボチェからスタートし、河口慧海が10ヶ月を過ごしたというツァーランに向けて歩く。

 


いよいよ慧海が10ヶ月滞在していた村、ツァーランに辿り着く日だ。慧海は、サマルから柳の樹の繁るゲリンを通り過ぎてゲミで一泊している。その時、ゲリンには、別に変わったものはないと書かれていて、この辺りに住んでいるのはチベット人ばかりで、ネパール人はいないと言っている。屋根の隅々には真言が書かれた旗=タルチョが立ててあり、慧海にはすでに見慣れた光景になっていたようだ。そして、その村を通りすぎて、北へ北へ雪山を進んで行くと、ちょうど日が暮れて、その時に一句書い残している。

“ 行き暮れて月に宿らむ雪山の 淋しき空に杜鵑啼く ”

慧海がツァーランに到着したのは5月、残雪の時期だった。

そして翌日、北東の峠を越え、眼下にツァーランを見て、ゆるい坂を降り、大きな魔除けの塔門を潜って村に入った。

私達は、前日にランチュン・チョルテンの巡礼地を経由して少し先まで来ていたので、慧海と同じくゲリンは通りすぎる。そして、ゲミではランチだけして、慧海が越えたであろう北東の峠を越えてツァーランを目指す計画だ。



朝一、寒いと感じたので手袋を着け雨具の下を穿いて、7時にスタート! ゲリンを見ながらアップダウンの繰り返してタマガオンを通過。ちょうどゲリンの村の蕎麦の畑がピンク色に染まっていた。さらに、大麦の黄色、そして緑がパッチワークの絨毯のようで美しく、荒涼とした山の中で一際目立つ。


タマガオンにて。バター茶を作っている村人


大きな仏塔の真横を通り、ジャイテを通過して、ニイ・ラ(峠)に到着。天気は良いが、雲が多く、ニルギリや、アンナプルナの展望は見えなかったが、峠ではメンバー全員で記念撮影をした。

下りきると車道に出て、遠くに独特な雰囲気の山容が現れる。ダークマーだ。それは青白い岩壁と、赤い水平に走る断層、そして侵食した縦皺で、その模様がカッコよく、目を奪われる。

この車道は、ここ数年のうちに作られた。慧海は、ゲリンの村の中を通過していると思われるのでここは通っていないだろう、そしてダークマーのことにも触れていない。


ゲミ・ラ(峠)に到着すると、美しい畑が間近に見えてきた



村に入ると南国のような花が勢いよく咲いていて、暫し休憩、ランチタイムだ。



ゲミと言えば、池澤夏樹氏の「すばらしい新世界」(中公文庫)の小説に出てくる場所だ。私は、小説になる前に、たまたま読売新聞の朝刊のコラムで読んでいた。1999年のことだ。独特な世界観で凄く気に入っていたので、毎日楽しみに読んでいた。実際、私が初めてムスタンに来たのがその15年後の2014年。現場に来て、まさにあの本の中の世界だと納得した。


蕎麦の花は、ピークに達していてとても綺麗だった


ここには、色んなタイプの仏塔や、門があり、立派なゴンパもある。とても平和な雰囲気がするのだが、この村は、1960年代にはチベットゲリラの為の補給基地になっていたという。

当時の冷戦構造の中で、中国に占領されたチベットの解放を目指すゲリラ部隊がアメリカのCIAの手によって組織され、アメリカやインドで訓練を受けた後、ムスタンに投入された。

その主力は勇敢なことで知られる東チベットのカムパ族だった。彼らは各地に基地を作り、北のチベットに出撃したという歴史がある。(引用:ムスタン曼荼羅の旅 奥山直司 中央公論新社)



ゲミには有名はメンダン(マニの壁)がある。このメンダンの長さは、約300mもあってネパール一と言われている。石と粘土で築かれた壁に、チベット文字、ランチャ文字(カトマンズ盆地のネワール族が用いいるインド系の文字)で書かれた漢音の六字真言と浅浮彫りした自然石が何千と貼り付けてあり、それが北の峠に向かってうねうねと伸びている様は、まるで大蛇が谷を這い登ろうとしているようだ。



この壁には言い伝えがあって、仏教伝来以前、ムスタンは一人の強大な魔女によって支配されていた、この谷にやってきたパドマサンヴァバ(注1)は、神道力によってこの魔女を打ち破り、その体をバラバラに引き裂いた。彼女の心臓は、現在のローゲカル寺がある場所に落ち、地中深く埋まった。肺はゲミを見下ろす断崖に落ちた。この崖が血のように赤いのはその為である。肝臓はテタンの裏山に落ちた。そして腸はこの場所に落ちた。長大なメンダンはその腸を表しているといい、魔女が調伏されると、ムスタンは仏教のパラダイスに変わったというのだ。(引用:ムスタン曼荼羅の旅 奥山直司 中央公論新社)

この壁を見ながら歩いていくと、次にダークマーの全貌が見えてくる。それは、まるでグランドキャニオンのようだ。昔読んだネィティブアメリカンの本で、ホピ族の聖地を掘っていくと、チベット族の聖地に出ると書いていたことを思い出し、ここに出てくるのではと私は思った。

そして最後の峠、ツァーラン・ラを登りきると、石が綺麗に積み上げられていた。そこからは、なだらかに下っていき、いよいよツァーランだ。慧海が潜った大きな魔除けの塔門が見えた。



ようやくツァーランに着いた。私にとってはツァーランは2回目、確認したいことがあった。

(注1):パドマサンヴァバ = チベットに密教をもたらした高僧で、チベット仏教ニンマ派の創始者

 

稲葉香さんの「ドルポ越冬プロジェクト」、クラウドファンディングでサポーター募集

過去4回、ドルポを旅した稲葉さんだが、厳冬期のドルポは見たことがない。氷点下20~30℃にもなるドルポで、現地の人たちとともに、ひと冬を過ごしたい! この「ドルポ越冬プロジェクト」では、クラウドファンディングでサポーターを募集中! 

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稲葉香さんが自費出版で2冊の本を出版

『Mustang and Dolpo Expedition 2016 河口慧海の足跡を追う。ムスタン&ドルポ500キロ踏破』

(46ページ・写真付き) 1500円(※完売)

2016年に河口慧海の足跡を忠実に辿り、慧海が越境したであろう峠クン・ラまで歩き、国境からは、アッパードルポからロードルポをできるだけ村を経由して横断し約60日間で500km以上を歩いた時の報告書を、編集したもの。

 

『未知踏進 稲葉香の道』

(14ページ・写真付き) 1000円

18歳でリウマチ発症、24歳で仕事を辞め、ベトナムの旅へ。ベトナム戦争の傷痕に衝撃を受け。28歳では植村直己に傾倒してアラスカへ。30歳で河口慧海を知り、河口慧海を追う旅が始まった。流れるように旅に生きる稲葉さんの記録。

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プロフィール

稲葉 香(いなば かおり)

登山家、写真家。ネパール・ヒマラヤなど広く踏査、登山、撮影をしている。特に河口慧海の歩いた道の調査はワイフワークとなっている。
大阪千早赤阪村にドルポBCを設営し、山岳図書を集積している。ヒマラヤ関連のイベントを開催するなど、その活動は多岐に渡る。
ドルポ越冬122日間の記録などが評価され、2020年植村直己冒険賞を受賞。その記録を記した著書『西ネパール・ヒマラヤ 最奥の地を歩く;ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)がある。

オフィシャルサイト「未知踏進」

大昔にヒマラヤを越えた僧侶、河口慧海の足跡をたどる

2020年に第25回植村直己冒険賞を受賞した稲葉香さん。河口慧海の足跡ルートをたどるために2007年にネパール登山隊に参加して以来、幾度となくネパールの地を訪れた。本連載では、2016年に行った遠征を綴っている。

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