『麓は秋でも山は冬』が起こる条件――、2006年10月の白馬岳遭難事故の教訓
10月上旬は紅葉を見に標高の高い山に行く人が多い時期だ。この時期の登山で、最も気をつけなければならないのが『麓は秋でも山は冬』という気象状況だ。10月上旬、山は一気に真冬へと変わることがある。
ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。9月28日(土)には台風18号が発生して、日本付近に接近してきました。この後もまだ台風が発生しそうな兆候がありますので、10月末までの台風シーズンが終わるまでは台風と秋雨前線の動向にご注意ください。
今回のコラムでは、2006年10月に起きた白馬岳遭難事故について取り上げたいと思います。本遭難事故については下記に概要を説明していますが、台風がもたらせた気象変化による遭難事故でした。
ただし直接の影響は台風ではなく、「台風が運んできた熱帯の暖かく湿った空気によって南岸低気圧が急激に発達して冬型気圧配置による吹雪になった」ことが原因です。
春や秋の山はいったん荒れるとまさに冬山の世界になります。これはゴールデンウィークや10月の山では、ごく普通の現象です。『麓は春でも山は冬』、『麓は秋でも山は冬』と言われるゆえんです。
その時、白馬岳は想像を絶するブリザードに見舞われた
事故を起こした7人パーティー (ガイド1名とサブガイド1名を含む。ガイドを除く6名はすべて女性)は、5泊6日の日程で10月6日に祖母谷温泉から入山しました。翌10月7日に白馬岳(2932m)直下の白馬山荘を目指す途中で次第に天候が悪化して、白馬山荘の手前で吹雪となり4名の方が低体温症で亡くなられています。
パーティを率いていた登山ガイド田上和弘さんは、のちに「想像を絶するブリザードだった。気象判断のミスだと思っている」と語っています。田上さんは日本アルパイン・ガイド協会の認定ガイドで、ヒマラヤのK2(8611m、エベレストに次ぐ世界第二位の8000m峰)に挑んだこともある実績のある登山家ですが、これほどのコメントを残したことから余程の悪天候であったことがうかがわれます。
南岸低気圧が台風並みに発達し、「西高東低」の冬型気圧配置となって大荒れに
当時の天気図を振り返ってみると、入山した10月6日の6時は台風16号と17号の北側に秋雨前線が停滞し、前線上にできた990hPaの南岸低気圧が東北東に20km/hの速度で進んでいます。
この後、2つの台風はともに衰弱しますが、この2つの台風が運んできた暖かく非常に湿った熱帯の空気が南岸低気圧の東側に向かって入ることによって、遭難した10月7日には南岸低気圧は三陸沖で台風並みの968hPaまで急激に発達しています。
大陸の高気圧と低気圧との間では、冬ではお馴染みの「西高東低」の気圧配置となったため、白馬岳だけでなく中部山岳の北部は吹雪による大荒れの天気となりました。この悪天により、白馬岳の遭難事故以外にも、北アルプスでは小蓮華岳、前穂高岳、御嶽山でそれぞれ1名、白馬岳を合わせると合計7名の登山者が遭難に遭って亡くなっています。
2つの台風が運んできた暖かく湿った熱帯の空気が台風を急激に発達させた
なぜこのように低気圧は急激に発達したのでしょうか。いくか原因がありますが、その一つは2つの台風が運んできた暖かく非常に湿った空気が大きく影響していると考えられます。
下層の湿った空気は上空1000m以下の高度から入ってきます。よく言われている850hPa(上空約1500m)ではありません。850hPaの暖かく湿った空気は、下層から入った湿った空気が上昇気流によって持ち上げられた結果なのです。
したがって925hPa(上空約750m)付近の暖かく湿った空気の流れを見る必要があります。925hPaの様子は、GPV気象予報のWebサイトで、誰でも見ることができますので、参考にされると良いと思います。
簡単に使い方を説明すると――、左側のメニューにある「高層気圧面」から「925hPa相当温位・風」を選択します。なお、相当温位というのは、暖かく湿った空気を表す指標です。図は10月1日の15時のものですが、上海付近(左端の下寄り)にある小さな同心円状のエリアは台風18号です。台風の周囲の空気は非常に湿っていることが分かると思います。
GPV気象予報では過去に遡れないので、今回は気象予報士会ツールで解析した2006年10月7日の結果を示すと、下図のとおり「相当温位345K以上」の湿った空気が低気圧の東側に入っていることが分かります。相当温位345K以上というのは、梅雨時に豪雨をもたらすレベルのものです。これが南岸低気圧を台風並みに急激に発達させたと考えられます。
実際にはどうだったか――、高層天気図の解析図による検証
事故が発生した10月7日21時の700hPaの高層天気図を解析してみると、輪島上空2960mで気温-1.9℃、風速10m/s、空気は非常に湿っていた(ハッチング領域)ので吹雪であったのは間違いないでしょう。10月の上旬でも北アルプスでは、ひとたび荒れると冬山になるという実例です。
「冬型気圧配置」という言葉は一般的に冬季にしか使わない気象用語ですが、山で実際に起きている現象を踏まえると、山では冬季以外でも「冬型気圧配置」と言っても差し支えないと思います。例えば、大量遭難事故となった2009年のトムラウシ山での遭難も、夏であるにもかかわらず西高東低の気圧配置になったため、山岳気象遭難対策講習会では私は警告の意味を込めて「冬型気圧配置」という言葉をあえて使っています。
平地と山では気候区分が違う。平地と同じ感覚ではダメ
誰も強調する人はいませんが、温帯気候に属するイメージがある日本国内においても、北と南では、そして山岳地帯で気候は違います。
ケッペンの気候区分で、沖縄から東日本の多くは温帯(C)に属しますが、北日本は寒帯湿潤気候(Df)、中部山岳は寒帯少雨気候(Dw)に属するとされています。
そして、ケッペンの気候区分にはありませんが、標高2000m以上は高山気候として分類されています(Wikipedia、高山気候参照)。つまり、「平地と2000m以上の山とは気候が違う」のです。これが、冒頭に書きました『麓は春でも山は冬』、『麓は秋でも山は冬』という状況になる大きな理由です。
いったん山に足を踏み入れるならば、平地とは違う気候の世界に入ることになることを肝に銘じておく必要があると思います。
Twitter「大矢康裕@山岳防災気象予報士」では最新の気象状況を提供しています。最新の天気情報に併せて本記事の補足なども行っています。今回触れた『麓は秋でも山は冬』というような状況の際にも、随時発信していますので、ぜひご確認下さい。
プロフィール
大矢康裕
気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2021年9月までの2年間、岐阜大学大学院工学研究科の研究生。その後も岐阜大学の吉野純教授と共同で、台風や山岳気象の研究も行っている。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年には木村賞を受賞。2022年6月と2023年7月にNHKラジオ第一の「石丸謙二郎の山カフェ」にゲスト出演。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社)
山岳気象遭難の真実~過去と未来を繋いで遭難事故をなくす~
登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。