このエントリーをはてなブックマークに追加

『麓は秋でも山は冬』が起こる条件――、2006年10月の白馬岳遭難事故の教訓

山岳防災気象予報士・大矢康裕が教える山の天気のイロハ
基礎知識 2019年10月03日

10月上旬は紅葉を見に標高の高い山に行く人が多い時期だ。この時期の登山で、最も気をつけなければならないのが『麓は秋でも山は冬』という気象状況だ。10月上旬、山は一気に真冬へと変わることがある。

 

ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。9月28日(土)には台風18号が発生して、日本付近に接近してきました。この後もまだ台風が発生しそうな兆候がありますので、10月末までの台風シーズンが終わるまでは台風と秋雨前線の動向にご注意ください。

今回のコラムでは、2006年10月に起きた白馬岳遭難事故について取り上げたいと思います。本遭難事故については下記に概要を説明していますが、台風がもたらせた気象変化による遭難事故でした。

ただし直接の影響は台風ではなく、「台風が運んできた熱帯の暖かく湿った空気によって南岸低気圧が急激に発達して冬型気圧配置による吹雪になった」ことが原因です。

春や秋の山はいったん荒れるとまさに冬山の世界になります。これはゴールデンウィークや10月の山では、ごく普通の現象です。『麓は春でも山は冬』、『麓は秋でも山は冬』と言われるゆえんです。

 

その時、白馬岳は想像を絶するブリザードに見舞われた

事故を起こした7人パーティー (ガイド1名とサブガイド1名を含む。ガイドを除く6名はすべて女性)は、5泊6日の日程で10月6日に祖母谷温泉から入山しました。翌10月7日に白馬岳(2932m)直下の白馬山荘を目指す途中で次第に天候が悪化して、白馬山荘の手前で吹雪となり4名の方が低体温症で亡くなられています。

2006年10月、遭難したパーティの登山ルートの様子


パーティを率いていた登山ガイド田上和弘さんは、のちに「想像を絶するブリザードだった。気象判断のミスだと思っている」と語っています。田上さんは日本アルパイン・ガイド協会の認定ガイドで、ヒマラヤのK2(8611m、エベレストに次ぐ世界第二位の8000m峰)に挑んだこともある実績のある登山家ですが、これほどのコメントを残したことから余程の悪天候であったことがうかがわれます。

 

南岸低気圧が台風並みに発達し、「西高東低」の冬型気圧配置となって大荒れに

当時の天気図を振り返ってみると、入山した10月6日の6時は台風16号と17号の北側に秋雨前線が停滞し、前線上にできた990hPaの南岸低気圧が東北東に20km/hの速度で進んでいます。

2006年10月6日6時の天気図(左)と、10月7日15日の天気図(右)。西高東低の気圧配置になっているのが確認できる


この後、2つの台風はともに衰弱しますが、この2つの台風が運んできた暖かく非常に湿った熱帯の空気が南岸低気圧の東側に向かって入ることによって、遭難した10月7日には南岸低気圧は三陸沖で台風並みの968hPaまで急激に発達しています。

大陸の高気圧と低気圧との間では、冬ではお馴染みの「西高東低」の気圧配置となったため、白馬岳だけでなく中部山岳の北部は吹雪による大荒れの天気となりました。この悪天により、白馬岳の遭難事故以外にも、北アルプスでは小蓮華岳、前穂高岳、御嶽山でそれぞれ1名、白馬岳を合わせると合計7名の登山者が遭難に遭って亡くなっています。

 

2つの台風が運んできた暖かく湿った熱帯の空気が台風を急激に発達させた

なぜこのように低気圧は急激に発達したのでしょうか。いくか原因がありますが、その一つは2つの台風が運んできた暖かく非常に湿った空気が大きく影響していると考えられます。

下層の湿った空気は上空1000m以下の高度から入ってきます。よく言われている850hPa(上空約1500m)ではありません。850hPaの暖かく湿った空気は、下層から入った湿った空気が上昇気流によって持ち上げられた結果なのです。

したがって925hPa(上空約750m)付近の暖かく湿った空気の流れを見る必要があります。925hPaの様子は、GPV気象予報のWebサイトで、誰でも見ることができますので、参考にされると良いと思います。

GPV気象予報では、925hPa(上空約750m)付近の空気の流れを確認できる

簡単に使い方を説明すると――、左側のメニューにある「高層気圧面」から「925hPa相当温位・風」を選択します。なお、相当温位というのは、暖かく湿った空気を表す指標です。図は10月1日の15時のものですが、上海付近(左端の下寄り)にある小さな同心円状のエリアは台風18号です。台風の周囲の空気は非常に湿っていることが分かると思います。

GPV気象予報では過去に遡れないので、今回は気象予報士会ツールで解析した2006年10月7日の結果を示すと、下図のとおり「相当温位345K以上」の湿った空気が低気圧の東側に入っていることが分かります。相当温位345K以上というのは、梅雨時に豪雨をもたらすレベルのものです。これが南岸低気圧を台風並みに急激に発達させたと考えられます。

2006年10月7日、925hPa(上空約750m)付近の暖かく湿った空気の流れの様子(気象予報士会PC研ツールで作成)

 

実際にはどうだったか――、高層天気図の解析図による検証

事故が発生した10月7日21時の700hPaの高層天気図を解析してみると、輪島上空2960mで気温-1.9℃、風速10m/s、空気は非常に湿っていた(ハッチング領域)ので吹雪であったのは間違いないでしょう。10月の上旬でも北アルプスでは、ひとたび荒れると冬山になるという実例です。

10月7日21時の700hPaの高層天気図。北アルプス・白馬周辺は吹雪になっていた可能性が高いことが確認できる


「冬型気圧配置」という言葉は一般的に冬季にしか使わない気象用語ですが、山で実際に起きている現象を踏まえると、山では冬季以外でも「冬型気圧配置」と言っても差し支えないと思います。例えば、大量遭難事故となった2009年のトムラウシ山での遭難も、夏であるにもかかわらず西高東低の気圧配置になったため、山岳気象遭難対策講習会では私は警告の意味を込めて「冬型気圧配置」という言葉をあえて使っています。

 

平地と山では気候区分が違う。平地と同じ感覚ではダメ

誰も強調する人はいませんが、温帯気候に属するイメージがある日本国内においても、北と南では、そして山岳地帯で気候は違います。

ケッペンの気候区分で、沖縄から東日本の多くは温帯(C)に属しますが、北日本は寒帯湿潤気候(Df)、中部山岳は寒帯少雨気候(Dw)に属するとされています。

日本でのケッペンの気候区分の予測/Beck, H.E., Zimmermann, N. E., McVicar, T. R., Vergopolan, N., Berg, A., & Wood, E. F. [CC BY 4.0]


そして、ケッペンの気候区分にはありませんが、標高2000m以上は高山気候として分類されています(Wikipedia、高山気候参照)。つまり、「平地と2000m以上の山とは気候が違う」のです。これが、冒頭に書きました『麓は春でも山は冬』、『麓は秋でも山は冬』という状況になる大きな理由です。

いったん山に足を踏み入れるならば、平地とは違う気候の世界に入ることになることを肝に銘じておく必要があると思います。

 

Twitter「大矢康裕@山岳防災気象予報士」では最新の気象状況を提供しています。最新の天気情報に併せて本記事の補足なども行っています。今回触れた『麓は秋でも山は冬』というような状況の際にも、随時発信していますので、ぜひご確認下さい。

 

危機管理 遭難・事件 調査
教えてくれた人

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、気象防災NPOウェザーフロンティア東海(WFT)山岳部会の一員として山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
現在、岐阜大学大学院工学研究科の研究生として山岳気象の解析手法の研究も行っている。

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

同じテーマの記事
二つ玉低気圧のリスクVol.2 平地とは違う山の天気の立体構造を総合的に判断する
前回に引き続き、登山においては特に警戒する必要がある「二つ玉低気圧」について解説。今回は立体構造を総合的に判断するために、高層天気図による解析を行う。
登山者が警戒すべき二つ玉低気圧のリスクVol.1 2009年4月の鳴沢岳遭難事故の教訓
最近、よく耳にする「爆弾低気圧」という言葉。中でも「二つ玉低気圧」と呼ばれるものは、過去に大きな山岳遭難を引き起こす原因となっている。今回は、2009年4月に発生した北アルプス鳴沢岳遭難事故を取り上げる。
太平洋側に大雪を降らせる「南岸低気圧」による遭難事例/那須岳雪崩事故から学ぶこと
冬の日本列島の太平洋側に大雪を降らせることもある南岸低気圧。この低気圧が招いた悲劇として記憶に新しいのが2017年3月に起きた那須岳雪崩事故。今回はこのリスクについて取り上げる。
30年前の記録とともに、鮮やかに蘇る記憶――。アフリカ大陸最高峰・キリマンジャロ登山を楽しむ基礎知識 総集編
過去の登山記録は、できるだけ詳しく残しておきたい。改めて目を通したときには記憶も鮮やかに蘇る――。2度めに訪れたキリマンジャロ、過去の記録と記憶によって、さらに想い出深いものになった。
記事一覧 ≫
最新の記事
記事一覧 ≫
こんにちは、ゲストさん
◆東京の天気予報[山域を変更]
明日

曇のち雨
明後日

曇のち雨
(日本気象協会提供:2020年4月10日 17時00分発表)
[ログイン]
ユーザ登録・ログインすることで、山頂天気予報を見たり、登山履歴を登録・整理・分析して、確認できます。
NEW 写真家・飯坂大さんに聞く「スタウト45」の使い勝手
写真家・飯坂大さんに聞く「スタウト45」の使い勝手 バックパックを背負い、旅の風景と人の暮らしを撮る飯坂さん。バリ島の山旅で使ったグレゴリー「スタウト45」の使用感を聞いた
NEW 「ジャック・ウルフスキン」ブランドヒストリー
「ジャック・ウルフスキン」ブランドヒストリー ドイツ生まれの「ジャック・ウルフスキン」。最新技術と持続可能性を両立したものづくり。『ワンダーフォーゲル』連動企画
NEW グレゴリーの中・大型ザック「スタウト&アンバー」モニター募集!
グレゴリーの中・大型ザック「スタウト&アンバー」モニター募集! 背面長が無段階に調整できる「スタウト&アンバー」がアップデートにより快適性が向上!モニター4名を募集します
NEW 好日山荘で聞いた! グレゴリーバックパックの選びかた
好日山荘で聞いた! グレゴリーバックパックの選びかた 銀座 好日山荘のスタッフに、グレゴリーの登山用ザックについて、それぞれの特徴を聞きました。ザック選びの参考に!
NEW 新しい「トレントシェル」をフィールドテスト
新しい「トレントシェル」をフィールドテスト パタゴニアの定番レインウェア「トレントシェル」が、3層生地で耐久性アップ! 山岳ガイド佐藤勇介さんがフィールドでテスト
NEW マウンテンハードウェアの最新ウェアを試す!
マウンテンハードウェアの最新ウェアを試す! 高橋庄太郎さんの「山MONO語り」。今回はアクティブインサレーション「コアシラスハイブリッドフーディ」をレポート
NEW 海を渡り、山に登ろう。いざ、島の山へ
海を渡り、山に登ろう。いざ、島の山へ 全国各地の島の山から6山を厳選して紹介! いざ、海を渡り、山へ。
登山は「下山」してからが楽しい!?
登山は「下山」してからが楽しい!? 登山後、すなわち下山後の楽しみの1つが山麓グルメ。ご当地名物料理から、鄙びた食堂の普通の料理まで、その楽しみ方を指南!
安全登山に向けて、これからの登山情報収集術
安全登山に向けて、これからの登山情報収集術 ITジャーナリスト、山岳ガイド、書籍の著者の方々に話を聞きながら、安全に山を登るための情報収集の方法について、改めて考え...
サクラ咲く山で花見登山! オススメ桜の名所の山
サクラ咲く山で花見登山! オススメ桜の名所の山 街でサクラが散るころに始まるサクラの花見登山。山の斜面をピンク色に染める、桜の名所の登山ポイントを紹介
花の季節の前奏曲、カタクリの花が咲く山へ
花の季節の前奏曲、カタクリの花が咲く山へ 種から7年目でようやく花咲く、春を告げる山の妖精――。ひたむきで美しいカタクリの群落がある山を紹介!
何度登っても魅力な秩父・奥武蔵の山
何度登っても魅力な秩父・奥武蔵の山 のどかな里山を囲むように山々が連なる、埼玉県南西部・秩父・奥武蔵の山々。