低体温症の恐ろしさ――、強風が退路をはばんだ3つの事例から学ぶ(1902八甲田山、1963薬師岳、2009鳴沢岳)

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登山中のリスクで、季節を問わず気をつけたいのが「低体温症」。気温、風、そのほかの3つの要因で発生するといわれる低体温症だが、今回は特に「強風が退路をはばんだ事例」について注目。過去に取り上げた遭難事例から、低体温症の恐ろしさを考える。


山と溪谷オンラインのコラム記事の読者の皆様、新年あけましておめでとうございます。山岳防災気象予報士の大矢です。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

年初から能登地震で大変なことになっており、災害で亡くなられたご遺族の方々には心からお悔やみ申し上げます。なお、震源地に近い山岳では雪崩や土砂崩れの恐れがありますので、しばらく入山を見合わせた方が無難と思います。

昨年は6月に発表した八甲田山雪中行軍遭難事故のコラム記事が大反響を呼び、そのご縁で7月にNHK青森テレビNHKラジオ「山カフェ」に出演しましたが、その後は文字通りの「好事魔多し」でした。

八甲田山の現地検証を行なったコラム記事が公開された10月12日、会社体育館でトレーニング中にくも膜下出血で倒れて、救急搬送されて入院するという事態になりました。公私ともに無理をしたのが祟ったのかもしれません。あまりにも強烈な頭痛のため、発作の直後は「これはまずいぞ」と一時は覚悟しました。

幸い手術をせずに済み、病院や退院後に自宅で自主的なリハビリに励んだ結果、後遺症もなく1カ月後に無事に本業のサラリーマン稼業に復帰することができました。

しかし、世の中、ついていないことばかりではありません。入院中に八甲田山雪中行軍遭難事故の記事がフジテレビの番組制作スタッフの目に止まり、何と「世界の何だコレ!?ミステリー」の番組の取材と録画監修への協力依頼が来ました。こんな機会はめったにあるものではなく、ひどい頭痛の症状が収まってきた頃でしたので、喜んでお引き受けすることにしました。そして12月27日(水)に「世界の何だコレ!?ミステリー4時間SP」の全国放送に無事に、録画出演することができました。放送後にスタッフの人たちに確認すると、番組の反響は上々だったようです。

 

気温がそれほど低くなくても低体温症は起きる

2009年7月のトムラウシ遭難事故で実際に発生したこと

私がこの番組の前半で明らかにしたのが「八甲田山雪中行軍遭難事故の原因は未曾有の寒波ではなかった」という内容でした。これまでの常識をくつがえした真相に加え、後半で元自衛官の伊藤薫さんが実際の遺品で示した「木綿の下着」が致命的だったという事実、この2つのことはテレビをごらんになった多くの皆様に、低体温症の恐ろしさを改めて知らしめたことと思います。

次回の番組の放送は1月17日以降のようですので、それまではTverの見逃し配信で閲覧が可能です。大変わかりやすい内容ですので、まだの方はぜひごらんください。20分過ぎから八甲田山のパートが始まります。

山岳での低体温症は、冬だけでなく四季を通じて発生しているので、詳しく知っておくことは非常に大切です。低体温症は「気温」「風」「その他」の3つの要因で発生します。気温が低いこと、風が強いこと、この2つがリスクとなるのは誰でもわかりますが、問題は3つ目の「その他の要因」です。八甲田山雪中行軍遭難事故だけでなく、1959年10月に起きた大量遭難事故(コラム記事をご参照ください)では、木綿の下着を着ていたことが生死を分けています。

記憶に新しい2009年7月のトムラウシ遭難事故では、速乾性の下着を着ていても、前日の雨で濡れた下着を着替えたかどうかが重要なポイントとなりました。現在では夏山でも木綿の下着を着て山に登る人はいないと思いますが、速乾性の下着であっても濡れていれば、程度の差はあっても強風に吹かれたときに体温を奪われますので、決して万能ではありません。そしてトムラウシ遭難事故でも起きていますが、気象条件が厳しい山岳で発生する低体温症は急速に症状が進行することが多いです。装備を過信することなく、体力に余裕のあるうちに進退の判断をすることが大切です。

もう一つの重要なポイントはエネルギーの補給です。八甲田山雪中行軍遭難事故では、食料として米飯を持参したため、雪中行軍中に米飯が凍ってしまって兵士たちは体温を維持するためのエネルギーを補給することができませんでした。雪山では凍ってしまうような食料は厳禁で、凍ったものを口にするとますます体温を奪われてしまいます。

当時はすでに軍隊の非常食として乾パンが発明されていたようです。それを持参できなくても青森第5連隊が地元の案内人を連れていれば、地元の案内人から適切な食料についての知識を得られ、あのような大惨事にならなかったかもしれません。体温を奪われるような悪天のときほど、休憩時だけでなく行動中にも小まめにエネルギー補給することが必要です。

体温症の基本知識については、私の著書『ヤマケイ新書 山岳気象遭難の真実ー過去と未来を繋いで遭難事故をなくすーの、第5章「夏でも起きる低体温症」に詳しく書きましたので、ご一読いただけますと幸いです。

 

強風が退路をはばんだ事例①

1902年1月、八甲田山雪中行軍遭難事故で起きたこと

実は、八甲田山雪中行軍遭難事故のコラム記事では、誌面の関係で充分に説明していなかった重要なポイントがあります。それは、撤退を決めて引き返す時の風向きです。10月の現場検証のコラム記事では、遭難事故当時は西北西の強風が吹いていて、雪中行軍ルートは強風が吹き抜ける通り道になっていたことを書きました。

青森第5連隊は1902年1月23日に「疑似好天」の中、青森の駐屯地を出発。田茂木野の村から馬立場にたどり着いて、目的地の田代新湯をめざしました。しかし急速に天候が悪化したため、田代新湯へのルートを見つけることができず、やむを得ず平澤でビバーク(第一露営地)します。吹雪の中のビバークで凍死者が増えることを恐れた山口少佐ら将校は、撤退と夜明け前の出発を決定、吹雪と暗闇で視界が利かない中を帰途につきました。

しかし、図1に示すように、めざす田茂木野は北西の方角にあって、西北西の強風(NOAAのデータによる大矢解析結果)をほぼ真正面から受けることになります。厳冬期の山岳に入ったことがある方は実感できると思いますが、真正面からの暴風雪の中を前進することは容易ではなく、かなりの体力を消耗します。

図1. 八甲田山雪中行軍遭難事故の遭難地図(遭難始末の地図に加筆)

図1は遭難事故の後で青森第5連隊がまとめた「遭難始末」という報告書(国立国会図書館デジタルコレクション)に掲載されている地図(●は死者の位置、破線は1月24日、一点鎖線は1月25日、二点鎖線は1月26日の経路)を見ると、強風を避けるようにして彷徨(24日のリングワンダリング)や隊が分裂していることが読み取れると思います。撤退する方向から吹く強風も被害を甚大にした大きな要因であったと思います。

 

強風が退路をはばんだ事例②

1963年1月の薬師岳遭難事故で吹いた風

このように強風が撤退の退路をはばんだ事例は、八甲田山雪中行軍遭難事故だけではありません。昭和38年の三八豪雪の年に発生した1963年1月の薬師岳遭難事故(コラム記事を参照)でも同じようなことが起きています。

愛知大学山岳部13名のパーティは、1月2日にようやく天候が回復して(二つ玉低気圧による疑似好天)太郎小屋から薬師岳をめざしました。しかし天候が急速に悪化して薬師平を過ぎて森林限界を越えると、猛烈な地吹雪となったために頂上の手前400mの地点で登頂を断念して撤退の判断を下しました。

パーティーは、まったく視界が利かない猛吹雪の中で、東南尾根に迷い込んでしまい(図2)、天候がさらに悪化したため正規ルートに戻ることができず、13名全員が帰らぬ人となっています。これも、西からの強風を無意識に避けようとして、少しでも風が弱い方向に進んでしまった結果と思われます。

やはり、惜しむらくは地図や方位磁石を太郎小屋に置いていってしまったことです。せめて方位磁石だけでも持っていれば、すぐに方角が誤っていることに気付いて遭難は防げた可能性はあります。「疑似好天」がメンバー全員の油断を招いてしまったのかもしれません。

図2. 1963年1月の薬師岳遭難事故の事故パーティの行動(国土地理院地図に加筆)

 

強風が退路をはばんだ事例③

2009年4月の鳴沢岳遭難事故で吹いた西風

強風が退路をはばんだ事例は厳冬期だけでなく、春山で、しかも比較的最近でも起きています。2009年4月に起きた鳴沢岳遭難事故(コラム記事を参照)も典型的な事例と思います。この事例は、京都府立大学のメンバー全員が二つ玉低気圧による天候悪化を知りながら入山し、北アルプスの鳴沢岳の頂上付近で3名全員が低体温症で亡くなるという悲惨な遭難事故でした。

図3. 2009年4月の鳴沢岳遭難事故の事故パーティの行動(国土地理院地図に加筆)

二つ玉低気圧が通過した後、森林限界(①)を越えると西風の強風を受けたはずですが、南北に延びる尾根の少し東側を登ると多少は西風が弱まります。しかし、西尾根の頭(②)を過ぎると東西に伸びる尾根になるため、進む時には追い風ですが、撤退する時には向かい風となって撤退が難しくなります。

パーティは、全員が鳴沢岳を越えて下山ルートの新越尾根まで行くしかないと追い込まれてしまったのではないかと思われます。まだ体力に余裕があったと思われる森林限界(①)、最悪でも西尾根の頭(②)で撤退の判断をしていれば事故は起きなかったかもしれません。

山岳での行動計画の立案、そして現地での実際の判断にあたって、行動時の風の強弱、風がどの方向から吹いてくるのか、風をさえぎる場所があるかどうか(樹林、岩陰、稜線の風下側など)を読むことは極めて重要と思います。

今回ご紹介した三つの事例は、いずれも「追い風は進むに易し、しかし撤退時には向かい風となって退くに難し」という貴重な教訓を残しています。過去の教訓を生かすことによって、少しでも遭難事故がなくなればと願っています。

プロフィール

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2021年9月までの2年間、岐阜大学大学院工学研究科の研究生。その後も岐阜大学の吉野純教授と共同で、台風や山岳気象の研究も行っている。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年には木村賞を受賞。2022年6月と2023年7月にNHKラジオ第一の「石丸謙二郎の山カフェ」にゲスト出演。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社)

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

山岳気象遭難の真実~過去と未来を繋いで遭難事故をなくす~

登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。

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