太平洋側に大雪を降らせる「南岸低気圧」による遭難事例/那須岳雪崩事故から学ぶこと

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ふだんは晴れが続く冬の日本列島の太平洋側に、大雪を降らせることもある南岸低気圧。この南岸低気圧が招いた、山での悲劇として記憶に新しいのが2017年3月に起きた那須岳雪崩事故。今回は南岸低気圧のリスクについて取り上げる。

 

ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。今回は「南岸低気圧」をテーマに話を進めたいと思います。

冬の後半から春先にかけては、日本列島の南を通過する南岸低気圧が増えてきます。南岸低気圧は、しばしば関東甲信地方に大雪をもたすだけではなく、山では雪崩遭難を起こす厄介者です。皆さんの記憶に新しい、南岸低気圧が引き起こした雪崩事故といえば――、2017年3月27日に起きた那須岳雪崩事故ではないでしょうか。

この遭難事故は、1967年に起きた西穂高岳での落雷事故(松本深志高校の生徒11名が亡くなった)と同様に、学校管理下で起きた大きな山岳遭難事故です。いったい、どのような状況で雪崩事故が発生したのか、今回は本件を取り上げたいと思います。

 

那須岳雪崩事故の概要(当時の報道記事などのまとめ)

2017年の3月25日から27日にかけて、当地では栃木県高校体育連盟主催の2泊3日の春山登山講習会が開催されていました。

その最終日の27日、天気が悪くなったために予定していた茶臼岳登山を中止して、一行は急遽ラッセル訓練に変更しています。栃木県那須町の那須温泉ファミリースキー場から、さらに登った山岳エリアである那須岳山系の茶臼岳の南東斜面でのラッセル訓練実施中に雪崩に遭ったのです。当日の参加者は55名(生徒46名、教員9名)、このうち死者8人、怪我40名(内重症2名)という大惨事となったのでした。

講習会には栃木県内の7つの高校の生徒51人と引率の教員11人の合わせて62人が参加していました。亡くなったのは全て大田原高校の生徒と教員で、ほぼ同じ場所にかたまっていたため、生徒12名中のうち7名と教員1名が亡くなっています。

 

天気図で振り返る遭難当時の気象状況

前日(3月26日)9時の天気図を確認すると、南岸低気圧は陸地からかなり離れた所を進んでいました。通常はこの位置では大雪にはならないどころか、雪も雨も降らないことが多いです。ところが事故当日の27日3時に突如として、関東の南岸に別の低気圧が発生しています。これが関東甲信地方に大雪をもたらす結果となったのです。

平成29年3月26日9時、および3月27日3時の天気図(出典:気象庁)

 

気象庁の観測データから見る当時の降雪の推移

気象庁による那須高原アメダス(標高749m)の積雪深さデータをプロットしたのが以下の図です。

那須高原アメダスの積雪深さ(気象庁データをもとに大矢まとめ)


関東南岸に新たに低気圧が発生した頃から急激に積雪深さが増えていく様子がよくわかると思います。防災科学技術研究所の現地調査で判明した弱層(結合力の弱い雪の層)は、この降雪途中で形成されています。広く実施されている弱層テストも、このような急激な降雪状況では、弱層の発見は難しかったと思います。

急激に降雪量が増える時には、雪崩の危険があることを念頭に置くべきであったということが、この雪崩事故の教訓と思います。

防災科学技術研究所による積雪断面の現地調査/出典:防災科学技術研究所 雪氷防災研究部門(雪氷防災研究センター)

 

事前に予測できた雪崩発生のリスク

では、雪崩のリスクを事前に予測することは難しかったのでしょうか。その解答は「いいえ」で、決してそんなことはありません。

前日の朝には気象庁から関東甲信地方の大雪に対する気象情報が発表されていて、山地での雪崩に注意を呼び掛けていました。また、気象庁による24時間予想図では、27日9時には関東南岸に新たに低気圧が発生することが予想されていました。

24時間予想図では新たに低気圧の発生が予想されていた(3月27日9時/出典:気象庁)


この24時間予想図は26日の17時頃には見ることができました。更には、27日明け方には気象庁による短期予報解説資料(下に掲載)も、SUNNY SPOTの専門天気図などのサイトで一般の人でも見ることができて、関東北部や甲信地方の山沿いでの雪崩のリスクについても知ることができました。

振り返って確認すると、私も前日のブログで注意喚起をしていました。このような情報が活用されていないのは大変残念なことで、まだまだ私の山岳防災活動の至らないことを痛感しております。

2017年3月27日3時40分の短期予報解説資料(出典:気象庁)

 

約束のキリマンジャロ 亡き先輩と「一緒に」登頂 

那須岳雪崩事故で自らも雪崩に巻き込まれて重傷を負った、元大田原高校山岳部部長の三輪浦淳和さんが2019年11月3日に雪崩事故で亡くなった先輩2人の遺影とともにキリマンジャロ登頂を果たしたというニュースが流れてきています。

三輪浦さんは雪崩に巻き込まれて2時間近く全身が埋まっていたところを奇跡的に助け出されたそうです。起きてしまった事故を自分自身でしっかりと受け止めて、前に進もうとする姿勢には本当に頭が下がります。そして、雪崩事故時の状況とそれを踏まえた思いを自らの「山の羅針盤」というブログで書いておられます。

普通の高校生では、なかなかここまでのことは書けないです。そして、三輪浦さんは、YAMA HACKの記事で、ご自身の言葉で二度と同じような事故を起こさないための思いを語っておられます。ともに是非一読されることをお勧めいたします。遭難事故を無くすためにはどのようにしたらよいか・・・、のヒントが見えてくるのではないかと思います。

浅井さんと鏑木さんの写真を手に、キリマンジャロの山頂に立つ三輪浦さん(三輪浦さんご提供)

 

プロフィール

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2021年9月までの2年間、岐阜大学大学院工学研究科の研究生。その後も岐阜大学の吉野純教授と共同で、台風や山岳気象の研究も行っている。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年には木村賞を受賞。2022年6月と2023年7月にNHKラジオ第一の「石丸謙二郎の山カフェ」にゲスト出演。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社)

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

山岳気象遭難の真実~過去と未来を繋いで遭難事故をなくす~

登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。

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