二つ玉低気圧のリスクVol.3 鳴沢岳遭難事故では山岳気象特有の「山越え気流」が起きた?

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登山が特に警戒しなければならない気象の1つである「二つ玉低気圧」。こうした気象条件になったとき、標高3000m付近の稜線では、どんなことが起きているのか。2009年4月の遭難事故を例に、今回は「山越え気流」という新たな方法で解析を進める。

 

ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。「二つ玉低気圧」による典型的な遭難事例であり、京都府立大学山岳部の3名の方が亡くなった2009年4月26日の北アルプス鳴沢岳遭難事故について、今回は山岳遭難時の気象解析としては、これまで恐らく誰もやったことがない解析を進めていきたいと思います。

★第1回:登山者が警戒すべき二つ玉低気圧のリスク/2009年4月の鳴沢岳遭難事故の教訓

★第2回:平地とは違う山の天気の立体構造を総合的に判断/鳴沢岳遭難事故の教訓

前回は「平地と違う山の気象」を知るためには高層天気図が必須であることをお伝えしましたが、鳴沢岳遭難事故で起きていた気象状況を詳細に解析すると、山岳気象特有の「山越え気流」が影響していることが分かってきました。これが、ただでさえ厳しい二つ玉低気圧による悪コンディションを、更に厳しい気象状況にしたのではないかと私は推察しています。

 

山越え気流とは何か――、「笠雲」や「吊るし雲」で可視化

では、山越え気流とは何でしょうか。実は登山者は意外と身近に見ている現象です。

風が山に当たると、風は山を回り込んだり、山の斜面を登って山越えしたり、急峻な山なら跳ね返されたりなど、色々な動きをします。このうち、山を越える風の流れが目に見えるようになったものが、身近な笠雲や吊るし雲(レンズ雲)です。

富士山の山頂に現れた傘雲の様子


笠雲は風が山の斜面を登って冷やされて、山の頂上付近で水蒸気が凝結して雲になったものです。笠雲の上部の輪郭が風の流れをそのままに表現しています。そして、山を越えた風が波のように上がったり下がったりして、山から離れて風が上昇したところにできる雲が吊るし雲(レンズ雲とも呼ばれます)です。

有名なものは富士山の笠雲ですが、国土交通省 富士砂防事務所のWebサイトに色々な笠雲が紹介されていますので、ご覧になられると良いと思います。

 

鳴沢岳遭難事故当時の山越え気流を解析するとこうなる

二つ玉低気圧による遭難事故の時の山越え気流の状況を知るために、事故当日の夜9時の鳴沢岳の位置する北緯36.6度における上昇気流と下降気流の東西断面図を作成してみました(図1)。

難しいことは抜きにして、青い領域には下降気流、赤い領域には上昇気流があります。図1からは、鳴沢岳(2641m)の頂上付近は強い下降気流があったことが分かります。なお、その東にも2つの下降気流が強い領域がありますが、それぞれ草津白根山(2171m/本白根)、赤城山(1828m)に対応しています。

図1:北緯36.6度における上昇気流と下降気流の東西断面図(大矢にて解析)


そして、同様に風速の東西断面図を図2に示します。この図では色が赤くなるほど風が強いことを表しています。図1の下降気流が強い領域に対応して、風速が非常に大きくなっていることが分かります。

図2:北緯36.6度における風速の東西断面(大矢にて解析)


また、下にキリマンジャロの基礎知識③のコラム記事で説明した際に使った図を再掲載しましたが(図3)、図が示すとおり上空はもともと風が強いうえに、図1を見ると上空の強風はあたかも強い下降気流によって鳴沢岳の稜線付近まで運ばれてきたかのように見えます。

ここでは山岳地形によって発生する強い下降気流というのがポイントです。強い下降気流によって航空機は浮力を失って墜落したり、下降気流と前後の上昇気流が乱気流となって空中分解(1996年に富士山上空で起きた英国海外航空機空中分解事故)が起きたりして、航空気象の世界では山越え気流は非常に恐れられています。

もしこの時に鳴沢岳の上空を飛行機が飛んでいたら、大変なことになっていたと思います。これは登山の世界でも全く同じです。

図3:高度に対する気圧、気温、風の関係 (大矢まとめ)


二つ玉低気圧や爆弾低気圧が発生すると、いつもこのような強い下降気流が発生するわけではありません。しかし、山岳における強い下降気流がどのような時に発生しやすいのかが分かれば、山岳遭難を防止する一助となるのではと考えており、私の現在の研究の最重要テーマの一つとなっています。

最後に700hPa(上空約3000m)の風速分布の解析図を以下に添付いたします(図4)。鳴沢岳を含む北アルプス北部で局所的に風が非常に強まっている様子が一目瞭然と思います。鳴沢岳の遭難事故はこのような気象状況で発生したのです。本当に不運としか言いようがありません。厳冬期の厳しい条件に耐えた人でも、まさか4月の終わりに厳冬期並みの悪コンディションになるとは思ってもいなかったと思います。しかし、残念ながら想定外のことは起こりえるのです。

図4:700hPa(上空約3000m)の風速分布(大矢にて解析)


二つ玉低気圧についての連載第4回目は、このような事例を踏まえて、二つ玉低気圧や爆弾低気圧をどのように避けたらよいのかについてお話ししたいと思います。

 

プロフィール

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2021年9月までの2年間、岐阜大学大学院工学研究科の研究生。その後も岐阜大学の吉野純教授と共同で、台風や山岳気象の研究も行っている。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年には木村賞を受賞。2022年6月と2023年7月にNHKラジオ第一の「石丸謙二郎の山カフェ」にゲスト出演。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社)

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

山岳気象遭難の真実~過去と未来を繋いで遭難事故をなくす~

登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。

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