このエントリーをはてなブックマークに追加

二つ玉低気圧のリスクVol.3 鳴沢岳遭難事故では山岳気象特有の「山越え気流」が起きた?

山岳防災気象予報士・大矢康裕が教える山の天気のイロハ
基礎知識 2020年04月17日

登山が特に警戒しなければならない気象の1つである「二つ玉低気圧」。こうした気象条件になったとき、標高3000m付近の稜線では、どんなことが起きているのか。2009年4月の遭難事故を例に、今回は「山越え気流」という新たな方法で解析を進める。

 

ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。「二つ玉低気圧」による典型的な遭難事例であり、京都府立大学山岳部の3名の方が亡くなった2009年4月26日の北アルプス鳴沢岳遭難事故について、今回は山岳遭難時の気象解析としては、これまで恐らく誰もやったことがない解析を進めていきたいと思います。

★第1回:登山者が警戒すべき二つ玉低気圧のリスク/2009年4月の鳴沢岳遭難事故の教訓

★第2回:平地とは違う山の天気の立体構造を総合的に判断/鳴沢岳遭難事故の教訓

前回は「平地と違う山の気象」を知るためには高層天気図が必須であることをお伝えしましたが、鳴沢岳遭難事故で起きていた気象状況を詳細に解析すると、山岳気象特有の「山越え気流」が影響していることが分かってきました。これが、ただでさえ厳しい二つ玉低気圧による悪コンディションを、更に厳しい気象状況にしたのではないかと私は推察しています。

 

山越え気流とは何か――、「笠雲」や「吊るし雲」で可視化

では、山越え気流とは何でしょうか。実は登山者は意外と身近に見ている現象です。

風が山に当たると、風は山を回り込んだり、山の斜面を登って山越えしたり、急峻な山なら跳ね返されたりなど、色々な動きをします。このうち、山を越える風の流れが目に見えるようになったものが、身近な笠雲や吊るし雲(レンズ雲)です。

富士山の山頂に現れた傘雲の様子


笠雲は風が山の斜面を登って冷やされて、山の頂上付近で水蒸気が凝結して雲になったものです。笠雲の上部の輪郭が風の流れをそのままに表現しています。そして、山を越えた風が波のように上がったり下がったりして、山から離れて風が上昇したところにできる雲が吊るし雲(レンズ雲とも呼ばれます)です。

有名なものは富士山の笠雲ですが、国土交通省 富士砂防事務所のWebサイトに色々な笠雲が紹介されていますので、ご覧になられると良いと思います。

 

鳴沢岳遭難事故当時の山越え気流を解析するとこうなる

二つ玉低気圧による遭難事故の時の山越え気流の状況を知るために、事故当日の夜9時の鳴沢岳の位置する北緯36.6度における上昇気流と下降気流の東西断面図を作成してみました(図1)。

難しいことは抜きにして、青い領域には下降気流、赤い領域には上昇気流があります。図1からは、鳴沢岳(2641m)の頂上付近は強い下降気流があったことが分かります。なお、その東にも2つの下降気流が強い領域がありますが、それぞれ草津白根山(2171m/本白根)、赤城山(1828m)に対応しています。

図1:北緯36.6度における上昇気流と下降気流の東西断面図(大矢にて解析)


そして、同様に風速の東西断面図を図2に示します。この図では色が赤くなるほど風が強いことを表しています。図1の下降気流が強い領域に対応して、風速が非常に大きくなっていることが分かります。

図2:北緯36.6度における風速の東西断面(大矢にて解析)


また、下にキリマンジャロの基礎知識③のコラム記事で説明した際に使った図を再掲載しましたが(図3)、図が示すとおり上空はもともと風が強いうえに、図1を見ると上空の強風はあたかも強い下降気流によって鳴沢岳の稜線付近まで運ばれてきたかのように見えます。

ここでは山岳地形によって発生する強い下降気流というのがポイントです。強い下降気流によって航空機は浮力を失って墜落したり、下降気流と前後の上昇気流が乱気流となって空中分解(1996年に富士山上空で起きた英国海外航空機空中分解事故)が起きたりして、航空気象の世界では山越え気流は非常に恐れられています。

もしこの時に鳴沢岳の上空を飛行機が飛んでいたら、大変なことになっていたと思います。これは登山の世界でも全く同じです。

図3:高度に対する気圧、気温、風の関係 (大矢まとめ)


二つ玉低気圧や爆弾低気圧が発生すると、いつもこのような強い下降気流が発生するわけではありません。しかし、山岳における強い下降気流がどのような時に発生しやすいのかが分かれば、山岳遭難を防止する一助となるのではと考えており、私の現在の研究の最重要テーマの一つとなっています。

最後に700hPa(上空約3000m)の風速分布の解析図を以下に添付いたします(図4)。鳴沢岳を含む北アルプス北部で局所的に風が非常に強まっている様子が一目瞭然と思います。鳴沢岳の遭難事故はこのような気象状況で発生したのです。本当に不運としか言いようがありません。厳冬期の厳しい条件に耐えた人でも、まさか4月の終わりに厳冬期並みの悪コンディションになるとは思ってもいなかったと思います。しかし、残念ながら想定外のことは起こりえるのです。

図4:700hPa(上空約3000m)の風速分布(大矢にて解析)


二つ玉低気圧についての連載第4回目は、このような事例を踏まえて、二つ玉低気圧や爆弾低気圧をどのように避けたらよいのかについてお話ししたいと思います。

 

教えてくれた人

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、気象防災NPOウェザーフロンティア東海(WFT)山岳部会の一員として山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
現在、岐阜大学大学院工学研究科の研究生として山岳気象の解析手法の研究も行っている。

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

同じテーマの記事
上空寒気が引き起こした2013年4月27日の白馬岳雪崩遭難事故――、麓ではにわか雨でも春山では吹雪
上空寒気の影響で、季節は春・麓は雨でも、山岳地帯は大雪となることもある。そんな事例の1つである、2013年の白馬大雪渓の雪崩事故から、このメカニズムを分析する。
2020年4月18日の事例から見る不安定な天気を事前に知る方法―― 上空寒気の解説/第2回
気象庁が発表する「警報」や「注意報」は当日にならないと発表されない中で、いち早く悪天候の情報を知るには、どうすればよいのか? 今回は気象庁から先立って発表される気象情報の確認方法を指南する。
「上空の寒気による不安定な天気」を高画像度ナウキャストを活用して確認。上空寒気の解説/第1回
今回のテーマは「上空の寒気による不安定な天気」。天気予報を見ていると、よく耳にするこの言葉、実際にはどんな様子を指しているのか? 気象庁の「高解像度ナウキャスト」を用いて解説する。
二つ玉低気圧のリスクVol.4 二つ玉低気圧や爆弾低気圧を予想するのに鍵となる高層天気図の読み方
3回にわたって紹介してきた「二つ玉低気圧のリスク」。最終回では最近の事例を見ながら、爆弾低気圧の発生の予想について解説。平地と山の天気が違うことを理解し、「高層天気図」の知識について説明する。
記事一覧 ≫
最新の記事
記事一覧 ≫
こんにちは、ゲストさん
◆東京の天気予報[山域を変更]
明日

曇一時雨
明後日

曇時々晴
(日本気象協会提供:2020年5月31日 17時00分発表)
[ログイン]
ユーザ登録・ログインすることで、山頂天気予報を見たり、登山履歴を登録・整理・分析して、確認できます。
NEW ストレスフリーの着心地!モンチュラの軽量レインジャケット
ストレスフリーの着心地!モンチュラの軽量レインジャケット しなやかな生地感と袖の立体裁断が特徴の「パックマインドジャケット」をワンダーフォーゲル編集部がチェック!
NEW 4つの脚の高さを自在に変えられるULテーブル
4つの脚の高さを自在に変えられるULテーブル 山岳ライター高橋庄太郎さんの連載。「factory-b」というブランドのULテーブル。不整地でも水平を作れるその仕組とは...
NEW サーモスで山ごはん! レシピコンテスト開催
サーモスで山ごはん! レシピコンテスト開催 真空断熱の保温・保冷力を活かした「山ごはんレシピ」を募集。ベランダで撮ってもOK。優秀作品にはプレゼントも!
NEW 関東近郊で楽しむ高原ハイキング
関東近郊で楽しむ高原ハイキング 初心者やファミリーでも山歩きを気軽に楽しめる長野・群馬・栃木の高原6選
登山は「下山」してからが楽しい!?
登山は「下山」してからが楽しい!? 登山後、すなわち下山後の楽しみの1つが山麓グルメ。ご当地名物料理から、鄙びた食堂の普通の料理まで、その楽しみ方を指南!
身近な花の物語、知恵と工夫で生き抜く姿
身近な花の物語、知恵と工夫で生き抜く姿 『花は自分を誰ともくらべない』の著者であり、植物学者の稲垣栄洋さんが、身近な花の生きざまを紹介する連載。
理論がわかれば山の歩き方が変わる!
理論がわかれば山の歩き方が変わる! 山での身体のトラブルや疲労の多くは、歩き方の密接に結びついている。あるき方を頭で理解して、疲れにくい・トラブルを防ぐ歩行...
山岳防災気象予報士が教える山の天気
山岳防災気象予報士が教える山の天気 気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。登山が知っておくべき、山と天気の関係を解説。
登山ボディをしっかり作って山へ!
登山ボディをしっかり作って山へ! 身体のリセット・メンテナンスの面から登山のトレーニングを指南。登山のための身体づくりを目指そう!
知らないと損する山岳保険の知識
知らないと損する山岳保険の知識 自立した登山者なら必ず加入しておきたい「山岳保険」、その内容や詳細について、どれだけの人が知っているでしょうか?
サクラ咲く山で花見登山! オススメ桜の名所の山
サクラ咲く山で花見登山! オススメ桜の名所の山 街でサクラが散るころに始まるサクラの花見登山。山の斜面をピンク色に染める、桜の名所の登山ポイントを紹介
花の季節の前奏曲、カタクリの花が咲く山へ
花の季節の前奏曲、カタクリの花が咲く山へ 種から7年目でようやく花咲く、春を告げる山の妖精――。ひたむきで美しいカタクリの群落がある山を紹介!