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テーマ:百名山

100 件中 51~60件表示

関東 (栃木県 群馬県)

皇海山 

標高2,144m

 栃木県西部と群馬県の境に位置し、日光火山群に属する成層火山である。  山名の由来は、木暮理太郎の「皇海山紀行」には、笄(こうがい)山と呼ばれていた山が皇開山と宛て字され、それが皇海山となり、スカイと誤読されたと書かれている。  深田久弥の『日本百名山』では原始的自然美を保っている山域として紹介されている。松木沢の源頭にすっくと屹立するその姿は気品に満ちている。現在も訪れる人は少なく、静寂そのものだ。ときおりシカの鳴き声が山肌にこだまする。  皇海山は庚申山の奥ノ院とされ、庚申山からの峰越えはかつて修験者の修行場だった。岩稜ややせ尾根の続く難コースだが、鋸山からの展望はすばらしく、360度の大展望が楽しめる。  皇海山頂からの眺めはそれほど期待できないが、苔むした岩、緑の木々、美しい花々や静けさなど補って余りあるものがある。  庚申山荘に1泊して庚申山を経由し山頂に至り、六林班峠経由で戻るコースが一般的。山荘から往復9時間。銀山平からだと往復13時間を要する。

周回 一泊二日 14時間40分
奇岩怪石と庚申講修験者の山。庚申山から皇海山へ 1泊2日

コース定数:59

北海道 (北海道)

トムラウシ山 

標高2,141m

 大雪山国立公園のほぼ中央にどっしりと構えた雄大な山だ。沼ノ原、五色ガ原辺りから眺めた、うずくまるスフィンクスのような姿は、強く印象に残る。  その頂上に近づけば、日本庭園、トムラウシ庭園、黄金ヶ原などと呼ばれるお花畑と沼がみごとに配置されて、訪れる人の目を充分に楽しませてくれる。上部は巨岩が積み重なった複雑な地形で、赤ペンキの標識に導かれて立った頂上から眺める360度の山岳展望は、この山ならではのものだ。  トムラウシの意味はアイヌ語の「花の美しい所」とする説もあるが、他の山と同じくここに発する川の名に由来するとすれば、「水垢の多い所」と解釈されることになる。アイヌ語のデリケートな発音に適当にカナを当てはめたために生じた混乱である。  どちらから登るとしても人里から遠いが、ストレートに登れるのは南方のトムラウシ温泉からの道だ。新得町から車で1時間あまり入ったこの温泉から、頂上まで6時間以上。日帰りは可能だがかなりの長丁場だ。それに、この山を単独で登ってくるだけでは、宝の山に入りながら手ブラで帰るようなものだ。トムラウシには、やはり何日かの縦走のあとに到達するのが望ましい。  一番人気のあるのは、北の表大雪方面から登ってくるコース。健脚者なら途中1泊でも可能だが、花を眺めながら、のんびりと2泊はしたい。3泊目はトムラウシと化雲岳(1954m)のコル東方のヒサゴ沼避難小屋泊まりとすれば、約2時間30分で頂上だ。この小屋は夏山シーズン中は満員で入れないこともしばしばあり、テント持参の方が望ましい。  また、南の十勝岳方面からの道もある。オプタテシケ山からの長い下りがこのコースのポイントで、やはり最低でも3泊は必要だろう。遠く石狩岳から縦走して登ってくるのは最良のコースだが、最低でも3泊はしたい。ただし、石狩岳―沼ノ原東側鞍部間の通称「根曲り廊下」は、ササが伸びて廃道に近い状態になっている。  大正9年に登った大島亮吉の名文で知られるクワウンナイ川は途中1泊だが、沢登りの経験者でなければお勧めできないのが残念である。  下山は化雲岳から天人峡への道が一般的。登るとすれば、ヒサゴ沼まで8時間の長い道だが、それでもトムラウシ温泉に次ぐ短いコースでもあり、登山口の交通の便もよい。  この山の初の積雪期登頂は大正15(1926)年5月、北大山岳部により達成された。十勝岳から短い夏用スキーを駆っての縦走行であった。

往復 日帰り 10時間40分
トムラウシ温泉からトムラウシ山往復 日帰り

コース定数:47

縦走 一泊二日 14時間35分
沼ノ原から五色ヶ原・化雲岳・トムラウシ山へ縦走 1泊2日

コース定数:54

関東 (群馬県 新潟県)

平ヶ岳 

標高2,141m

只見川の水源に近い銀山平の奥に、山名のとおり穏やかな平頂を盛り上げている山で、大正4年(1915)7月に、日本登山界の元老、高頭仁兵衛氏が人夫4名を雇い、3日間を費やして、只見川の大白沢から登頂した記録がある。 頂上部は大小の池塘を散りばめ、お花畑に飾られた高層湿原だが、登山道がなかったので、沢登りや残雪期登山の記録が散見されるだけで、一般の登山者には幻の存在であった。 昭和40年に湯之谷村が、銀山平の鷹ノ巣登山口から大倉尾根の登山道を伐開して、ようやく登山界に知られるようになった。中ノ岐川に森林伐採用の林道もでき新コースが開発され、浩宮皇太子殿下(当時)も登山された。ただし中ノ岐道は伐採事業が終了したため、現在は車での入山は不可能となっている。ただし銀山平の民宿に宿泊すれば、この中ノ岐登山口へと送迎をお願いできる。 鷹ノ巣コースは登り6時間30分を要する。平ヶ岳と池ノ岳の間には一時幕営地が整備されたが、現在は使用不可となっているため、山中に宿泊はできない。 この山も山頂付近は自然保護のため木道が延々と敷かれて、登山者に喜ばれているが、尾瀬と同様に公園の散歩道を思わせ、大地を踏み締める感触のないのが何か物足りない。 池ノ岳近くの稜線上に、玉子石と呼ばれる円形の巨岩が彫刻のように立っており、造化の妙に驚かされるであろう。

往復 日帰り 10時間50分
平ヶ岳登山口から平ヶ岳往復 日帰り

コース定数:46

東北 (福島県)

会津駒ヶ岳 

標高2,133m

 福島県南会津郡檜枝岐村に位置する。全山古生層からなる。山全体は緩やかであるが、谷は深く、壮年期の様相を見せる。  中腹に広がる大規模なブナ林、稜線直下まで延びるオオシラビソの原生林、そして山頂を形成する大湿原とそこに点在する豊富な高山植物が会津駒ヶ岳の特徴であり、魅力だ。山頂から中門岳にかけては、イワイチョウ、ハクサンコザクラ、ワタスゲ、チングルマ、コバイケイソウ、モウセンゴケなど多くの花々で飾られる。  駒ヶ岳の名も駒形に由来している。普通は白い雪形であるが、こちらは山腹に黒い馬が現れるという。また、駒ヶ岳は「駒岳大明神」が祭られ、山そのものが神であり、信仰の対象でもあったようだ。「駒岳大明神」はイザナギノミコト、アメモワカヒコが祭神。山麓の檜枝岐にはそのお堂が建ち、鎮守神が納められている。  檜枝岐には、伝統の檜枝岐歌舞伎が伝わっている。さらにはソバや温泉など多くの味わいを持った登山基地である。  コースは駒ヶ岳登山口より約4時間を要する。キリンテロより大津岐峠を経由しての所要時間は4時間30分。さらに尾瀬御池への縦走路も開かれている。

縦走 一泊二日 9時間45分
会津駒ヶ岳からキリンテへ縦走 1泊2日

コース定数:39

縦走 一泊二日 11時間5分
会津駒ヶ岳から御池へ縦走 1泊2日

コース定数:45

東北 (福島県 山形県 新潟県)

飯豊山 飯豊山・飯豊本山

標高2,105m

 飯豊連峰南部に位置する、この連峰の主峰であり、飯豊山または飯豊本山と呼ぶ。福島県耶麻郡山都町(現在は喜多方市山都町)が山形・新潟県境に細長く割り込んだ飛地。実際には、山形県西置賜郡小国町と新潟県東蒲原郡鹿瀬町(現在は東蒲原郡阿賀町)との境に位置する。  山頂は花崗岩の露岩に覆われ、一等三角点が置かれる。その東500mには飯豊山神社が祭られ、飯豊山頂小屋が建つ。連峰の最高峰は大日岳に譲るものの、その風格と歴史において、やはりこの山が盟主である。  山頂に祭られる飯豊山神社は、一説に役ノ小角の開山といわれるが、江戸時代から信仰登山の対象として開かれた。当時の登山は「飯豊詣」と呼ばれ、8月の1カ月間に限って14歳前後の若者を伴って3日3晩の間、先達の指導で山に篭る。白装束に身を固めて水ごりをとり、山頂神社でお札を授かり、奥ノ院である大日岳まで遥拝したといわれる。いわば成人の儀式であった。  それ以外の期間は、修験者にのみ許された山であった。現在でも残る地名(草履塚や御秘所など)や古銭が道端で発見されるのは、古くから行われていた信仰登山を物語っている。当然、女人禁制の山であった。飯豊山神社の神は女神であるため、女性が近づくとやきもちをやいて、その女性を石にしてしまう、という言い伝えがある。  夏でも方々に広がる豊富な残雪や多くの高山植物は、飯豊連峰の大きな魅力となっている。特に御前坂付近から本山にかけての高山帯には、さまざまな高山植物が咲き競う。そして本山からの主稜線は急坂から一転してのびやかな高原状の散歩道に変わる。本山はその境界の山でもある。  メイン登山コースは4コースある。いずれのコースも健脚であれば1日で本山に到達することも可能であるが、通常は途中の切合(きりあわせ)小屋などで1泊する。山都口は、古くからの登山コースで、途中、三国小屋、切合小屋、それに本山小屋の3軒が整備されている。川入登山口より切合小屋経由で飯豊本山まで所要9時間。バリエーションとして弥平四郎コースがあり、三国岳で川入コースと合流する。本山までの所要時間は10時間。  飯豊本山へのダイレクトコースとしてダイグラ尾根コースがある。中級向であるが、一気に標高差1500mを登るのは、苦しいものの豪快な登山を楽しめる。飯豊温泉(長者原)より11時間を要する。大日杉コースは、登山口にも山小屋が整備され、比較的取り付きやすいが、所要時間は切合小屋経由で9時間を要する。

往復 一泊二日 15時間15分
大日杉から地蔵岳・切合小屋を経て飯豊本山へ 1泊2日

コース定数:58

往復 一泊二日 16時間50分
飯豊山荘からダイグラ尾根で飯豊本山往復 1泊2日

コース定数:62

往復 二泊三日 17時間15分
川入から長坂尾根を登り三国岳・飯豊本山往復 2泊3日

コース定数:63

縦走 二泊三日 22時間15分
小白布コースから飯豊本山・大日岳に登り、川入へ 2泊3日

コース定数:77

北海道 (北海道)

十勝岳 

標高2,077m

 北海道の火山の中でも特に有名な山。過去に何度も爆発し、最近では昭和63年(1988)末の噴火で、ふもとの白金(しろがね)温泉は閉鎖、登山も禁止になった。平成2年(1990)6月に解禁になったが、噴火のたびに地形が変化し、登山道が変わる。また火山灰で道がはっきりしない部分もある。  山名は十勝(とかち)「トカプチ」川の水源であるところからきているが、意味は不明。  一般的な登山道は、夏冬ともに白金温泉から車で行ける望岳台(ぼうがくだい)が出発点となる。泥流跡の大斜面を登り、途中にある十勝岳避難小屋から北側の尾根上に出て、約4時間で頂上に達する。以前使われていた前十勝経由のコースは登山禁止だが、他に上ホロカメットク山、美瑛岳、新得側からのコースがある。  岩の積み重なった狭い頂上からの展望は、大雪山方面、トムラウシ山、東大雪の峰々などを一望できる雄大なもので、白い噴煙が足元から立ち昇り、硫黄臭が鼻をつくのも活火山らしい。  登山の歴史は古く、明治20年(1887)には硫黄鉱の調査登山が行われ、同38年(1905)には硫黄採取が始められた。ここを基地に大正9年(1920)、北大スキー部は初の冬期登山に成功した。スキーは用いずアイゼンを使用した。

往復 日帰り 5時間50分
十勝岳 望岳台から往復 日帰り

コース定数:26

往復 日帰り 6時間30分
十勝岳温泉から十勝岳往復 

コース定数:29

縦走 日帰り 6時間55分
上ホロカメットク山・十勝岳 日帰り

コース定数:27

周回 日帰り 10時間5分
十勝連峰・十勝岳から美瑛岳縦走ロングコース

コース定数:40

周回 日帰り 10時間5分
十勝岳・美瑛岳 日帰り

コース定数:40

関東 (山梨県)

大菩薩嶺 

標高2,057m

 大菩薩峠の北にあり、三等三角点が埋められている。伝説によると、甲斐源氏の祖、新羅三郎義光が奥州に遠征時、道を失ったが、木こりに化けた軍神の導きでここを越えた。彼は軍神の加護に感謝し、八幡大菩薩の名を高らかに称えた。これが山名の由来とのこと。  戦前、戦後ともにハイキングのメッカであり、中腹まで車が使える昨今はなおのことである。この山が有名になったのは、なんといっても、大正2年に始まった中里介山の小説『大菩薩峠』によってであろう。中腹の勝縁荘(休業中)には介山直筆の「大菩薩峠勝縁荘」の扁額も残る。  山頂こそ展望には恵まれないが、南面の尾根筋はカヤトの原で、日川の谷を前景にした富士山をはじめ、西側の甲府盆地を下にして連なる南アルプスは、上河内岳から甲斐駒ヶ岳まで、まさに一目千両といった感じである。  さて、昔、奈良の大仏を見た甲州人が、その大きさに驚いた。ところが彼は、「甲州に来れば小仏でも三里、大菩薩となれば八里もある」とほざいたという。甲州人はなんと負け惜しみの強い人種だろうか。  登山口の裂石(さけいし)から大菩薩峠経由山頂まで4時間、同じく丸川峠からも4時間で山頂に達する。

周回 日帰り 3時間45分
上日川峠から大菩薩嶺に登り石丸峠を経て周回 日帰り

コース定数:18

往復 日帰り 4時間15分
上日川峠から大菩薩峠経由で大菩薩嶺往復 日帰り

コース定数:17

縦走 日帰り 6時間5分
大菩薩峠から牛ノ寝通りを小菅へ 日帰り

コース定数:23

北海道 (北海道)

幌尻岳 

標高2,052m

 日高山脈でただひとつ2000mを超す山。日高山脈最高峰であり、大雪山系以外では道内唯一の2000m峰だ。  ポロシリとは、「大きな山」の意。主脈の西側に位置するため、日高側に住むアイヌの人たちからこう呼ばれていた。十勝側にある同名の山「十勝幌尻岳」に対し、こちらを「日高幌尻岳」と呼んで区別することがある。  ペテガリ岳西尾根と並ぶ日高の人気コースが、北面のヌカビラ川の登山道である。車道終点から4時間の所に幌尻山荘があり、道はここから北西尾根につけられている。左に広い北カールを見下ろす登りで、4時間30分ほどで頂上に到着する。  もう1つの登山道は南側の奥新冠ダムからのもの。アプローチの林道歩き(5時間)の後で約5時間の長いコース。  また沢登りルートとしては、新冠川本流をつめて七ツ沼に出るもの、幌尻山荘から沢を登って北カールに出るもの、十勝側の戸蔦別川を遡るものなど、いろいろなルートがある。  大正14年(1925)7月、北大伊藤秀五郎らは美生川から入山、ピパロイ岳、戸蔦別岳、幌尻岳を登頂後、戸蔦別川に下った。

東北 (岩手県)

岩手山 岩手山・薬師岳

標高2,038m

  ふるさとの山に向ひて 言ふことなし   ふるさとの山はありがたきかな  この山麓に育った石川啄木の作である。朝夕仰ぎ見る岩手山に対する思いをよく表わしている。山名の由来は諸説あるが春に鷲状の雪形が残ることから巌鷲山(がんじゆさん)の呼名がつき、それが転訛したものとか、岩手郡の名が先にあって、そのシンボルとして名づけられたとかいわれる。  この山は鬼ガ城を南壁とし、屏風尾根を北壁とする西岩手外輪山の東壁に、東岩手外輪山が生じた複式火山だ。東岩手外輪山は裾を長く引き富士山そっくりだが、西側はそれとは異なり尾根状の外輪に黒倉山、姥倉山と続く山容で「南部片富士」と呼ばれている。  登山口は幾つかあるが御神坂(おみさか)口、柳沢口、焼走(やけばしり)口、上坊(うわぼう)口は東岩手外輪山の一角で一等三角点のある薬師岳に直登できるコースだ。網張口、七滝口、松川温泉口は西岩手外輪山に登ってから薬師岳に至る多少の尾根歩きを伴うコース。  コースによって違った面白さがあるのが特徴で、5月中旬、御神坂の標高800mの混合樹林の中にびっしりと咲くカタクリ、イチリンソウの群落は、よそでは見られない光景。6月中旬~下旬にかけて1週間だけ、柳沢口の旧道の4~7合目の岩の間にチングルマ、イワウメ、イワカガミなどが咲きそろう。  焼走口の中腹にある噴気口から上部の火山磔の道では、初夏になるとピンクの花を咲かせるコマクサの大群落が見られる。  西外輪山に登る3コースは鬼ガ城か八ツ目湿原を経由する。田植えのころ、水田にたたえられた水がきらきら輝く雫石盆地を鬼ガ城から見下ろすと、大きな湖の中に人家が浮かんでいるように見える。八ツ目湿原は通称お花畑で、少し脇道に入るとオオシラビソの樹林に囲まれた御釜湖、御苗代湖が鬼ガ城や屏風尾根の絶壁を映して静寂の気配をたたえている。  焼走口、上坊口は合流して避難小屋のある9合目、平笠不動平に達する。ほかのコースはどれも9合目の盛岡不動平で合流する。どちらからも小さな火山礫の道を30分ほど登った東岩手外輪山の西のピークが山頂の薬師岳で、2000mを超えているだけに360度の展望が楽しめる。外輪の内側には妙高山が盛り上がり、そばに新しい火口の御室がある。馬返しコース8合目に避難小屋があり、夏山シーズン中は管理人が常駐する。頂上域で水があるのはここだけ。  盛岡駅前から定期バスで網張行があり、御神坂口、網張口からは日帰りもできる。松川温泉にもバスがあるが日帰りは無理だろう。御神坂口には電話がなく、車は呼べない。登りは松川口が5時間、他コースは4時間。

往復 日帰り 6時間40分
御神坂コースから岩手山へ往復 日帰り

コース定数:34

往復 日帰り 7時間10分
焼走りコースから岩手山へ往復 日帰り

コース定数:33

往復 日帰り 7時間17分
上坊コースから岩手山往復 日帰り

コース定数:32

縦走 日帰り 7時間55分
松川コースから岩手山に登り焼走りへ 日帰り

コース定数:35

往復 日帰り 8時間6分
柳沢(馬返し)コースから岩手山へ往復 日帰り

コース定数:33

東北 (福島県 山形県)

西吾妻山 吾妻山・西吾妻山

標高2,035m

 吾妻連峰の最高峰で、米沢市と福島県耶麻郡北塩原村との境をなす。基盤を覆う西大巓火山岩類をさらに新期火山噴出物が覆っているため、なだらかな山容である。全山針葉樹原生林に覆われ、亜寒帯林相を呈している。  山頂の展望は利かないが、西に見晴台があり、北の天狗岩には、吾妻神社が祭られる。  山体北西部に広がる天元台や若女平の緩やかな傾斜地は、地形の逆転現象によって生じたものらしい。かつて花崗岩からなる山地に谷が刻み込まれていたところに、火山活動により噴出した溶岩が流れて埋めてしまった。その後、埋め残された尾根の花崗岩の浸食が進み、新しい谷となった。そして過去の谷が緩やかな傾斜の溶岩台地状の地形となり、末端に赤滝、黒滝、火焔滝などを懸けている。  山頂へは白布峠から4時間ほど。縦走路のほかに白布温泉からのルートもある。

縦走 一泊二日 11時間25分
姥湯から西吾妻山・白布温泉へ縦走 1泊2日

コース定数:43

縦走 一泊二日 12時間10分
一切経山から西吾妻山へ吾妻連峰縦走 1泊2日

コース定数:43

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