本当ははかなくない!? 春の妖精 カタクリ(ユリ科)

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社会活動も生活も大きく制限せざるを得ない今、身近に咲く花の美しさに心癒されることはないでしょうか。『花は自分を誰ともくらべない』の著者であり、植物学者の稲垣栄洋さんが、身近な花の生きざまを紹介する連載。美しい姿の裏に隠された、花々のたくましい生きざまに勇気づけられます。

 カタクリは、片栗粉の「かたくり」である。
 もともと、片栗粉はカタクリの鱗茎(りんけい)からとったデンプンのことを言った。しかし、片栗の鱗茎を集めるのが困難な現在では、片栗粉はジャガイモでんぷんを原料として作られている。
カタクリは、里山に咲く春の植物である。
 春になると薄紫色の可憐で優美な花を、うつむきかげんにひっそりと咲かせる。ところが、カタクリは早春のごく短い期間に花を咲かせるだけで、春の終わりとともに幻のように姿を消してしまう。カタクリはスプリング・エフェメラルと呼ばれているが、エフェメラルには「はかない命」という意味がある。

 スプリング・エフェメラルと呼ばれるカタクリは、土の中の鱗茎で冬を越した後、早春にいち早く花を咲かせて、暖かくなるころにはすっかり散ってしまう。こうして春の間、葉で光合成を行い、栄養分を鱗茎に蓄えるのである。
 そして他の植物が生い茂る夏になるころには、葉を枯らし、翌年の春まで鱗茎で土の中で眠り続ける。このようにカタクリは、他の植物との競争を巧みに避けて生活しているのである。
 しかし、これでは光合成できる期間がわずかだから、花を咲かせるだけの栄養分を蓄えるのは容易ではない。
そのためカタクリは、種子が芽を出してから花を咲かせるまでに、じつに八、九年もの歳月を必要とする。

栃木県三毳山のカタクリ/すーさんの登山記録より

カタクリの一生は下積みの末に

 種子から最初に出た葉はごく小さい子葉である。この子葉で光合成を行い、わずかな栄養分を蓄積する。こうして蓄えたわずかな栄養分で、翌年は小さな葉を一枚つける。
 このように、わずかな貯蓄と投資を繰り返しながら、カタクリは栄養分を蓄積して、しだいに葉が大きくなっていく。その結果、八、九年間コツコツとためた栄養分で、ついに花を咲かせることができるのである。
 カタクリは長い長い下積み生活の末に花を咲かせる。
 はかない命とはいうが、実際にはそうではない。種子から枯れてしまうまで一年以内という野の草花が多い中で、カタクリは十年近くまで生きることができるのだ。

新潟県坂戸山のカタクリ/まさ10さんの登山記録より

 このように里山の生活に適して特殊な生活史を送るカタクリを、人為的に栽培するのは、簡単ではない。一方、園芸用に栽培されるカタクリにヨーロッパやアメリカ原産のセイヨウカタクリがある。
 日本のカタクリは、当初、アメリカに分布するカタクリと同じ種であるとされたが、その後、ヨーロッパのカタクリと同じとされた。やがて、ヨーロッパのカタクリの変種となり、最終的には独立した種として認められた。今では、セイヨウカタクリとカタクリは別種として扱われている。

 現在、カタクリの仲間は北半球に約二十種が分布している。 
 北米の亜高山帯に自生するセイヨウカタクリの一種に、花の黄色いキバナカタクリがある。ひっそりと控えめに咲く日本のカタクリとくらべると、やや自己主張が強い感もあるが、花も美しく、カタクリにくらべるとずっと育てやすい。
 同じカタクリでも出身国によって性格もさまざまなのが何とも面白い。

(※本記事は『花は自分を誰ともくらべない』の抜粋です。)

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【著者略歴】
稲垣栄洋(いながき・ひでひろ)
1968年生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士、植物学者。農林水産省、静岡県農林技術研究所を経て、現職。著書に『身近な雑草の愉快な生き方』(ちくま文庫)、『散歩が楽しくなる雑草手帳』(東京書籍)、『面白くて眠れなくなる植物学』(PHPエディターズ・グループ)、『生き物の死にざま』(草思社)など多数。

プロフィール

稲垣栄洋

1968年生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士、植物学者。農林水産省、静岡県農林技術研究所を経て、現職。著書に『身近な雑草の愉快な生き方』(ちくま文庫)、『散歩が楽しくなる雑草手帳』(東京書籍)、『面白くて眠れなくなる植物学』(PHPエディターズ・グループ)、『生き物の死にざま』(草思社)など多数。

身近な花の物語、知恵と工夫で生き抜く姿

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