日本山岳史上最大の謎といわれる剱岳初登頂。そのルートの謎に迫る
日本山岳史上最大の謎といわれる剱岳初登頂。誰がどのルートで登ったのかを探検家の高橋大輔さんが、さまざまな角度から解き明かして、気づいたこととは?
文=編集部 写真=高橋大輔
初登頂は平安時代!? 剱岳初登頂のミステリーに挑む
険しさゆえに明治時代に入っても人跡未踏といわれた剱岳。その初登頂は明治40年7月の日本陸軍陸地測量部の柴崎芳太郎たちであるはずであった。しかし、山頂には平安時代のものと思われる錫杖頭と鉄剣が残っていたのだ――。これは小説や映画の「剱岳 点の記」にある有名なエピソードだ。
では、登山道もなく、装備も貧弱であろう1000年以上も前に一体誰が、どのルートから登頂したのだろうか。このミステリーを解明しようとしているのが探検家の高橋大輔さんだ。
平安期は、仏教徒により日本各地の山が開山されていた時代であり、「錫杖頭」という宗教儀礼に使うものが残されていたことから、高橋さんは剱岳の初登は山岳信仰の修験者であると予想する。では、気になる登頂ルートは?
「まず考えられるのが別山尾根です。ここは現在でも剱岳のメインルートですし、立山信仰の拠点であった室堂を起点とするのも山伏にふさわしいように思えます。ただし足場やクサリ場が整備されている今とは違いますし、ロープ等もないのでかなりリスキーなコースだったでしょう。」
実際、明治期に登った柴崎隊も別山尾根ではなく長次郎谷の雪渓を登り詰めたそう。ただし、このコースも、「山伏は荒行でもない限り雪を越えて登頂を試みることは考えにくい」と高橋さんは話す。そこで浮かんでくるのが北アルプス三大急登でおなじみの早月尾根だ。
早月尾根は山頂直下こそ獅子頭やカニのハサミなどの難所があるが、別山尾根ほど岩場の登下降があるわけではない。そしてもうひとつ有力な理由がある。
当時の山伏たちは、登りながら剱岳を遠くから拝む「遥拝」の気持ちがとても強かった。別山尾根の場合だと起点の室堂から剱岳を見ることはできないが、高橋さんが調べて見つけたのが、立山川を遡り「ハゲマンザイ」という場所から早月尾根に突き上げるルートだった。
「このルートは川沿いなので、登山中の飲料水を確保しやすいというメリットがあります。さらにルート上から剱岳の姿が見えていることも多いので、遥拝できるポイントがあるのではと思いました。実際にNHKの山岳番組のクルーと一緒に登ってみたのですが、途中に奇岩や滝、岩室など山伏たちが行場に使えそうな場所がたくさんありました」
この山行で高橋さんは剱岳の初期登頂者が早月尾根を利用したのではないかという思いが深まったという。そしてこれらの体験や考察をひとつの仮説にまとめて今年書籍を出すそうだ。出版を楽しみにしたい。
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