ネパール・カトマンズに到着! 登山許可を取って、マウンテンフライトで現地へ
いよいよ、ネパール・カトマンズへ! 登山許可証を提出して、後発隊の萩原編集長はヘリで現地入り。途中で見えるエベレストはじめ、ヒマラヤの名峰を眺めながら、アウトライヤーへの思いを馳せる。
カトマンズに到着、残した宿題を片付けながら・・・
15日早朝、成田発の中国南方航空・JAL共同便で中国・広州を経由し、23時(現地時間)にカトマンズに到着しました。ひとり23キロ×2個までの荷物が持ち込めることと、その日のうちにネパールに入れること、そして値段の安さでこちらのフライトを選択。遠征隊には助かります。
空港からはホテルに直行し、無線LANが使えることを確認してから、いくつかの仕事を片付けて就寝。結局、多くの宿題をネパールまでかかえてきてしまいました。
朝起きてホテルの前の通りに出てみると、昔と変わらない光景がひろがっています。街のほとんどの道が工事中で、ホコリと排ガスとクラクションの音、音、音。それでも、どこか懐かしさを感じる街並みを、今回の遠征の手配をしてくれたコスモトレックの事務所へ。
打ち合わせをすませてから庭を借りて、ソーラーパネルとインマルサットを使った衛星モデムの作動チェックです。衛星の捕捉に時間がかかったものの、なんとか動作環境を確認してホッとひと息。これで山の中からの通信ができそうです。
登山許可申請、完了!
カトマンズ滞在初日は、衛星モデムの動作確認、後発隊の食糧チェックなどをしたのち、シャングリラ・ホテルの中庭のレストランでのんびりと昼食。表通りの喧騒とは裏腹に、ここは極めて平和な空気が流れていました。
その後、登山許可証の受け取りのためにネパール観光省へ。事務室では観光局長をはじめ4人のスタッフに囲まれながらブリーフィングを受け、登山隊長として申請書にサイン。退室時には局長が直々に安全祈願のための白い布「カタ」を首にかけてくれ、笑顔で送り出していただきました。さて、これでいよいよ入山の準備完了です。
約40日後、無事に登頂を果たして登頂証明書を受け取りにここに戻ってこられるよう、頑張りたいと思います。
マウンテンフライトでキャラバンへ
9月18日、いよいよキャラバンに出発です。朝6時30分にホテルを出て、トリブバン空港の国内線ターミナルからヘリコプターに搭乗。ここから空路、先発隊が到着する予定のグンサ(標高3590m)に向かいます。
後部座席にはカトマンズで用意した新鮮な野菜と卵、その他、食糧だけで50㎏。ここに私とムラカミ隊員の荷物が加わり、パイロットと3人が座ると座席はいっぱいです。私の席は、総隊長&カメラマンの権限でパイロットの左隣の席。これから東に向かうので、ヒマラヤの山々はずっと左の窓から望むことができるのです。
これがまた、じつに豪勢なヒマラヤ遊覧飛行でした。空港を飛び立つと、いきなり左手にガネッシュ山群が顔を出します。35年前、私が学生のときにネパールとの合同隊で遠征を試みようとした美しい7000m級の峰々です。
さらにその奥からは鋭い峰のガウリシャンカール、美しいメンルンツェと続き、しばらく後に、ひときわ高くエベレストが顔を出しました。日本の山で遠くに富士山をみつけたときと同じように「あ、エベレスト」と思わず口に出したら、パイロットのダーリ氏はヘッドセットを通して「そのとおり!」と、深くうなずいてくれました。
続いて、これまた鋭く美しい山容のジャイアンツ、マカルーが、雲を突き抜けて姿を現わしました。このあたり、眼下は山岳地帯に入ってきて3000m級の緑の山々が広がり、山懐にはぽつんぽつんと集落が点在しています。
コックピットのGPS装置(ヘリナビ?)の画面のなかに、先発隊のキャラバン出発地点、タプレジェンの名前が見え始めると、今度は正面に大きなカンチェンジュンガ山群が姿を現わしました。なかでも孤高の7000m峰、ジャヌーの鋭峰がぐんぐん近づいてきます。足元を見ると、深い渓谷にはいくつもの吊り橋がかかり、1週間前に先発隊が歩いた道が、切れ切れに見えるようになりました。そして谷が少し開けてくると、グンサの集落に到着です。
カトマンズから約2時間。先発隊が43人のポーターとともに1週間かけてたどり着いたグンサの集落へ、実にあっけなく到着しました。空からヒマラヤの大展望を楽しみ、1週間の行程を短縮できるヘリの利用(チャーター便なので約1万ドルかかっています・・・)は、まあ、悪くない選択かな、と感じました。
3590mの簡易ヘリポートに降り立つと、先発隊からひとり抜け出して我々に会いに来た4年生部員、ホンダ隊員が迎えてくれました。彼は今年、某国営放送に内定が決まり、練習のためとビデオカメラを購入。後発隊の到着シーンを撮影するために、早朝から歩きどおしでグンサに駆けつけたそうです。
ともあれ、これでようやくアウトライアー(Janak Chuli)登山のスタート地点に全隊員がそろったことになります(私たちはキセルしちゃいましたが・・・)。あとは自分の足で少しずつ、高所に慣れながら、そしてルートを探しながら、頂上をめざします。
プロフィール
萩原浩司(はぎわら・ひろし)
1960年栃木県生まれ。青山学院法学部・山岳部 卒。
大学卒業と同時に山と溪谷社に入社。『skier』副編集長などを経て、月刊誌『山と溪谷』、クライミング専門誌『ROCK&SNOW』編集長を務めた。
2013年、自身が隊長を務めた青山学院大学山岳部登山隊で、ネパール・ヒマラヤの未踏峰「アウトライアー(現地名:ジャナク・チュリ/標高7,090m)」東峰に初登頂。2010年より日本山岳会「山の日」制定プロジェクトの一員として「山の日」制定に尽力。
著書に『萩原編集長危機一髪! 今だから話せる遭難未遂と教訓』、『萩原編集長の山塾 写真で読む山の名著』、『萩原編集長の山塾 実践! 登山入門』など。共著に『日本のクラシックルート』『萩原編集長の山塾 秒速!山ごはん』などがある。
アウトライヤー 萩原編集長のヒマラヤ未踏峰挑戦記
NHKの「実践! にっぽん百名山」の解説などでおなじみ、萩原編集長こと萩原浩司氏は、2013年秋、ネパール・ヒマラヤ未踏峰、「アウトライアー(現地名=ジャナク・チュリ)」を目指した。 母校である青山学院大学の山岳部のOB会長も務める萩原氏は、自ら総隊長としてこの遠征隊に参加、その準備から登頂、そして帰国までを萩原氏の目を通しながら伝えていく。