森に生きるクマ|北信州飯山の暮らし

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日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から森と山を行き来する日々の暮らしを綴ります。第6回は、森に深く関わっていくきっかけになった出会いについて。

文・写真=星野秀樹

 

 

ある日、森の中、クマさんに出会った。

そのクマは、沢筋に残った雪渓の脇で、なにやら新鮮なアオものを漁っていた。僕に気づいたか、気づかなかったか分からないけれど、もちろん「お逃げなさい」などとは決して言わず、やがてゆっくりと、対岸のヤブ斜面を登り始めた。

僕が鍋倉山の森へ本格的に通うようになったのは、2005年2月のこと。その2年前に、とあるスノーシューイベントが縁で、飯山へ足を向けるようになったのがそもそものきっかけだ。当時の僕は「自分の森」をあちこちと探し歩いている最中だった。まだ神奈川県に住んでいるころだったので、丹沢や富士山麓へ、時間を見つけては森探しに出かけたものだが、どうしてもしっくりくる森に出会うことはなかった。
結局僕が探していたのは、雪+森=ブナ、という公式だった。雪が好きで、森に興味があって、となれば選択肢はブナ林しかない。そこに縁が、鍋倉の森へと僕を導いてくれたのだった。
そうして出会ったこの森は、原生林ではない。手つかずの大自然などでは決してない。小さくて、人の暮らしの気配がして、だから、豪雪地帯なのに暖かい。人の暮らしと地続きの森の大きさが、心地よく、僕にはちょうどよい広さに感じられた。

小さな沢を挟んだ対岸の、ちょうど僕の目線の高さに落ち着いたクマは、周辺の笹ヤブを踏み固めると、ゴロリと横になって昼寝を始めた。時折大きく寝返りを打つ以外はほとんど動きもなく、ヤブの中で腰を据えて眺める僕も、思わず居眠りをしてしまう。
雪解けの沢音。ブナの若葉を揺らす風。目の前のヤブでさえずるミソサザイ。
森で、「今」を、クマと共有して過ごす贅沢。
この時、時間と空間のすべてが、僕とクマ、森のすべての物たちだけのものになった。

 

 

森に通い始めて3年もたったころ、しかし、心地よかった森の大きさが、なんだか地味で、面白みのないものに感じられ始めた。アラスカの原生自然を撮り続けた写真家の作品。カナダでガイドを始めた友達の話。そんなものが、地味なヤブ森に通う自分に、嫉妬や迷い、焦りを抱かせたのだった。
ちょうどそんな時だったのだ。
森で、クマに出会ったのは。

クマは昼寝を終えて、再び沢底へ下り始めた。自分の退路が断たれる危険を感じて、すぐに荷物をまとめて下山にかかったものの、すでにクマが、僕の向かう先で昼寝後の食事を始めていた。
さすがに危険を感じ、自分の存在を、手を打ってクマに知らせる。あまり驚かさないように、控えめに。しかしこちらの意に反し、ゆっくりと、堂々と、僕に向かって歩き始めた。
大きい。黒々と美しい毛並み。
もっと大胆に手を打ち、自己主張する。しかしクマは、不思議なほどに自分の存在を僕にさらしながら、さらにゆっくりと近づいてくる。
そして突然、何の前触れもなくクマは進路を変えると、急なヤブ斜面へと消えていった。

以来、僕は、つまらない嫉妬心を抱くことなく、この森に通い続けている。あんな大きな生き物を、この森が育んでいることを知ったから。小さくて地味だけれども、多様で美しい森であることに気づかされたから。
あの日アイツは、僕にそのことを教えてくれたのだ。

 

 

●次回は8月中旬更新予定です。

星野秀樹

写真家。1968年、福島県生まれ。同志社山岳同好会で本格的に登山を始め、ヒマラヤや天山山脈遠征を経験。映像制作プロダクションを経てフリーランスの写真家として活動している。現在長野県飯山市在住。著書に『アルペンガイド 剱・立山連峰』『剱人』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(山と溪谷社)などがある。

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