田中陽希さん旅先インタビュー。雪の鳥海山登頂後、長期の「空き家自粛生活」に。葛藤、新たなチャレンジなど、4月から7月中旬までの旅の様子

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3月末に宮城・山形県境の船形山に登頂した田中陽希さんだったが、新型コロナウイルスの影響で外出自粛の傾向が強くなり、鳥海山の登山を前に、「緊急事態宣言」が7都府県に出され、一時的にSNSでの発信を取りやめた。鳥海山の登山と、「空き家自粛生活」を振り返る。

POINT
  • 4月唯一の登山は百名山の雪の鳥海山で
  • 運良く、空き家を紹介され、自粛生活がスタート。長期停滞を覚悟する
  • トレーニングを欠かさず。新たなチャレンジも
  • 旅が進まない葛藤、そして、孤独との闘い
  • この先の旅は・・・? 長雨で停滞も、「東北の山をしっかり味わう旅にしたい」

 

4月唯一の登山は百名山の雪の鳥海山で

4月4日に鳥海山の麓にある山荘に着き、そこから数回、下見登山をしました。

鳥海山は、日本海からわずか約15kmのところに標高2000m以上の山がそびえていて、風速10mで雲が湧いてきます。標高1200m以上ではホワイトアウトしてしまい、50m先も見られない状況になる、という状況を掴むことができました。

雪山シーズンには何度も行ってきた下見登山。登山靴、スノーシュー、スキーで


降雪で3日間停滞している間に、事務局からスノーシューを取り寄せ、2回目の下見はスノーシューで、3回目、4回目の下見はスキーでやってみました。

4月17日、朝6時半に出発。夏のコースタイムで8時間半の行程です。標高650m以上で雪上になり、カリカリの雪の中をスキーで登りました。滝の小屋まで2時間かけて登り、湯ノ台道を進みました。急登を登って外輪山に出ると、雪がなく、岩が露出していたので、スキーをデポして、アイゼンで進みました。ほかに10人くらい登山者がいたでしょうか。

積雪が増えた鳥海山。最終的には山スキーで挑戦した


鳥海山は山頂付近が火口の窪地で、その中に、山頂の新山があります。新山では1時間半くらい過ごしました、東側が霞んで見にくかったのですが、北側を向くと、遠くは岩木山まで、これから進む予定の東北北部の山々を全部見ることができ、嬉しかったです。

アイゼンに履き替え、外輪山の縁から新山を見る


登頂後は山荘に戻り、ここでしばらく自主的な隔離生活をしていたものの、山形県内の宿泊施設が次々と営業自粛になっていき、行き場が限られてきました。

コロナ禍で、自分のチャレンジを快く思わない人がいるかもしれません。とはいえ、山形まで来ていますから、神奈川の自宅に帰るにも、県をまたいで移動しなくてはならない。そこで、当面、山形県内で自粛生活することを決めました。

(編集部から)
新型コロナウイルスの感染拡大によって、田中陽希さんの「日本3百名山ひと筆書き」の人力旅は、長期停滞を余儀なくされた。4月22日から、山形県酒田市内で、約3ヶ月間の、「空き家自粛生活」となった。

 

運良く、空き家を紹介され、自粛生活がスタート。長期停滞を覚悟する

特別措置で長期の隔離生活をさせていただいた山荘の支配人さんが、先々を心配してくださいました。自分のチャレンジを知っていた酒田市役所の方から、すぐに住めるようなご親族の空き家があると紹介いただき、貸してくださることになりました。

こういうことは初めてのことで、借りて良いものか、迷いました。この百名山の旅は、行く先々で宿を探し、宿に泊まりながら進んできましたが、停滞している間も、宿代がかかり続けます。頼みの宿泊施設も、次々と営業自粛に入っていき、いつまで続くかわからない状態でした。山荘の支配人さんから、「ここは『あまがりなさい(地元の言葉で、好意に甘えなさい、という意味)』」と背中を押していただいて。一晩考えて、ご好意に甘えることにしました。

一軒家で、徒歩圏内にスーパーや薬局があり、人力チャレンジ中の僕にとっては、とてもよい場所でした。


SNSには自炊料理の写真が並んだ。毎日3食を自炊して過ごした


何のために自粛生活をしているのかは忘れずに過ごしました。まず自分が感染しないこと、周りに感染させないこと。地域の人に迷惑をかけないように、基本、3食自炊で過ごしました。

近所の方から声をかけていただくことはありますし、スーパーに買い出しにもでかけますが、この新型コロナウイルスの感染リスクを極力避けるために、自分から人と接触しないように、トレーニングと食事のための買い物だけにとどめました。外食に行ったのは、わずか2回だけですね。

外食はたった2回。徹底した自粛生活で、感染リスクを抑えた

 

トレーニングを欠かさず。新たなチャレンジも

体力を落とさないようにするため、一人でできること、感染リスクを避けてできることは、ランニングです。毎日、平均して、2時間くらいかけて、あまりスピードを出さず、20km前後走ってきました。

平均20kmのランニングで体力維持


最初のうちは、スマホの地図を見ながら、あっちの道、こっちの道と、コースを開拓していきました。山間部に行って滝を巡ったり、川を下って海まで行ったり。4月下旬からでしたので、花がきれいな時期や、田んぼに苗を植える時期など、いろいろありました。約3ヶ月間、駆け抜けた庄内平野の季節の変化に、救われたこともたくさんありました。

海へ、山へ。周辺の道はほぼすべて走った


家の周辺の道はすべて走り尽くして道も覚えたので、家を出て、最初の分岐に立って、「今日はこっち」とかを気分で決めて走るようになりました。

6月の中旬には、THE NORTH FACEアスリートと一般参加者による、ランニングログアプリ「STRAVA」を使った、1週間の走行距離を競うチャレンジが開催されました。自分もアスリートとして参加し、3百名山にちなんで、300kmを目指しました。

1位は、トレイルランナーの横山峰弘さんで、328.7km。自分は、209.5kmで9位でした。週300kmを目指して、7月に、もう一度、自分一人でチャレンジしましたが、300kmには届かず、246kmでした。

フルマラソンの大会には出たことがないのですが、どのくらいのタイムで走れるのか、「STRAVA」で、一人、42.195km走もやってみました。結構本気で走って、3時間51分、サブ4は達成しましたが、30km過ぎからはペースが落ちてしまいました。

そんなわけで、空き家自粛生活中、走った距離は、4月22~30日で147km、5月は543km、6月は546km、7月は16日までに、325km、約3ヶ月で1500km走りました。

体脂肪が落ちて、体重が落ち、ランナー体型になりました。登山に必要なお尻の筋肉は落ちてしまっているので、登山が再開されたら、また違う筋肉が必要になるのだと思います。

左は6月後半。稲が伸び、鳥海山の残雪も少なくなった(右は4月上旬の写真。比べてみよう)


この空き家自粛生活期間中に、SNS「インスタグラム」を使ったライブ配信にチャレンジしました。

東北地方に来て、これまで各地で開催してきた旅先交流会が、コロナの影響で開催できないことになったので、何か代わりにできることはないかと、事務局と相談していました。

毎日、SNSを更新していて、ファンの方からのコメントや質問に答えていたのですが、答えきれないようになってきたので、ファーストエイド、ストレッチとリカバリー、パッキングについてとテーマを決めて、3回、やってみることにしました。

インスタライブに初挑戦! イラストを描いてSNSで告知


初めてで、教えてくれる人がいるわけでもなく、やり方もわからずにやってみました。

いつもの交流会だったら、会場で参加者の方の顔を見て話しているのに、一人でスマホに向かって話していて、画面には自分しか映っていない・・・・・・。スマホの画面にはコメントや質問が来るし、イラストを描いて用意していたのが、逆さに映っていたようだし(2回目以降は、逆さ文字で書いて、解決)、わからないことだらけで、「不思議な感じ」でしたが、平均して1500人くらいの方が参加してくださいました。

インスタライブでは左右逆に映ることがわかって、鏡文字を書く


旅先交流会だと、その地域の方の参加が中心になるのですが、日本中から参加できるという点では、新しい体験ができました。

※新型コロナウイルスの影響が長引いて、最終的には、番外編を2回行い、時間も延長したりしながら、計5回のライブ配信を行った。

 

旅が進まない葛藤、そして、孤独との闘い

一人で毎日生活していると、トレーニングや家事以外の時間、テレビを見る時間が圧倒的に増えました。コロナウイルス関連のニュースを見ることが多く、多少不安を煽るような演出もあるかな、と思いつつも、楽観視できないし、緊急事態宣言、外出自粛という初めての経験を一人で過ごしてきました。

昨年も梅雨に1ヶ月、静岡県で停滞をしました。動けなかったし、先も見えなかったけど、地域の人との交流ができました。小学校に招かれて講演を頼まれたり、地域のお祭に参加して、その地域のことや文化を知ったりすることができました。

今年はそれができない停滞です。

インスタライブの準備で絵を描いたり、電話でインタビューを受けたりして、気を紛らわすことができているときは良かったのです。緊急事態宣言が段階的に解除され、経済活動が再開され、人の往来が増えた6月中旬以降は、かえって不安が高まってきました。

滞在先の空き家に揃った旅の道具たち


山形県でも60日以上感染者が出ていない状況でしたが、徐々に人の移動が活発になってきて、誰が感染しているかわからない状態になりました。自分はとにかく感染しないよう、迷惑をかけないように注意をして、必要最低限のこと以外は外に出たり、人に会ったりしないようにしていました。

ここまで2年以上の3百名山の旅では、今の社会の時間感覚と違い、ゆっくりとした旅を続けてきました。天気や自然には抗えず、「自然のリズム」に沿った過ごし方をしてきました。しかし、コロナウイルスのために、ずっと留まっていると、季節がどんどん進み、時間だけが無情に過ぎていくような焦りを感じました。

空き家自粛生活が、1ヶ月、2ヶ月と経ち、自分の旅を進められないことや、6月下旬以降、感染者数が再び増えていくことの不安も重なって、情緒が不安定になることもありました

孤独、不安、葛藤からランニングにも出られず、一日中、家で過ごした日もあった


7月に入って、九州で熊本を中心に豪雨災害がありました。

人吉盆地は百名山の旅のときから、3度とも通ったところです。上流のダム沿いも歩いています。大分の日田市も通りました。自分が歩いて見てきた景色が、テレビでは一変していました。豪雨で水かさが溢れたときには、球磨川を中心に活動するラフティングカンパニーが消防と連携して救助活動を行ったことをテレビで目にしました。

今回の豪雨のような大雨が、最近は毎年起こるようになっています。気候の変化、環境の変化に気づかなくてはならないと思います。各地を旅して思うのは、大水が出やすいところというのは、そういう地名が付いていて、後世に土地の由来を伝えようとしているんだなということです。

 

この先の旅は・・・? 長雨で停滞も、「東北の山をしっかり味わう旅にしたい」

7月中旬には再出発予定ですが、困ったことに、コロナが落ち着いてきたと思ったら、長雨での停滞です。天気予報も日によってコロコロ変わり、梅雨の中休みがほとんどなく、出発できないでいます。皮肉なことに、外出自粛していた5、6月は良い天気が多かったです。まだ東北の山が半分以上残っているのに、すでに冬を気にし始めています。ここから北へ北へ進んでいくので、実質、山に登れるのは10月末まで。3百名山の旅の前に、11月の、初冬の北海道の山を体験しましたが、とても楽しめるものではないと知っています。

もともと感染者数の少ない東北地方ですが、先日山形県内で60日ぶりに感染者が、一人出ました。梅雨で留まっているうちに、東京の感染者数が増えてきたのも不安要素です。

海岸まで走って夕日を望む


振り返ると、2020年に入って、1月は登れたけど、後半から2月までは一時帰宅。3月は少し登ったけど、4月は1座のみ。計画は大幅に遅れています。せめて今、北海道まで来ていたなら、と思うこともあるけれど、一方で、昨年のうちに南アルプスや富士山が終わっていて良かったとも、今となっては思います。

百名山の時も、二百名山の時も、東北地方の山は雨の日が多かったので、できれば天気の良い日に登りたい気持ちが強いです。計画が遅れているからといって、百名山のときのように、急ぎ足で進むことはなく、自分の旅を進めていきます。

 

*****

7月17日、酒田市で長期滞在した空き家をようやく出発し、神室山から旅の続きを再開した。ここから先の旅の模様は次回以降に。

 

取材日=7月7日
協力=グレートトラバース事務局

 

今回のレポートで登った山

鳥海山 [4月17日]

プロフィール

田中 陽希

1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。

https://www.greattraverse.com/

田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー

2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!

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