田中陽希さん旅先インタビュー第28弾! いよいよ本州最終盤。秋田・青森の5つの三百名山へ!!

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田中陽希さんの「日本3百名山ひと筆書き」の旅。本州の三百名山も残り5座。秋田県から青森県にかけて、約1ヶ月の旅の様子を振り返る。ひとつひとつの山にていねいに向き合い、それぞれの山をじっくり味わい尽くし、シーカヤックで北海道へと渡った。

POINT
  • 本州の三百名山も残り5座。秋田県から青森県の山とていねいに向き合う
  • 本州最後の八甲田山。本州最後の一座はゆっくり時計回りのコースで
  • 旅を始めて2年9ヶ月。シーカヤックで北海道へ横断

 

9月1日、この日も日差しが強い中での移動の日でした。今年はあと4ヶ月ですが、北海道の山のことを考えると、実質2ヶ月半しかないと考えていました。

9月2日は、秋田市にある三百名山の太平山に登りました。三百名山は、五葉山以来でした。

秋田市民の山として、校歌にも歌われる山。三吉神社があるため「みよしさん、さんきちさん」とも呼ばれ、奥岳・剱岳・前岳、中岳と連なる、大きな蛇のような山容から「蛇ばみ岳」とも呼ばれている山だそうです。

南東の丸舞(まるまい)ルートは沢沿いで、水がきれいでした。昔、鉱山があったようで、トロッコ道だったらしい幅の広い登山道を歩き、急登を登った山頂では、出迎えの方がたくさんいました。

山頂では雲が出てしまい、1時間半ほど過ごし、晴れるのを待ちました。岩木山、白神岳がうっすら見え、秋田市や日本海がよく見えました。また、山頂にあった奥社には、役行者さんの創建と書いてあり、こんなところまで来たのかと驚きました。

太平山の稜線を進む。前岳までは厳しい縦走路だった


南西の稜線を縦走し、前岳までは厳しい縦走路でした。太平山の標高は1170mですが、「山の険しさは標高ではない」と再認識しました。太平山を終え、残り30座となりました。

9月4日、台風の影響で雷雨の中でしたが、阿仁前田まで41km、移動しました。大学のスキー部の先輩の出身、上小阿仁村(かみこあにむら)には、大学の合宿の時以来の再訪となりました。

雨の中、上小阿仁村へ/秋田内陸鉄道・阿仁合駅にて記念撮影


翌日も21kmの移動でした。阿仁合駅で昼食を取り、ゆっくり過ごしました。94㎞、29駅あるという秋田内陸縦貫鉄道は、奥羽山脈に沿って走り、鉄道ファンにも人気の路線だそうです。秋田犬がトレードマークの「犬っこ列車」が有名ですが、8色あるカラーのうち、5色を見ることができました。阿仁合駅で上小阿仁村出身の先輩が会いに来てくれ、再会することができました。

9月6日は、二百名山の森吉山に登りました。

阿仁ゴンドラの動き出す前に登ろうと、6時に宿を出発し、9時過ぎには山頂に立ちました。途中のブナ林がきれいで、山上の雪田地帯では灌木帯で見晴らしが良かったです。

ゴンドラを使わずに登る人は少なく、5年ぶりの山頂はとても静かでした。南には鳥海山、北には青森の山々が見えました。13時には麓に下山し、これで秋田の山は最後になりました。

マタギの暮らす阿仁地方なのですが、下山後の林道でクマに遭遇しました。こちらが歩いているのを見て、木の上から慌てて下りて、逃げていきました。

翌日は、北秋田市を移動。途中、5年前に立ち寄った小学校を再訪しました。コロナ禍で、残念ながら短時間の訪問となりましたが、6年生の男の子が、「1年生の時に、番組見てました」と言ってくれました。

白神岳に向けての移動は、日本海沿いの、五能線と並行している国道を北上していきました。昼食は、秋田名物ハタハタとフグの天ぷらを食べました。

八峰町の海岸で。酒田停滞時以来の日本海/名物ハタハタとフグの天ぷら丼


その後、秋田・青森の県境を越えました。これまでいろんな県の県境を超えてきましたが、徒歩での県境横断はこれが最後でした。

秋田県から青森県へ。徒歩での県境越えはこれが最後


9月11日は、二百名山の白神岳に登りました。登りは5年前と同じルートでしたが、二百名山の時は、山頂を往復しただけでしたので、記憶がほとんどありませんでした。

今回は、まず、整備されているマテ山ルートを経由して、3時間で稜線へ。青森1座目、三百名山の旅では、273座目となる白神岳に登頂しました。

そして、山頂からは北へ。十二湖縦走コースへ進みました。宿で聞いたところ、4日前に登ったご夫婦が、山頂から6時間かけて縦走したとのことでした。

しかし縦走路は、崩山まで、胸丈の深い藪こぎでした。

白神岳から十二湖への縦走路は藪こぎに


標高が下がってくると、笹のトンネルのようになり、観光客で賑わう十二湖の青池まで、4時間かけて縦走しました。

「十二湖」の名前は山の上からみると12あるように見えることからその名前になったそうですが、実際には30以上の湖・池が点在しているそうです。

9月14日、雨の中でしたが、次の岩木山に向けて進みました。

日本海に面した道路脇には、イカ焼きのお店がたくさんありました。普段、イカを好んで食べることはないのですが・・・新鮮なイカは美味しかったです。今は、水揚げ量が減って、値段が上がっているのだそうです。

日本海を臨む/「驫木駅」、読めますか?


五能線の通過に合わせて記念撮影/日本海でイカ焼きを食す


岩木山は、山の南東にある、岩木山神社から登る百沢ルートと決めていたので、北西にある鰺ヶ沢から、一日かけて、岩木山をぐるっと半周しました。ちょうど「つがる」という品種のりんごの収穫期でした。

9月16日、天気予報では良かったのですが、朝になると雨が降っていて、出発を遅らせました。寒気が入って西風が吹き、前回と同じようになってきて、よい感じではありませんでした。引き返そうかとも思ったのですが、翌日も同じような予報でしたし、迷いながら登っていきました。風が冷たく、錫杖清水の水も冷たかったです。

コロナ禍でいろいろな行事が中止になっている中で、この日は、奥宮の社務所がこの3日間だけ開くという特別な日で、登山者が大勢いました。九合目からは、クルマとリフトで上がってきた登拝の人たちも合流してきます。

寒い中、登るか引き返すかを迷いながら、ガスの中を登っていくうちに、山頂には「着いてしまった」という登頂でした。この日はコーヒーも忘れてしまったので、ペットボトルにお湯を入れ湯たんぽ代わりに待っていたら、次第に晴れてきて、津軽平野や弘前市の街並みを見ることができました。

気持ちに迷いがありながらも登頂した岩木山。晴れた!


迷いながら登り、気持ちの整理が付かないまま登頂してしまった岩木山でしたが、最後は晴れましたし、開いていた社務所で御朱印をもらい、御守りも買いました。岩木山神社に下山したところ、今年は特別な形となった、登山囃子と下山囃子の奉納にも立ち会うことができました。

最終的には、こういう特別な日に登れたことに感謝して、岩木山の登山を終えました。

現存十二天守の最後のひとつ、弘前城へ。石垣工事のため天守が移動していて景観が変わっていた


日本一太いソメイヨシノ


移動の途中、「津軽藩ねぷた村」に立ち寄りました。「ねぷた」は、眠気払いが起源で、「ねむてー」が、「ねぷてぇー」になったとか、大きさの青森と高さの五所川原があるのだとか、知ることができました。太鼓を叩いたり、三味線を聴いたり、楽しい体験になりました。

津軽藩ねぷた村にて


9月18日は、雨の中、八甲田山の山中にある酸ヶ湯温泉へと進みました。いよいよ本州最後の一座、八甲田山に登ります。

上路式アーチ橋として日本一の長さ・城ヶ倉大橋を渡り、酸ヶ湯温泉へ


八甲田山は、6年前の百名山のときは、十和田湖から走ってきて、14時に酸ヶ湯につき、最短距離で登頂し、約2時間で往復しただけでした。だから、今回はじっくり歩きたいと思っていました。

9月19日、酸ヶ湯から出発し、ゆっくり時計回りのコースを進みました。毛無岱では曇ってきて、山頂付近が見えなくなってきました。

午後から回復するという予報を信じて、山頂手前の避難小屋で、昼食を採りながら3、40分過ごしていたら、どんどん晴れてきました。

赤倉岳では曇り。次第に晴れて、最高峰・大岳が見えてきた


13時過ぎ、ついに、八甲田山・大岳に登頂しました。

今いる北八甲田の山々の全容や、南八甲田の山々も見渡すことができました。津軽半島や下北半島、陸奥湾まで見えました。先日登った岩木山も見ることができました。

八甲田山・大岳山頂にて。


東北最後、本州最後と考えたら、名残惜しくて下山できず、山頂には1時間以上いました。

酸ヶ湯温泉までの下山は、1時間で、あっという間でした。極めてぜいたくな登り方ができ、ここまでの旅が集約されていたと感じました。すっきりと晴れ、感無量でした。

本州最後の一座をたっぷり味わった


9月20日、八甲田山から、青森市内へ下っていきました。

台風が来ていたので、津軽半島の先の方には進まず、波の収まり具合を見ながら、市内でやり過ごしました。

その後、2日かけて、津軽半島を北上し、9月29日、シーカヤックで北海道に向けて漕ぎ出しました。

竜飛岬に向けて移動の途中、北海道新幹線の停車駅・奥津軽いまべつ駅に立ち寄る


海峡横断で、龍飛岬まで漕ぎ進んだところで、東北を・本州を離れるんだなぁと、感慨深いものがありました。

 

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本州の山を登り終えるのに、2年9ヶ月かかりました。

蓬莱山で指を骨折しましたが、それ以降は、大きなケガはなく、旅を続けることができました。

昨年の長梅雨での停滞、雪不足による計画変更、そして、新型コロナウイルスでの3ヶ月の自粛生活と、想定外のことが何度もありました。

特に、新型コロナウイルスの影響は、誰もが経験のないことだったですが、旅の途中だったことで、目標を見失わずに済みました。旅が終わったあとにコロナ禍だったら、アドベンチャーレースの大会に出ることもできず、報告会・講演会などもできなかったでしょう。ずっと山・自然と対峙して旅を続けてきたので、それも良かったのかもしれません。

旅を始めて2年9ヶ月。ついに北海道に入った

 

*****

シーカヤックでの津軽海峡横断を果たし、ひと区切りかと思ったのだが、田中陽希さんはその翌日の9月30日には、北海道1座目となる、大千軒岳に登頂した。いよいよ北海道の山々への挑戦がスタートしたのだ。

 

取材日=10月13日
取材協力=グレートトラバース事務局

 

関連リンク

人力10,000kmの山旅。日本3百名山ひと筆書きに挑戦中の田中陽希さんを応援しよう!
もっと知りたいという方は、ウェブサイトで。
グレートトラバース事務局ウェブサイト
http://www.greattraverse.com/

 

今回のレポートで登った山

太平山 [9月2日]

森吉山 [9月6日]

白神岳 [9月11日]

岩木山 [9月16日]

八甲田山 [9月19日]

プロフィール

田中 陽希

1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。

https://www.greattraverse.com/

田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー

2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!

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