山の足音が聞こえる――『山に生きる 失われゆく山暮らし、山仕事の記録』

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評者=甲斐崎 圭

山に生きる 失われゆく山暮らし、山仕事の記録

著:三宅 岳
発行:山と溪谷社
価格:1760円(税込)

 

木が語りかけてくる。山の声が聞こえる……。そんな空気を感じさせる一冊である。

本書にはゼンマイ折り、筍採り、炭焼き、馬搬、山椒魚漁、独楽作り、かんじき作り、手橇遣い、漆搔き、木馬曳き、ばん茶作りなど、山を仕事の場として生きる人たちの仕事と暮らしが収められている。一見すると日常の暮らしの中で特に〝山〟を意識することなく使ったり目にしたりしている道具や日常雑器であったりする。たしかに「ワカン」と呼ばれるかんじきなどは私も冬、春先の山に入るときの必需品になっているが、それが山仕事で作られたものだと意識したことはなかった。「ほら、これが山仕事なんだヨ」と教えてくれているような気がする。

本書の「まえがき」冒頭に「ここは山の国」と三宅さんが書いているように、日本は古くからその暮らしが山とは切っても切ることのできない国であった。山にある仕事場から、人の手と力、知恵と技によって木が切り出され、さまざまな材料や道具、雑器などが生み出されてきた。それが山の伝統であり、歴史であった。三宅さんも「かつて、木材ほど活躍の多い素材は皆無であった。住宅の骨組みから内装に至るまで、大型家具から日用品に至るまでの道具類一切合切、さらには調理でも暖房でも木材がエネルギー源」だったと書いている。

しかし、本書を読んでゆくうちに、時代が進むとともに山での仕事の形態や山に生きる人たちの暮らしが変化してきていることが伝わってくる。時代とともに山での仕事は運搬手段が機械化されたり自動車が発達したり。手仕事だったものも道具が開発されて機械化されたりで山仕事の場は縮小、消滅してゆくことになる。いや、それだけではない。山が開発され、ダム建設や林道拡張などで山の仕事場は失われてゆく……。時代の変化で廃村、廃屋になったところもある。宮城県七ヶ宿町、炭焼きの話の中で、「直線距離で約九十キロという近場に位置する福島第一原子力発電所の事故」で現場の炭焼きの人たちにとっては精神的にも大きなダメージになったとあり、こんなところにまで原発の影響があったのかと衝撃的であった。

山仕事が時代とともに大きく変化してきたことがわかるが、変わらないのはやはりその仕事が危険と隣り合わせだということではあるまいか。

私たちが日常何げなく触れ、使っている木。三宅さんは木馬曳きの中で、「木馬が姿を消してしまったのは、効率が悪いということもあったかもしれないが、体力勝負であること、そして命に関わる危険な労働、ということが大きい」のではないか、と推測している。それは長い年月をかけて山で生きる人たちの現場を訪ね、丹念に取材してきた三宅さんならではの体感から出た感想ではあるまいか。

山で生きる人たちの暮らしや仕事も時代の変遷だけでなく、高齢化などでずいぶん変化してきたようだが、京都府福知山市の漆搔きはNPO法人設立で新しい息吹が生まれ、新潟県旧湯之谷村(現魚沼市)のゼンマイ折りではお孫さんがゼンマイ小屋を手に入れ、日帰りながらも伝統をつないでいるという。形を変えながらではあるかもしれないが、山の音は流れ続けるのではあるまいか……。

それにしても。この一冊は文章はもとより、やはり写真がすばらしい。一点一点が深く、鋭く、敏感に山の足音を訴えてくるのである。それはやはり三宅さんが山を、あるいは山に生きる人を対象に仕事をしている写真家だからだろうし、三宅さん自身が「山に生きる人」だからだろうか。

山深し。生きる、人……。

 

評者=甲斐崎 圭

1949年、島根県生まれ。山や海などのフィールドで取材。フィクション、ノンフィクションともに山暮らしや海に生きる人々を訪ね、自然と人との関わりをテーマにした作品が多い。著書に『山人たちの賦』(山と溪谷社)ほか多数。​​​

山と溪谷2021年11月号より転載)

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