他人事ではない生還へのヒント『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』【書評】

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評者=本郷博毅(山岳ガイド)

山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難

著:羽根田 治
発行:幻冬舎
価格:990円(税込)

 

山での遭難といえば、道迷い、転・滑落、雪崩などを連想する方が多いと思うが、過去の常識では考えられない「まさか」ということが近年の山では起きている。本書では数々の「まさか」が紹介され、興味深い事例がいくつか取り上げられており、あらためて山に存在する隠れたリスクについて考えさせられた。

上高地の小梨平キャンプ場におけるクマの人身被害。テントを襲うという前代未聞の事件はかなり衝撃的だった。以前のクマは人の気配を感じたら距離を保とうとしていたはずだが、最近はむしろ登山者の周りをうろついているようにさえ感じる。ここに人がいるとサインを出しても離れてくれないケースが多くなった。人の周りには餌があると学習してしまったクマは確実に存在すると思う。私の地元登山口では、山小屋へネタを運ぶ寿司屋のクルマがクマに窓を破られたケースもある。登山者も食料携行には密閉式の容器を使う注意が必要だ。山頂で煮炊きして食事する登山者も目立つが、ゴミ処理は徹底しなければならない。

奥秩父の滝川本流四重遭難事故は、「沢登り教室」の事故をきっかけに、レスキューヘリ墜落、マスコミ取材班、有名ブロガーの死と9人の命が奪われたもの。本書に書かれているように非科学的な負の連鎖とも思える死の淵に引き込まれるような場所は確かに存在すると思う。しかし、観察眼を鍛えた登山者にはなにか見えるものがあるはずだとも思う。地形や植生、地面の様子、風など隠された山の罠に気付くことが大切ではなかろうか。そして、転・滑落が連続して起きる場所は集中力が切れやすい何げないポイントにある。

西穂独標滑落事故は個人賠償責任が問われた事故で、第三者の滑落に巻き込まれた。実力に見合わない山を選択する登山者は普通に存在する。山では人だけでなく、岩やペットボトルなどいろんなものが落ちてくる。人気ルートではよく見る光景だ。落ちてくるものに対して細心の注意を傾けるしかない。なるべく、フォールライン下には入らないこと、入るならば短時間で済ませることなどに留意したい。岩場や鎖場下などで座って休憩する、お弁当を食べるなどは絶対避けるべきだ。併せて、個人賠償責任を補償する保険への加入も検討したい。

雷鳥沢キャンプ場盗難事件は、剱・立山に関わる山岳関係者を震撼させた。剱沢キャンプ場でテントが消えたと聞いた時、どうせ強風で剱沢下流に飛ばされたのだろうと考えていた。過去にも強風でテントが飛んでいくのは幾度か見たことがあった。まさか、張ってあるテントと装備が持ち去られるなんて考えられなかった。しかし、数日後に雷鳥沢キャンプ場でもテントが盗まれたと聞いて現実に起きることと知った。私自身、過去にデポ品を盗まれた経験が数件あり、山小屋でお客様の装備を盗まれたこともある。山頂の賽銭を盗む輩もいると聞く。山に盗人がいると考えたら、ベースキャンプというスタイルは成立しなくなってしまう。

登山は生涯通じて楽しめるすばらしいアクティビティだが、事故に遭うリスクを避けることはできない。事故原因を掘り下げ、検証し対策を練ることで、リスクをコントロールする能力は上がる。事故から学び、登り続けて成長し、自分の人生に山が必要であることをあらためて知らされたこともある。

世に溢れかえった情報を鵜呑みにして山を必要以上に恐れることなく、そして必要以上に侮ることなく、自らの経験を豊かにして山に畏敬の念をもちながら充実した登山人生を歩みたいものだ。本書を通じて予期せぬ事故の存在と対処を学び、必ず生きて帰るという強い意志をもって山を登り続けたい。

 

評者=本郷博毅

1962年、富山県生まれ。剱岳ガイド事務所代表。日本山岳ガイド協会山岳ガイドステージⅡ、立山剱岳方面遭難対策協議会隊員。剱岳・立山・黒部を中心に、四季を通じ山岳ガイドとして活動。救助捜索経験も豊富。 ​​​

山と溪谷2022年8月号より転載)

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