南アルプス南部の地質学的特徴と「今」につながる人物たち

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通称南アルプスと呼ばれる赤石山脈は、南部に位置する盟主・赤石岳からその名が由来する。今回は、南アルプス南部を特徴づけるトピックをピックアップしてご紹介しよう。

写真・文=岸田 明

羽田空港発、西日本行き飛行機からの南アルプス南部。手前から仁田岳、上河内岳、聖岳、赤石岳

羽田発、西日本行き飛行機からの南アルプス南部。
手前から仁田岳、上河内岳、聖岳、赤石岳

●南アルプス南部の位置関係

南アルプス(赤石山脈)は日本百名山十座を擁し、西側は天竜川、東側は富士川によって挟まれた南北約120km、東西約50kmの大山塊。岩稜のイメージが強い北アルプスに比べると、深い樹林帯をいだき、どっしりとした山容の山々が鎮座する。

そのうち南アルプス南部とは、大井川流域の主に塩見岳以南の山々を指す。また、南西端の光(てかり)岳よりさらに南、大井川の支流である寸又川流域の山域は深南部と呼ばれ、東南端は安倍川を囲む安倍奥と呼ばれる山域につながっている。

南アルプス南部の位置関係

南アルプス南部の位置関係


●南アルプス南部で見られる地球史の証跡

南アルプスは、フィリピン海プレートが大陸プレートに沈み込む事によって隆起した付加体(大陸プレートと海洋プレートの接する場所にできる、くさび形の断面をもつ地質体)で形成されている。そして西端には中央構造線が、東端には糸魚川静岡構造線が走っている。地学的にも特異な山域であり、各所に点在している地球史の証跡を見ながらの登山も楽しい。以下、南アルプス南部における顕著な観察ポイントをいくつかご紹介しよう。

赤石岳の山名の由来である赤石沢には、その名の通り多くの赤色チャートが散在している。また茶臼岳登山道にあるウソッコ沢小屋手前の上河内沢には、非常に明瞭な褶曲が観察でき、聖岳兎岳の間にある聖兎(せいと)のコルの聖岳側には、太古の動物性プランクトンである放散虫の二酸化ケイ素の殻が集積してできた巨大なチャートの岩盤を見ることができる。

茶臼岳登山道の3号橋の先、河原に降りた少し先にある右岸の褶曲の露岩

茶臼岳登山道の3号橋の先、
河原に降りた少し先の右岸にある褶曲の露岩

聖兎のコルで観察できる赤色チャートの露岩

聖兎のコルで観察できる赤色チャートの露岩


また南アルプスは年に3~4mm隆起しているといわれていて、各所に点在する崩壊地(薙、崩などと呼ばれている)はそれを如実に物語っている。

茶臼小屋から見た富士山方向。右手前のハート形の赤崩

茶臼小屋から見た富士山方向。
右手前のハート形は赤崩


さらに時代を下って、氷河期の名残の南限となっていることも、この山域を特色づける重要な要素である。氷河の痕跡の地形や、氷河期の生き残りといわれている高山植物の群落が各所に点在し、また光岳から百俣沢の頭にかけてはハイマツの群落の最南限界といわれている。動物ではアルプスの象徴、ライチョウを見かけることもある。

荒川三山の中岳(左)と悪沢岳(右)間には、氷河の痕跡である3つのカール地形を確認できる

荒川三山の中岳(左)と悪沢岳(右)間には、
氷河の痕跡である3つのカール地形を確認できる

光岳センジヶ原の亀甲状土。凍結や融解を繰り返し作り出された周氷河地形といわれている

光岳センジヶ原の亀甲状土。凍結や融解を繰り返し
作り出された周氷河地形といわれている

悪沢岳東方の肩にあたる丸山で見かけたライチョウ

悪沢岳東方の肩にあたる丸山で見かけた
ライチョウ


南アルプス南部は、上述のようにアカデミックな興味を持って歩けば登山がさらに楽しくなる、とても興味深い山域なのである。

ちなみに南アルプスは、2008年に日本ジオパークに認定され(中央構造線エリア)、2014年にはユネスコエコパークに登録されている。以下の関連記事では、エコパークの観点から南アルプスの魅力について触れられているので、あわせてご参照いただきたい。
⇒南アルプスユネスコエコパークとは? 「自然と人間社会の共生」に注目して南アルプスを訪れてみよう

⇒世界有数の成長スピードと崩壊速度。南アルプスがユネスコエコパークに選ばれる理由


●南アルプス南部の「今」につながる人物たち

さて次は時代をぐっと進ませ、南アルプス南部について語る時に、忘れてはならない人物をご紹介したい。1人目は、日本アルプスを世界に広めたことでよく知られるウォルター・ウエストン。初回来日時の1892年に、大鹿村から天竜川の支流である小渋川を遡上し赤石岳登頂を果たした。しかし山頂は霧の中で、尾根途中の舟窪までいったん戻ってビバーク、翌日再登頂して槍ヶ岳の遠望を得たと著書に記している。

もう1人は、東海パルプ(現・特種東海製紙)の創立者である大倉喜八郎氏だ。南アルプス南部の開発は、氏が1895年に、当時の静岡県安倍郡井川村田代および岩崎にまたがる山林2万5000町歩、ならびに立木80万本を購入したことに端を発する。赤石岳をこよなく愛し、1926年90歳で、人の背に乗るものの登頂を果たした。また1928年没後遺言により、ご子息の喜七郎氏が山頂で遺髪を焼き慰霊したと記されている。

山頂を極めた際、禊ぎの後羽織・袴に着替え、天皇・皇太子の万歳三唱と君が代を斉唱したそうだ(写真協力=十山株式会社)

赤石岳登頂の際、禊ぎの後羽織・袴に着替え、
天皇・皇太子の万歳三唱と君が代を斉唱したそうだ
(写真協力=十山株式会社)

 

プロフィール

岸田 明(きしだ・あきら)

東京都生まれ。中学時代からワンゲルで自然に親しんできた。南アルプス南部専門家を自認し、今までに当山域に500日以上入山。著書に『ヤマケイアルペンガイド南アルプス』(共著・山と溪谷社)、『山と高原地図 塩見・赤石・聖岳』(共著・昭文社)のほか、雑誌『山と溪谷』に多数寄稿。ブログ『南アルプス南部調査人』を発信中。

奥深き南アルプス南部の魅力

南アルプス南部は、北部と比較してさらに山深く、簡単にはいけない反面、独特の魅力にあふれている。季節、エリアなど色々な切り口で、南アルプス南部の魅力を取り上げよう。

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