1965年ゴールデンウイークに起きた「メイストーム」による大量遭難事故――、東シナ海低気圧によって想像できないほどの暴風雪が襲う

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ゴールデンウィークが近づいてきているが、この時期「メイストーム」と呼ばれる現象で、急な天候変化が起きることがある。連休中の気象遭難事故は過去に多発しているが、なかでも1965年には、このメイストームにより死者62名にものぼる事案が発生していた。このとき何が起きていたのか、その実態を紐解いてみる。

 

山岳防災気象予報士の大矢です。今シーズンの冬は、12月後半と1月下旬に強い寒波が来ました。しかし3月に入り春が訪れると、暖かい日が続いて記録的に早く桜が開花するなど急速に季節が進みました。

春になると、低気圧と高気圧が交互に通過して、数日の周期で晴れたり天気が崩れたりします。天気が崩れる時には曇ったり雨や雪がぱらついたりする程度のこともあれば、山では暴風雨や暴風雪になって遭難事故が起きてしまうこともあります。この時期は麓と山の天気の差が大きくなる時期です。「麓では春でも山は冬」の格言はゴールデンウイークでも忘れてはいけません。

今回のコラム記事はそのような周期的な天気の中で起きた、1965年のゴールデンウイークの大量遭難事故について解説いたします。この遭難事故の原因は東シナ海低気圧(図1)による暴風雪でした。

南岸低気圧の中でも東シナ海で発生するものは特に「東シナ海低気圧」と言います。東シナ海低気圧は発達しながら日本付近を通過してメイストーム(5月の嵐)を引き起こすことがあるため、一昔前には「台湾坊主」と呼ばれていて登山家や船乗りから恐れられてきました。そして今回の事例では、麓の天気からは想像できないぐらい山の天気は大荒れになったのです。

図1. 大量遭難事故をもたらした1965年5月3日15時の東シナ海低気圧(JRA-55により大矢解析)

 

1965年のGWの大量遭難事故の概要

記録的な大量遭難事故となった1965の年ゴールデンウイークに起きた遭難事故について、文科省の登山研修テキストやインターネット情報から概要をまとめると以下のようになります。この遭難事故の気象状況について詳細に解析したのは、本コラム記事が初めてのことと思われます。

1965年のゴールデンウイークの山は中部山岳を中心に悪天候などによって遭難事故が相次いだ。4月30日から5月5日の間に136名の登山者が遭難し、疲労凍死、滑落、雪崩などによる死亡者は62名(図2)、行方不明1名、重症12名、軽症29名。死亡者の場所は、北アルプスから南アルプス、八ヶ岳、奥秩父山系、日光山系などの広い範囲にわたっている。

このうちこのうち東シナ海低気圧による死亡者は51名(5月3日から5日)と推定される。その当時に八ヶ岳に登っていた登山者による、「一晩で降雪が1m近く積りテントのポールをへし折られて赤岳鉱泉(当時は掘っ立て小屋程度)に逃げ込んだが、小屋は次々に収容されてきた遺体でごった返していて異様な雰囲気であったことを記憶している」 という証言が残っている(出典:山なかま・シリウス 山岳気象講座 山の天気の落とし穴と遭難事故(その1) P3)。

図2. 1965年ゴールデンウイークの遭難場所・死亡者数、日別死亡者数(文科省 登山研修テキスト, vol.22, P4

 

東シナ海低気圧・・・台湾付近で発生して急発達

東シナ海の台湾付近は海水面が高く、暖流の黒潮も流れていています。東シナ海で低気圧が発生すると温かい海から大量の水蒸気が供給されて、温帯低気圧でありながら水蒸気をエネルギー源とする台風のように急発達することがあります。それがメイストームを引き起こすのです。

図3に東シナ海低気圧が本州南岸を通過する1日前の5月2日15時の天気図を示します。今回はJRA-55(気象庁55年長期債解析データ)が降水量を過剰に解析していたため、気象庁による実際の観測データに合わせて補正をしています。

図3. 発生したばかりの1965年5月2日15時の東シナ海低気圧(JRA-55により大矢解析)


この時点では東シナ海低気圧は発生したばかりであり、中心気圧は1008hPaで、降水も弱いです。等圧線の間隔もそれほど狭くなく、強い風は吹いていません。一方、本州付近は1026hPaの移動性高気圧が通過し、中部山岳付近では午前中は晴れていましたが、午後から雲が広がってきたようです(気象庁の観測データによる)。

そして24時間後の5月3日15時には、図1のように低気圧は996hPaまで発達して、降水が強まると同時に、等圧線の間隔が非常に狭くなって強風が吹き荒れました。注目すべきは、発達したのは低気圧だけでなく、高気圧も1026hPaから1032hPaまで発達しており、日本の東で動きが遅くなっていることです。

そのため等圧線の間隔がこのように非常に狭くなったのです。5月3日の麓の気象庁観測所の最大風速は、軽井沢:8.2m/s、松本:6.3m/s、諏訪:11.3m/s、甲府:4.8m/sでした。確かに風が強かったのですが、1日の平均風速では諏訪の5.0m/sが最大で少し風が強い程度でした。

 

麓からは想像ができないぐらい山岳では荒れた・・・
JRA-55で八ヶ岳の気象状況を再現

ところが山では麓からは想像がつかないぐらい荒れていたのです。これが山と麓の天気の差が大きくなる春山や秋山の怖いところです。そこでJRA-55データを使って当時の八ヶ岳・赤岳付近の気象状況を再現してみました。
図4は赤岳付近の1時間降水量と積算降水量、図5は気温、図6は風速の推移を示しています。

図4. 1965年5月1日9時~5月5日21時の降水量の推移(JRA-55により大矢解析)

図5. 1965年5月1日9時~5月5日21時の気温の推移(JRA-55により大矢解析)


赤岳鉱泉の標高は約2200mですので、3℃以下の気温で雨が雪に変わることを考慮すると、赤岳鉱泉から上では5月3日は雪が降り続け、降雪量は1m(降水量1mmが降雪量1cmに相当すると仮定)に達したことがわかります。これは当時、赤岳鉱泉に避難した登山者の“一晩で降雪が1m近く積り‥”という証言と整合します。

問題は風です。図6からわかるように、5月3日の15時の赤岳付近の標高に相当する700hPaでは25m/sの暴風が吹き荒れていました。25m/sは平均風速ですので、瞬間風速は約1.5倍の40m/s近かったと思われます。


図6. 1965年5月1日9時~5月5日21時の風速の推移(JRA-55により大矢解析)


15時の700hPaの気温は約-2℃ですので、風速1m/sにつき1℃低下する体感温度は-27℃という冬山並みの厳しい状況になっていました。5月3日の1日を平均した700hPaの風速を計算すると15m/sですので、麓のせいぜい5m/sからは想像もできない大荒れの1日だったのです。

 

悪天候をもたらした影の主役たち
上空で発達したリッジと下層から入った大量の水蒸気

地上の天気図だけを見ていては、山岳気象遭難の真実が分からないことがあります。図7に5月3日の15時頃の赤岳付近の標高に相当する700hPa天気図を示します。地上の低気圧に対応する700hPaの低気圧が西日本に進む一方で、本州の東海上から北海道にかけてリッジ(上空の気圧の尾根)が発達しながら、動きが遅くなってほとんど停滞していました。700hPaでリッジが発達したことが、地上で高気圧が発達した原因です。

図7. 1965年5月3日15時の700hPa天気図(JRA-55により大矢解析)


そして700hPaの低気圧が東北東に進む一方で、リッジがほとんど停滞していたため、700hPaの等高度線(地上天気図の等圧線に相当)の間隔が非常に狭くなって、中部山岳全域の3000m稜線で暴風をもたらしました。これが1965年5月3日に起きた大量遭難事故の真相だと思われます。

このようにリッジの動きが遅くなることを「ブロッキング」と呼びます。ブロッキングは偏西風の蛇行が大きくなることによって起き、同じような気圧配置が続くため悪天が長引くなど、気象遭難の原因となることがよくあります。

更に700hPa天気図をよく見ると、低気圧の東側に向かって南から暖かい空気が入っていることがわかります。南から入る空気は暖かいだけでなく湿っているため、水蒸気も悪天候に影響しているであろうと推測できます。実際にJRA-55のデータを使って5月3日9時の水蒸気の流れを解析したものが図8になります。

図8. 1965年5月3日9時の可能水量と925hPa風ベクトル(JRA-55により大矢解析)


可降水量は、地上から上空の水蒸気がすべて雨になった時の降水量であり、水蒸気の量を表しています。水蒸気は主に下層から入るため、925hPa(上空約750m)の風の方向と強さをベクトルで示しています。推測通り、低気圧の東側に向かって南から大量の水蒸気が入っていることが分かります。これが低気圧の発達を促し、悪天に寄与したとみています。

将来気候では海水面が上昇して、低気圧に供給される水蒸気量が増えるため、このように急発達する東シナ海低気圧が増えるかもしれません。予報精度が向上した現在では、東シナ海低気圧の発達はかなり精度よく予想できるようになっています。事前に気象庁の週間予報資料などをチェックして、悪天に備えることがこの遭難事故の貴重な教訓を生かして、遭難事故を防ぐことになると思います。

プロフィール

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2021年9月までの2年間、岐阜大学大学院工学研究科の研究生。その後も岐阜大学の吉野純教授と共同で、台風や山岳気象の研究も行っている。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年には木村賞を受賞。2022年6月と2023年7月にNHKラジオ第一の「石丸謙二郎の山カフェ」にゲスト出演。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社)

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

山岳気象遭難の真実~過去と未来を繋いで遭難事故をなくす~

登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。

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