ルポ・白出沢。「穂高を生かす」思いが込められた道を歩く

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『山と溪谷』2023年7月号の特集「穂高岳」から、この山域の魅力を凝縮したページを抜粋してお届け。穂高の稜線、そして奥穂高岳へ、距離、所要時間ともに最短で結ぶ道。白出のコルめざして延びる白出沢の道には初代主人の思いが込められていました。

写真=菅原孝司、文=黒尾めぐみ(山と溪谷編集部)、写真提供=穂高岳山荘

ルポ・白出沢。「穂高を生かす」思いが込められた道を歩く
白出沢上部のガレ場。穂高岳山荘が見えてからも道のりは長く続く

岐阜県側から穂高に延びるのは、新穂高ロープウェイを利用して西穂高岳をめざす道と、白出(しらだし)沢から奥穂高岳をめざす道の2つ。後者について、1973年の穂高岳山荘創立50周年記念で作成された「槍穂高連峰詳細図」の紹介文には「多くの人で賑わう上高地からの登山道に比べ、飛驒側の道は登山者の姿は少なく落ち着いた山の雰囲気があります」とある。

穂高岳山荘の初代主人、今田重太郎が100年前、白出のコルに山小屋を建てる構想を立て、実際に建設を始めた際に資材を担ぎ上げたのも、この白出沢だったそうだ。

白出のコルには涸沢(からさわ)から登ったことがあるが、そういえばその「後ろ側」はよく知らない。涸沢岳や奥穂の山頂から見下ろす、岐阜県側へ深く吸い込まれるように落ちるあの道は、いったいどんな道なのだろう。

2020年の群発地震や豪雨で登山道が崩壊し通行止めになっていたが、修復活動によって復旧した22年夏、白出沢を歩くことにした。

新穂高温泉に前泊し、夜明け前に出発。目的地の白出のコルまでは、林道、樹林帯、ガレ場と大きく3つに分かれている。林道歩きを終え、奥穂高岳登山口から登山道に入ると、思っていたよりも緑の濃い、深い樹林帯が広がっていた。

ルポ・白出沢。「穂高を生かす」思いが込められた道を歩く
下部はコメツガ、トウヒ、イチイ、カラマツなどの樹林帯が広がる
ルポ・白出沢。「穂高を生かす」思いが込められた道を歩く
濃い緑の葉と赤い実のコントラストが美しいゴゼンタチバナ

重太郎橋の手前に来ると前方が開け、白出のコルが見えた。これからあの場所まで登ると思うと、一瞬気が遠くなる。その右に尖って見えるのはジャンダルムだろうか。以前奥穂から見た印象とだいぶ違う。ヘルメットをかぶり、重太郎橋を渡って、「岩切道(がんきりみち)」に取り付いた。

ルポ・白出沢。「穂高を生かす」思いが込められた道を歩く
重太郎橋を渡り、岩切道に取り付く。右手奥に見えるのがジャンダルム
ルポ・白出沢。「穂高を生かす」思いが込められた道を歩く
岩切道を鎖伝いに進む。谷側は切れ落ちており、手に汗握る道

出発前に読んだ資料や書籍によると、かつては落石や雪崩が頻繁に起こる谷底に道がつき、危険なところだった。そこで重太郎は、谷の脇にせり立つ岩壁をダイナマイトで削り、岩壁を伝って安全に歩けるようにしたのだという。58年に完成したこの道はコースのなかでは難所と言えるが、それまでの道に比べれば格段に安全になったのだろう。谷に響き渡るダイナマイトの音を想像した。

岩切道手前の重太郎橋は、小屋主人を退いた後に徒渉点で起きた死亡事故を受けて、重太郎が二代目主人の今田英雄と支配人の神憲明に命じて作らせた橋のことだそうだ。現在その橋はないが、名称は今も使われている。

ルポ・白出沢。「穂高を生かす」思いが込められた道を歩く
橋が架けられる前、白出沢徒渉点での重太郎とマキ(1966年7月30日撮影)
ルポ・白出沢。「穂高を生かす」思いが込められた道を歩く
かつての重太郎橋。1983年に完成したが、その3年後、泥流により流失

鉱石沢のガレ場を通過し、樹林帯に取り付く箇所には、修復作業でつけられたと思しき長い鎖とステップのついた岩場があった。樹林帯を抜けて荷継(につぎ)沢を対岸に渡れば、ここからいよいよ長いガレ場の道へと足を踏み入れる。

広大なガレ場で、目を皿にして目印となる「○」や「く」の字のペンキのついた岩を探しながらつづら折りに登る。しばらくして白出のコルに立つ穂高岳山荘のシルエットが見え始めた。しかし、きつい傾斜に加え浮き石が多く、歩を進めても近づいている実感がわかないのがつらい。

ルポ・白出沢。「穂高を生かす」思いが込められた道を歩く
「スベル アビナイヨ」と書かれた岩。穂高岳山荘は見えるがまだまだ遠い

急登にあえぎながら登っていると、いつの間に登ってきたのか、一人の女性が「こんにちは」とあいさつしたと思うと、あっという間に追いしていった。焦らず、じわじわ登る。

山荘が近づくにつれ、スタッフが整備をしてくれているのだろう、道が歩きやすくなっていくのがわかる。人の手が入るとここまで変わるのだな、とありがたく感じた。岩の階段を登り切り、穂高岳山荘に到着。

ルポ・白出沢。「穂高を生かす」思いが込められた道を歩く
到着! 16年かけて整備されたという美しい石垣と石畳が迎えてくれる

受付で宿泊手続きをしていると、先ほどの女性がきびきびと仕事をしていて驚き、声をかけた。「われわれにとって白出沢は通勤路ですからね」。山荘の事務所は岐阜県側にあり、現在もほとんどのスタッフが白出沢から「出勤」するという。

重太郎が拓いた道や橋について振り返るとき頭に浮かぶのは、重太郎がなぜ道づくりにこだわったか、ということだ。『双星の輝き―山小屋物語・穂高岳山荘』を読むと、同様の疑問を著者が重太郎に投げかけていた。重太郎は、山小屋をやるからには道づくりは義務であると考えていたこと、そして「穂高を生かしたい」と考えていたこと。山小屋を建て、登山者は穂高をめざしてやって来る(=穂高が生きる)ようになった。しかし、穂高をめざしたがゆえに、彼らが遭難の憂き目に遭うことに責任を感じていた。だから安全な道づくりにこだわるのだ、と。

ルポ・白出沢。「穂高を生かす」思いが込められた道を歩く
売店・喫茶をのぞく。おしるこは、100年前の創業直後から提供しているという

夕方、涸沢岳に登って白出沢を見下ろすと、漠然とした印象だった「後ろ側」が、くっきりとしたものになっているのに気づいた。地図で見て知っていても、山や道は歩いて初めて理解することができる。そして、そうやって登山者が道を歩けるのは、安全を思い整備をする人たちがいるからこそなのだ。

重太郎の志を受け継ぐ人々の手で穂高は守られ、今も生かされている。道に込められた思いを知り、穂高の新たな一面に出会えた。雲が抜け、くっきりと現われた白出沢を見下ろし、静かな高揚感に包まれた。

(取材日=2022年9月11~13日)

ルポ・白出沢。「穂高を生かす」思いが込められた道を歩く
涸沢岳から見下ろす穂高岳山荘と白出沢。あの道を登ってきたのか、と感慨深い
ルポ・白出沢。「穂高を生かす」思いが込められた道を歩く
お弁当の朴葉ずし。天ぷら、鮎の甘露煮と。疲れた体に酢飯がしみる

『山と溪谷』2023年7月号より)

この記事に登場する山

長野県 岐阜県 / 飛騨山脈南部

奥穂高岳 標高 3,190m

 奥穂高岳は穂高連峰の中央にそびえる盟主である。標高3190mは富士山の3776m、南アルプスの北岳の3192mに次ぐ日本第3位の高峰で、頂上に造られた2mを超す大ケルンの上に立つと第2位になろうかという高峰なのである。しかも堂々と大きい山容がいい。  山頂で綾線が分岐し、南西に延びる岩稜は馬ノ背からジャンダルムの奇峰を経て、間ノ岳、西穂高岳、焼岳へと延びる。  もう1つの岩稜は南東へ吊尾根となってたわみ、前穂高岳、明神岳となって上高地に雪崩落ちていく。  山稜は硬いひん岩(ひんがん、ひんは「王」偏に「分」の字)の破片に覆われ、岩屑の堆積した山だ。南東側は涸沢のカールが削り取った断崖で、南面は岳沢が急角度に落ち込み、上高地や乗鞍岳が見える展望の優れた山頂である。  山頂から100mほど西へ向かってから右に折れる主稜線を、うっかり見落として直進すると急傾斜にセバ谷に落ち込んでしまう。毎年のように事故を起こす「だましの尾根」だ。主稜線を北に下ると白出乗越で、穂高岳山荘がある。  頂上から南西に延びる岩稜は、奇峰ジャンダルムに続いている。前衛峰、門番といった意味のフランス語だが、むしろ独立峰と呼びたい山で、悠々としてとりとめのない奥穂高岳をきりっと引き締めている。  初登頂は明治42年(1909)の鵜殿正雄パーティで、槍ヶ岳への初縦走の途中だった。彼は大正元年(1912)には岳沢から天狗沢に入り、天狗のコルからジャンダルムを経て奥穂高岳の初トレースをしている。穂高岳開拓のパイオニアとして銘記されるべき人である。  穂高連峰の開拓は信州の梓川側が早く、山小屋もほとんど信州人が占めているが、奥穂高岳だけは、白出乗越に飛騨の名ガイド、今田重太郎が小屋を建てて登山者の安全を期した。1度登山者の不始末で全焼したが再建し、現在では近代的な山荘になっている。  一般登山道は涸沢からザイテングラートの岩尾根を登って白出乗越に出、奥穂高岳へ向かう。涸沢から白出乗越まで2時間、それから奥穂高岳頂上まで1時間。  飛騨側からは、新穂高温泉から蒲田川右俣を白出沢出合まで2時間、白出沢を登って白出乗越まで7時間。静かな谷のいいコースで、下りに使えば白出乗越から5時間30分で新穂高温泉に着き、バス停前の無料温泉で山の汗が流せるので、山好きに好評である。  上高地から岳沢を経て前穂高岳、吊尾根、奥穂高岳のコースは9時間で頂上に着く。少しきついが、登り甲斐のある道だ。

長野県 岐阜県 / 飛騨山脈南部

涸沢岳 標高 3,110m

 穂高連峰の主な岩峰は、涸沢カールを中心に半円を描いている。テント場から見上げるとひときわ目をひくのが北の肩に鋭い三角錐の涸沢槍を従えた涸沢岳である。南に前穂高岳と奥穂高岳、北にクライマーのハイマート、北穂高岳と、すばらしい山々がそびえているが、姿のよさでは涸沢岳がまとまっている。  ひん岩(ひんがん、ひんは「王」偏に「分」の字)の筋肉質の岩峰で、北穂高岳側は険しい岩壁となり、縦走路としては一級の悪さだ。  南の鞍部は白出(しらだし)沢の突き上げる白出乗越。歴史の古い穂高岳山荘が、風力発電、太陽光発電など最新のシステムを駆使して建っている。山頂から西に張り出している西尾根は冬期コースとなり、北穂高岳・滝谷の眺めがすごい。  上高地から涸沢、ザイテングラート経由で所要8時間30分。涸沢の中腹には、近代登山史に残る涸沢の岩小屋がある。新穂高温泉からは白出沢経由で所要9時間30分。

雑誌『山と溪谷』特集より

1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。

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