ルポ・秋の南アルプス周遊。北沢峠をベースに仙丈ヶ岳・甲斐駒ヶ岳・栗沢山へ

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秋色に染まる南アルプス。北沢峠の快適なテント場をベースに、仙丈ヶ岳・甲斐駒ヶ岳・栗沢山の3つのピークを巡り、秋の撮影を楽しんだ。

写真・文=宮本宏明

大展望の甲斐駒ヶ岳へ

10月2日、2時起床。星が見えるがボーッと霞んでおり、大気中の水蒸気が多い感じだ。双児山で日の出を迎えるために昨日よりも早く出発する。林道を北沢峠まで戻り、そこから双児山への登山道を登ってゆく。自分以外誰もおらず、クマが怖いのでトレッキングポールを打ち鳴らしながら歩く。樹林帯の急登がどこまでも続く。ヘッドランプが暗くなったので電池を交換していると、高校生くらいの団体が追い越していった。東の空が少しずつ赤くなり、やがてきれいな朝焼けとなった。残念ながらまだ樹林帯なので撮影はできず、気持ちが焦る。日の出直後に双児山に着いたが、東の空の雲が邪魔をして光線条件は今ひとつだった。

朝の双児山から鳳凰山(地蔵ヶ岳と観音岳)
朝の双児山から鳳凰山(地蔵ヶ岳と観音岳)

双児山を後にして駒津峰へ向かう。振り返ると、昨日登った仙丈ヶ岳がせり上がってきた。駒津峰に着くと、いきなり目の前に甲斐駒ヶ岳が現われた。山腹の黄葉が半逆光に輝いている。六方石まで下り、その先でトラバースルートに入る。樹林を抜けるとザレザレの急斜面が延々と続き、がまんして一歩一歩登っていった。

駒津峰から黄葉の甲斐駒ヶ岳
駒津峰から黄葉の甲斐駒ヶ岳

甲斐駒ヶ岳頂上の岩陰で風を避け、大展望を楽しみながら腹ごしらえ。今回は紅葉の色づき具合が今ひとつで、イメージしていたような写真が撮れていないが、そんなことはどうでもよくなってくるような気持ちのよい山頂だ。1時間ほど休んでから下山しようと腰を上げると、いつのまにか山頂標識周辺は記念撮影をする登山者でごった返していた。

滑りやすい急斜面を慎重に下る。途中で摩利支天(まりしてん)に立ち寄った。摩利支天の頂上に立つのは初めてだが、ここに来る登山者は少なく、静かで眺めのよい頂だ。六方石から駒津峰へ登り返しで体力を消耗し、駒津峰では残り少なくなった水をちびちび飲みながら行動食でエネルギーを補給。帰りはここから仙水峠を経由するコースをとる。急な下りを慎重に歩き、仙水峠からは森の写真を撮りながらのんびり長衛小屋のテント場へ向かった。

甲斐駒ヶ岳から鳳凰山と富士山。右下に摩利支天
甲斐駒ヶ岳から鳳凰山と富士山。右下に摩利支天
甲斐駒ヶ岳トラバース道からの北岳
甲斐駒ヶ岳トラバース道からの北岳

テント場は、昨日の混雑が嘘のようにテントが減り、静けさが戻っていた。全身を拭いてさっぱりしてから、ビールを飲みながら夕食を作る。明日は下山日だが、栗沢山で朝の撮影をするため、今日も早めにシュラフに入った。

栗沢山で日の出のドラマチックな光景に出合う

10月3日、午前2時にアラームが鳴ったが、猛烈に眠たい。昨日も、一昨日も早起きしてたくさん歩いたので、疲れがたまっている。星は見えず曇っているようだ。行くのを止めようかという気持ちが一瞬頭をもたげたが、後になって行かなかったことを後悔したくないので、思い切ってシュラフから抜け出した。急いで朝食を食べ、テントを出た。

小屋の前の橋を渡り、栗沢山の直登コースに入る。真っ暗な森の中、ヘッドランプの明かりが登山道を照らす。今日は平日で誰もいないのでクマが怖く、ときどきトレッキングポールを打ち鳴らす。空が次第に明るくなるのと競争するように登高を続け、日の出前ぎりぎりに栗沢山に到着した。

雲が多くなかなか光が来なかったが、やがて東の雲の切れ間から太陽が山々を照らし、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳が立体的に浮かび上がった。ドラマはほんの一瞬で終わってしまったが、その後も遠く御嶽山、北アルプスが朝日を受けて神秘的な姿を見せてくれた。

朝日に浮かぶ仙丈ヶ岳
朝日に浮かぶ仙丈ヶ岳
栗沢山は甲斐駒ヶ岳の第一級の展望台
栗沢山は甲斐駒ヶ岳の第一級の展望台

今日2番目の登山者が上がってきたのと入れ替わりに山頂を後にした。下る途中、森の中で休んでいると、頭上からカサ、カサ、という音が聞こえた。見上げると1匹のリスが木から下りてくるところだった。写真を撮りたかったがカメラはザックの中。素早い動きにスマホを出す時間もなかった。テントで早めの昼食を食べてテントを撤収。10時発のバスで北沢峠を後にした。

車窓から景色を眺めながら今回の山行を振り返る。紅葉は期待通りとはいかなかったが、天候に恵まれ、南アルプスの秋を満喫することができた。ベストの紅葉に出合えるのは数年に一度。またここを訪れることになるのだろう。それはさておき、山を下りたらまずは温泉だ。

(取材日=2022年9月30日~10月3日)


MAP&DATA

コースタイム:
1日目 長衛小屋〜北沢峠〜五合目〜仙丈小屋〜仙丈ヶ岳〜小仙丈ヶ岳〜五合目〜北沢峠〜長衛小屋:約7時間35分
2日目 長衛小屋〜北沢峠〜双子山〜駒津峰〜甲斐駒ヶ岳〜仙水峠〜長衛荘:約7時間25分
3日目 長衛小屋〜栗沢山往復:約3時間30分

ヤマタイムで周辺の地図を見る
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この記事に登場する山

山梨県 長野県 / 赤石山脈北部 

仙丈ヶ岳 標高 3,033m

 南アルプス北端の3000mの山。北に屹立する甲斐駒ヶ岳に比べ、穏やかな山姿で、片や男性的とすれば、こちらは女性的な印象を受ける。女性的だからか、大変な恥ずかしがり屋で、甲州側の平地では、その姿を見ることはできない。  古くは、甲斐駒ヶ岳の前座として、前山(めえやま)の名があった。その他、お鉢岳の異名もあった。豊かに発達した氷河地形から名づけられたものと思う。仙丈の字にしても、千畳敷からきたものであろう。やはりカールを意味するのではないか。確かに『甲斐国志』も、明治20年出版の『新撰甲斐国地誌略』のいずれも、千丈ヶ岳と記載されている。  このカールは、高山植物の宝庫である。夏季、藪沢源流部、大仙丈沢、小仙丈沢などに大きなお花畑を見ることができる。  交通の便がよく、伊那側、甲州側ともに、登山基地となる北沢峠まで、それぞれ村営バスで入ることができる。その上、回遊コースを設定できるのも人気の1つであろう。  北沢峠から藪沢を上がり、馬ノ背から頂上へ。帰りは小仙丈ヶ岳を回って北沢峠に降りてくる(登り4時間で山頂、下り3時間弱で北沢峠)。あるいは、頂上から馬鹿尾根をたどり、野呂川の両俣小屋を経て北沢橋に降り、バスで元に戻ることもできる。  また、甲斐駒ヶ岳とセットで8の字形に歩くことも可能である。さらに、周辺部に山小屋が多くあることも登山を容易にしているので、近年、登山者が多くなっている。  山頂からの眺望はよく、南の方は遠く塩見岳、東は大菩薩連嶺から富士山、近くに白峰三山、北には早川尾根、八ヶ岳、奥秩父の峰々、間近に堂々たる甲斐駒ヶ岳、鋸岳を見る。はるかかなたに峰を連ねるのは、北アルプスの山並みである。伊那谷を隔てて西には中央アルプスが、横一線に並んでいる。  登山者として早期に登ったのは、明治42年(1909)、日本山岳会創立発起人のひとり、河田黙であった。頂上に前岳三柱大神、明岳大神、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、国狭槌尊(くにのさづちのみこと)と3基の石碑のあったことを記録している。そのほか東芝山岳部が同僚の遭難者の供養のために建てた方位盤などがあったというが、それらのいずれも今はその面影すら残っていない。  積雪期に挑んだのは、京都三高山岳部の一行であった。大正14年3月19日、山梨県設北沢小屋から一気に小仙丈ヶ岳を経て頂上に立った。  そのときのガイド、竹沢長衛は、昭和5年に北沢に長衛小屋を建てた。そのかたわらにある彼のレリーフが、今でも登山者を見守っている。

山梨県 / 赤石山脈北部

甲斐駒ヶ岳 標高 2,966m

 全国に駒ヶ岳を名のる山は20座を超えているという。その中で最も高いのが甲斐駒ヶ岳である。作家の宇野浩二は、『山恋ひ』の中で、「山の団十郎」と絶賛した。ふもとから仰いだその山姿は、正にその名に価する高貴な山容をもって迫ってくる。  太古、武御雷命(たけみかずちのみこと)が生んだ天津速駒(あまつはやこま)という白馬がいた。羽があって空中を飛んでおり、夜になると、甲斐駒ヶ岳の頂上で眠ったとのこと。これが命名の由来といわれている。  また、天平3年(731)には、甲斐国から朝廷に、身が黒色、尾が白い馬が献じられた。その馬に乗って聖徳太子が甲斐駒ヶ岳を往復したとか。ふもとを巡る川は、それにちなんで尾白(おじら)川と呼ぶ、などの伝説も残っている。  それはともかく、かつては駒ヶ岳講の名において、白装束の講中登山の山であった。開山したのは、信州・諏訪の小尾権三郎(弘幡行者)で、文化13年(1816)6月15日、20歳のときであった。しかし、文化11年編『甲斐国志』には、すでに「山頂巌窟ノ中ニ駒形権現ヲ安置セル所アリ」と記しているので、その真偽のほどは分からない。  登拝路のメインルートであった黒戸尾根上に残る、おびただしい信仰のモニュメントの数々を目にすると、そんな歴史上の小さな矛盾は消し飛んでいくような気がする。  かつては、白崩山の異称さえあった、真っ白な花崗岩とハイマツの緑に覆われた山頂からの眺めは、さすがに一等三角点の本点だけのことはある。この三角点のやぐら(覘標(てんびよう))は明治24年7月10日に建てられ、同年7月14日に標石を埋めた。同年9月12日から25日まで観測が行われている。南アルプス三大急登の1つに数えられる黒戸尾根を、重さ90kgもある標石を担ぎ上げた先人の苦労には頭が下がる。  甲斐駒ヶ岳は、伊那の人たちは東駒ヶ岳と呼んでいる。目と鼻の先に見える山に、他国の名を冠するほど人間はお人好しではない。  さて、甲斐駒ヶ岳を巡ってたくさんの花崗岩の岩壁がある。この一帯に集中的に挑みルートを開拓していったのは、主として東京白稜会のメンバーであった。1949年から1970年にかけてのパイオニア・ワークは、一頭地抜きん出ている。この会の代表であった、恩田善雄氏の「甲斐駒ヶ岳―わたしの覚書き」は、甲斐駒周辺の地誌、登攀記録、山名の由来、伝説などを網羅したものである(未刊行)。  登山コースは尾白川渓谷から黒戸尾根経由で山頂まで9時間。南西の北沢峠からは双児山、駒津峰を越えて約4時間の登りで山頂へ。

山梨県 / 赤石山脈北部

栗沢山 標高 2,714m

南アルプス北部にある、早川尾根の最北端に位置する山。山頂からの展望はよく、甲斐駒ヶ岳の絶好の展望台となっている。

プロフィール

宮本宏明(みやもと・ひろあき)

中学1年の夏に白馬岳に登ったことがきかっけで、山に目覚める。大学時代は山岳部に所属し、四季の山を登りまくる。独学で山岳写真を始め、雑誌やカレンダー、ガイドブック等に作品が採用される。南アルプス、丹沢をホームグラウンドに撮影を続け、近年はほかの山域にも幅広く足を運んでいる。現在、全日本山岳写真協会理事長。

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