はるか遠くに見える慧海が歩いた山。カリガンダキを越えて、ムスタンとドルポの県境へ

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今から100年以上も前に、標高5000m以上あるヒマラヤ奥地の峠をいくつもこえた僧侶、河口慧海。その足跡を辿って、稲葉 香さんらが歩いた2016年の記録を追う。今回は、ドルポの入域地点、ジョムソンからドルポとムスタンの県境、カグベニまでの旅をお伝えする。

 

2016年8月24日 ジョムソン~カグベニ

8月23日の夕方、ジョムソンにたどり着いた私たちは、翌日24日にジョムソンを出発し、ムスタンとドルポの県境となるカグベニを目指した。

★前回記事:河口慧海ゆかりの地ボダナートからジョムソンへ行く

この日の一番のミッションは、アッパームスタン(ムスタン北部、ローマンタンに通じるルート)の入域地点にあるツーリストチェックポストへ行き、入域のための特別許可書が申請されているかを確認すること。カトマンズでエージェントに依頼した内容が正しく伝わっていれば問題なくアッパームスタンに入れるが、間違っていれば少しやっかいだ。

出発の日の早朝、ホテルの屋上からニルギリを眺めた。雨季なのにしっかりと晴れている。目の前の山肌が太陽の光を浴びて赤く染まった。モルゲンロートだ。旅のはじまりを歓迎してくれているのだろうか。

私がカグベニをはじめて歩いたのは2004年のこと。その頃はまだ西北ネパールの研究・踏査の第一人者、大西 保氏に出会っておらず、一人でジョムソンからカグベニを経由し、ムクチナートまで歩いていた。ちょうどこの年、慧海にまつわる大ニュースを知ることになる――。

 

河口慧海『チベット旅行記』より

 

明かされなかった「慧海ルート」核心部の謎

西北ネパールを横断する「慧海ルート」について書かれた本に、「チベット旅行記」(講談社文庫、全5巻)がある。これは、河口慧海がチベットから帰国した後に書いた2つの新聞連載をまとめたものだ。しかし、これには越境の核心部であるドルポの入口、ツァルカ村から先の地名が全く書かれていない。いったいなぜだろうか。

それは当時、チベットが鎖国状態だったからだ。そんな中、慧海は現地人になりすましてネパール領ドルポからチベットとの境にあるクン・ラ(峠)を越え、チベットに潜入。語学を学びながら、経典に関する情報を収集していた。

しかし、滞在してしばらくたった頃に日本人であることが発覚しそうになってしまった。捕まる前に急いでチベットを離脱しようとする慧海。チベット人の中には、それを手助けした者たちがいた。もし国に知られれば、即牢獄行きだ。実際、慧海と交流があったとみなされた人間は投獄されてしまった。慧海は、彼らを守るために地名を書かなかったのだろう。

ところが2004年、越境の核心部について書かれた日記(これまで見つかっていなかった1900年3月10日から翌年12月3日まで)が、慧海の姪にあたる宮田恵美氏の自宅で発見された。そこにはツァルカ村以降の地名が書かれており、1日に歩いた距離、出発、到着の時間まで記録されていた。この発見を受けて、「河口慧海研究プロジェクト」(代表=故川喜田二郎氏)が結成。研究者が集い、現地調査が始まるほどの大ニュースだった。

ちょうど慧海ルートの一部を歩いて帰国した年に、新聞で日記発見の記事を見つけ、その不思議な巡り合わせに驚き、一人興奮したことを覚えている。リアルタイムで100年以上も前のことが明らかになっていくことが、面白くてたまらなかった。そして、このタイミングで日記が現れたことは偶然とは思えなかった。「必要な時に、必要な人の手によって見つかる」というものがチベットの埋蔵経なら、核心部について書かれた慧海の日記は、まさにそれだろう。まるで「チベット死者の書」が発見された時のようだ。

その後、2007年には研究プロジェクトによって慧海ルートの全貌がほぼ明らかになり、「河口慧海日記 ~ヒマラヤ・チベットの旅~」(奥山直司編、講談社文庫)が出版されている。

 

トレッキング地図『Pokhara to Muktinath & Jomsom』より

 

「黒い川」、カリガンダキを越えて

話を2016年の旅に戻そう。ジョムソンを出発した私たちは、カリガンダキ川を越えてカグベニへ向かった。しばらく歩くと、はるか先に慧海がドルポへと歩いた山が見えた。

はるか先に慧海が歩いた山が見える


ふと、大西さん率いる西北ネパール登山隊に同行させてもらい、初めてドルポへ行った2007年のことを思い出した。あの頃は経験が足りずに馬で慧海の歩いた道とは違うルートを通った。大西さんに習うより慣れろと言わんばかりに、触ったこともない馬に乗せられ、ぶっつけ本番で道中2回も落馬した。荒行のようだったが、一ヶ月もしたら、すっかり乗馬も慣れたのだった。

今度は「慧海ルート」に忠実に歩きたい。過去に歩いたルートを眺め、決意を新たにした。容赦なく吹きつける風。時折、つむじ風も起こっていた。ボーッとしていたら吹き飛ばされそうになるなかを歩く。

「お~きたきた。カリガンダキだ」。思わず私はニヤリと笑った。その激しい流れと風が、私の心の中に刻んだ、はじめて見たときの感動を呼び起こしたのだ。

広大なカリガンダキ


カリガンダキとは「黒い川」という意味で、川床は広く、黒ずんだ川が何本にも分かれて流れている。川を挟んだ両側にはヒマラヤの造山運動、大規模な地殻変動による褶曲の様子が向きだしのままとなっている。地球の圧倒的なエネルギーを感じずにはいられない。何度か歩いたカリガンダキだが、雨季に見るのは初めてだ。

カリガンダキを渡渉する(写真左は同行者の伴ちゃん)


慧海は乾季から雨季に差し掛かる5月末に、カリガンダキの河原で野営している。翌朝、渡渉する際に河床の泥にはまり、馬の腹まで沈んで動けなくなるというトラブルがあったそうだ。私の場合は靴を脱いで渡れる程度の渡渉で済んだが、100年以上前は、もっと水量が多かったのだろうか。

カグベニに到着後、アッパームスタンへの特別許可書を確認してみると、やはりというべきか、間違った内容で申請されていた。計画上14日間の許可書が必要なのに、13日間で申請されていた。カトマンズのエージェントに何度も確認したのに・・・さすがネパール、これがネパール。

この許可書が少しやっかいで、必ずTAAN(Trekking Agencies Association of Nepal )に加盟した旅行会社を通さねばならない。しかも2名以上からしか受け付けず、個人では申請ができない。

事情を伝え粘りに粘った交渉の末、なんとか14日間のアッパームスタン入域許可書を手に入れたのだった。

 

プロフィール

稲葉 香(いなば かおり)

登山家、写真家。ネパール・ヒマラヤなど広く踏査、登山、撮影をしている。特に河口慧海の歩いた道の調査はワイフワークとなっている。
大阪千早赤阪村にドルポBCを設営し、山岳図書を集積している。ヒマラヤ関連のイベントを開催するなど、その活動は多岐に渡る。
ドルポ越冬122日間の記録などが評価され、2020年植村直己冒険賞を受賞。その記録を記した著書『西ネパール・ヒマラヤ 最奥の地を歩く;ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)がある。

オフィシャルサイト「未知踏進」

大昔にヒマラヤを越えた僧侶、河口慧海の足跡をたどる

2020年に第25回植村直己冒険賞を受賞した稲葉香さん。河口慧海の足跡ルートをたどるために2007年にネパール登山隊に参加して以来、幾度となくネパールの地を訪れた。本連載では、2016年に行った遠征を綴っている。

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