【書評】北の大地に生きる動植物を見つめた連載を単行本化 『伊藤健次の北の生き物セレクション』

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評者=橋本 裕

伊藤健次さんの新刊が出た。写文集としては7年ぶり。北海道新聞の連載「伊藤健次の 大地の息吹 海のささやき」を毎回心待ちにしていた身としては、連載がまとまって本当にうれしい。珠玉のエッセイがいつでも読めるのだ。動物と植物のコラムがたっぷりと55編。一編一編に北の生き物たちへの愛情と尊敬が満ち満ちている。「草木も虫も動物も、異なる姿でばらばらに生きているように見えて、大きな時間の流れの中では、隣り合い、繋がり合って生きている」(まえがきより)。こういう世界に人間も暮らしているのだと、この本は目を開かせてくれる。

登山用品店で働く私は、休みの日はフィールドに遊びに出ることが多い。登山、バックカントリースキー、シーカヤックなど、スポーツ的な行為が目的だが、ふとした瞬間に出会う動植物の存在が、その空間を豊かなものにしてくれる経験がいくつもある。秋の暑寒別連峰へと続く林道を歩いていたとき。曲がり角でばったりと雄のエゾシカに出くわした。繁殖期でちょっとぼんやりしていたのだろうか、出会った瞬間目が合った。突然身を翻して反転し山の斜面を駆け上がっていったが、間近で見た筋肉の躍動感に感動した。仲間とシーカヤックで夏の知床半島を周ったときのこと。ビバーク地で夕飯の支度をしながら夕焼けを見ていたら、海に流れ込む川のあちこちからヒグマが何頭も現われ、海でカラフトマスを獲り始めた。移動はできず、そのビバーク地で夜を過ごしたが、ヒグマの台所で寝ているようで一晩中緊張した記憶がある。

野生の動物や植物との出会いが、その土地に深く触れたという実感につながるのは間違いない。野生生物はそんな人間の思惑とは関係なく、ただ高山で輝き、軽々と国境を越えて渡っていくのだけれど。「その淡々とした営為に救われることがないだろうか。人が日々迷い、喜怒哀楽を抱えながら構築する社会とは一歩離れた野生の営みに」(「フクジュソウ」より)

見えないものが見える人がいる。優れた観察力、深い知識、鋭敏な感受性によって、物事の芯の部分を浮かびあがらせ、人々に教えてくれる。かつては村落にいた古老や語り部などが、そういった部分を担っていたように思う。子どもたちは夜更けに炉端で古老の昔話を聞き、動物が人間に変身する昔話や、トリックスターたちが織りなす理不尽な物語に自然の摂理を学んでいく。伊藤さんの写真や文章には、表層だけで見ていたら隠されて見えない、事物の地層のようなレイヤーを一枚一枚はがして紹介してくれる力強さがある。けれども決して頭ごなしではなく、優しく、ユーモアに包んで話をしてくれるのだ、アイヌの古老のように。そんなに年とってないよ、と怒られるかもしれないけれど。

伊藤健次の北の生き物セレクション

伊藤健次の北の生き物セレクション

伊藤健次
発行 北海道新聞社
価格 2200円(税込)
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評者

橋本 裕(はしもと・ゆたか)

シーカヤックで北海道一周を機に漁師に憧れ、北海道に移住。漁師見習いや林業関連の職を経て、秀岳荘北大店に勤務。読書好き。秀岳荘のブックフェア「秀岳荘BOOKS」の仕掛人。

山と溪谷2023年11月号より転載)

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