【書評】八ヶ岳山麓での自然との対話をつづった随想集『歌わないキビタキ 山庭の自然誌』

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評者=今泉吉晴

本書は、著者が東京の自宅や八ヶ岳の「山庭」などでの生き物との出会いごとに想起した心象をつづる随想である。2020年6月から23年3月までの日記ふうの6章からなる。読みやすく楽しめる。それも主な舞台が、私が中学生の時から親しんできた、ハイマツの高山帯を有する八ヶ岳である。その海抜1700mに近い森に入り込んだ別荘地で、著者は、森の小さな住人であるヒメネズミを無骨な罠で捉える。長い尾をはさんだらどうするのか危うくて震えた。

では、書名『歌わないキビタキ』は何を示唆するのか、見ていきたい。意外にも、キビタキに言及する場面はわずかだった。235ページに「キビタキは別人(鳥)のようだ。(中略)命がけの旅にでなければならないという予感に囚われているのかもしれない」と記述がある。10月の八ヶ岳での出会いで、秋のキビタキは囀らないのが習性であって、自然の法則である。だが「歌わないキビタキ」はそのために注目される。「繁殖期の頃の朗らかな彼ではなく、何か重い鬱屈を胸に抱えているような」とあり、著者独自の見方である。「あとがき」でもキビタキに言及する。「不安と不穏な空気、緊張感。渡りの前のキビタキも、きっと同じような思いを抱えているのだろう。生命は流浪する(中略)自然誌とはそういう記録なのだと思う」と。著者自身の切迫感として真実であるが、八ヶ岳との抜き差しならぬ乖離である。

私が惹かれたのは、むしろそうした乖離の外と思われる素朴な記述である。たとえば、著者とリスとの出会いの場面だ。リスが落花生を殻ごと「新体操の棍棒のように回して(中略)咥えて走り去った」「私はリスがどのように落花生を食べるのか見たかった」と続く。この文章は、著者が餌付けしている餌に対するリスの警戒心の残る行動を、リスとの関係の深まりとして記録したのだが、リスとさらに親しくなりたい願望も表わしている。「いまだに見せてもらっていない」というのは著者が充分な日々を八ヶ岳の山小屋で過ごせていないために、リスとの親密さでも望み通りではない、という焦燥感である。

私の理解では、このように人を受け入れながら警戒心も残すリスは、食べるのに手間暇がかかるクルミや落花生に対する場面で人の視線を避けたがる。一方、人はそうした姿を見て、次の一手を工夫し、リスとの仲を深めていく。それは人から見るとリスという種に固有の性格が見えたと思えて、互いの理解が深まったという満足感になる。こうして、人は自然の特徴を少しずつ知り、自然への適応度を理念としても高める。本書は日々の出来事から人と自然との相克について、個人としてどう理解し対処していくか、著者の試みを読者に提示した、みごとな一冊である。

歌わないキビタキ山庭の自然誌

歌わないキビタキ山庭の自然誌

梨木香歩
発行 毎日新聞出版
価格 1980円(税込)
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評者

今泉吉晴(いまいずみ・よしはる)

1940年生まれ。動物学者。山梨と岩手の山林に山小屋を建て、森の生き物の観察と研究を行なう。著書に『わたしの山小屋日記~動物たちとの森の暮らし』(論創社)ほか。

山と溪谷2023年12月号より転載)

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