【書評】雪のくに、森のくに。ブナの森に暮らす写真家による写文集『雪のくに移住日記 ブナの森辺に暮らす』

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評者=伊藤健次

小気味のいい移住記が生まれた。舞台は長野県飯山市羽広山集落。訪ねたことのない土地だ。けれどページをめくり写真を見渡しながら、どこか「似ている」と思う。私が暮らす北海道の豪雪地帯、空知地方の里山に。

田畑があり、木造家屋が点在し、小さな尾根と谷に囲まれている。目を引く尖った山はなく、これという観光名所もなさそうだ。いわば変哲のない田舎。地域区分では「中山間地」にあたる、平地と山地のあいま。実は国土の約7割を占める日本の骨格部分である。

ここにあるものは……雪。それも圧倒的な雪だ。重そうな雪に埋まる家と道端の雪壁を見れば、羽広山の冬の手強さがわかる。

雪国の田舎への移住は、この変哲のない土地に、厳しい冬に、自分にとって大切な「何か」を見出せるかどうかが鍵になる。

本書は「ブナに呼ばれ、雪に惹かれ、人に出会って、気づけば築100年ほどの古民家を買って、家族5人で移り住んでいた」写真家の星野秀樹さんが、山と溪谷オンラインで連載した「ずくなし暮らし 北信州の山辺から」を再編した写文集だ。「ずく」とは長野の方言で「やる気」「根気」。

何かと「ずく」が必要な豪雪地帯に温暖な湘南!から飛び込んだ星野さん。ムラの流儀を見る目は優しく、羽広山での日常が軽快につづられている。移住への親子の受け止め方の違いは、田舎暮らしに憧れる家族の参考になるだろう。

印象的な写真がある。身をよじる大蛇のようなブナに子どもが飛びついた一枚。風雪に耐えた強靭な枝。そこになんとかぶら下がる子どもの顔がとても楽しげなのだ。 子どもの姿はきっと星野さん一家の姿であり、集落の人々であり、自然のなかで生きる私たちすべての姿ではないか。人がいてブナがあるのではなく、ブナの森があるから、人が暮らしていける。この順を間違えてはいけない。そして生きることは、必死で、楽しいことだと写真が語っている。 「暮らさなければなにも撮れない」。そんな星野さんの思いが詰まった、すてきな一枚である。

ブナは根気強い。北限は北海道南部。私の家はそれよりだいぶ北だが、10年前、崖から落ちたブナの幼木を庭に植えてみた。するとガチガチの粘土と豪雪の冬をものともせず、ゾウの足ほどの太さになり、雑木林のなかで抜群の樹勢を誇っている。見た目は繊細だが、とびきり粘り強いのである。

変哲のないブナの里に根づいた星野さんが、これからどんな物語を届けてくれるか楽しみだ。

そして雪国暮らしに欠かせないのが「野良スキー」。この遊びを知っているどうかで雪国の幸福度は一変する。凶暴な雪にやり込められても、春の裏山をスキーで放浪し、写真家の魂は救われる。野良スキー万歳。

雪のくに移住日記 ブナの森辺に暮らす

雪のくに移住日記
ブナの森辺に暮らす

星野秀樹
発行 信濃毎日新聞社
価格 2200円(税込)
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星野秀樹

1968年生まれ。写真家。上越、信越周辺の山と、剱岳、黒部川源流エリアの山を主なフィールドとして活動する。ライフワークとして鍋倉山周辺のブナ林へ通い続ける。著書に『剱人 剱に魅せられた男たち』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(いずれも山と溪谷社)、『黒部の谷の小さな山小屋』(アリス館)など。

評者

伊藤健次

写真家。1968年生まれ。北海道大学山スキー部OB。岩見沢市在住。著書に『伊藤健次の北の生き物セレクション』(北海道新聞社)など。

山と溪谷2024年1月号より転載)

プロフィール

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2024年5月号の特集は「上高地」。多くの人々を迎える上高地は、登山者にとっては入下山の通り道。知っているようで知らない上高地を、「泊まる・食べる」「自然を知る・歩く」「歴史・文化を知る」3つのテーマから深掘りします。綴じ込み付録は「上高地散策マップ」。

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