【書評】北海道分水嶺700㎞仮想の荒野を歩く『北海道 犬旅サバイバル』

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評者=角幡唯介

服部文祥さんによるサバイバル登山の総決算的山旅の記録である。

テーマは荒野を旅する、だ。とはいえ、普通に考えたら日本に荒野は存在しない。そこで服部さんはこう考えた。現代社会の本質は消費である。つまりお金がなければ社会に参加できない。であるなら、無銭旅行をしたらそこは荒野になるのでは? こうして愛犬ナツと鉄砲を相棒にした北海道大放浪がはじまる。

荒野とは何なのだろう。それが野垂れ死にしてしまうほど孤絶した世界を意味するなら、無銭旅行をしても北海道が荒野になるわけではない。山小屋では登山者に会うし、林道ではハンターがランクルに乗っている。国道に出たらコンビニや町の役場があり、そもそも服部さん自身、時々困って町場で用事を済ませている。

事実、移動の多くは林道や国道で荒野感は希薄だ。ただ、その理念と現実の衝突が、旅的なおもしろさを生み出している。人間界と下界の境界線上で、その外側に出ようとする行動は矛盾に満ちている。でも、その狭間から不思議な人との出会いや深い思索が生まれ、飽きさせない。出会う人たちも人間界の際に棲息する、いい感じで壊れた人ばかりで魅力的だ。町に下りたときの様子は原始人が文明に迷いこんだみたいである。荒野化したのはむしろ服部さん本人で、荒野人間が現代日本の本質を鋭く突いているのである。

肉が足りなくなれば居場所を読んで鹿を狩り、天気や状況に応じてラインを変更する。簡単なことのように淡々と記述するが、その裏には経験に培われた洞察と、長年の登山と狩猟で研ぎ澄まされた直観がある。独自のスタイルを追求してきたこれまでの営為、通いつめた北海道の山の土地勘、何より幾多の山旅を共にしてきた愛犬ナツの存在があったからこそ可能となった旅、それがこの旅だ。

人間50歳にもなるとできることは限られる。だがそれは円熟した経験があるからこそ思いつくものであり、ゆえにその人にしかできないことでもある。その意味で50歳の旅は30歳の旅より可能性に満ちているのかもしれない。能力の向上とノウハウの蓄積によりはじめて見えてくる旅の姿。それを実行する喜び。独創とは弛まない研鑽によってはじめて生まれるのであり、挑むに値する行為はそこにしかない。それが生きることなのだとあらためて教えられた。

さて物語のクライマックスはゴールである襟裳岬の到着後にやってくる。たまたま出会ったおじさんが話をおもしろがり、この旅の理念、いや全構造を崩壊させるような行動に出るのだ。これに対し服部さんはどう対応したか? 私は少し驚いたが、なぜ最後にそうしたのか胸の内は語られない。

荒野とは何か、その解釈は最後に読者にゆだねられるのである。

北海道 犬旅サバイバル

北海道 犬旅サバイバル

服部文祥
発行 みすず書房
価格 2640円(税込)
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服部文祥

1969年生まれ。登山家、作家。大学時代からオールラウンドに登山を始める。99年から食料を現地調達するサバイバル登山、2005年からは狩猟を始める。著書に『狩猟サバイバル』(みすず書房)、『サバイバル家族』(中央公論新社)、『お金に頼らず生きたい君へ』(河出書房新社)ほか多数。

評者

角幡唯介

1976年生まれ。探検家。現在グリーンランド北部で犬橇狩猟長期旅行を継続中。近著は『裸の大地 第二部 犬橇事始』(集英社)。本誌で「角幡唯介のあの山を登れば」連載中。

山と溪谷2024年1月号より転載)

プロフィール

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2024年5月号の特集は「上高地」。多くの人々を迎える上高地は、登山者にとっては入下山の通り道。知っているようで知らない上高地を、「泊まる・食べる」「自然を知る・歩く」「歴史・文化を知る」3つのテーマから深掘りします。綴じ込み付録は「上高地散策マップ」。

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