被災時にどんな登山用具や山の経験が役に立った?

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山と溪谷オンラインでは2024年1月24日から2月4日まで、被災経験がある登山者を対象に防災に関するアンケートを実施しました。限定的なアンケートのため、27件と回答数は少ないながらも、有益なコメントを多数いただきました。ありがとうございます。本記事では、回答の一部を紹介いたします。

構成=山と溪谷オンライン、イラスト=tada(PIXTA)

目次

被災時に役立った登山、アウトドア用品とは?

役立ったアイテムを2つまで挙げてもらったところ、以下のような回答になりました。

  • ヘッドランプ…11
  • 火器類…9
  • 寝袋…7
  • 防寒着…6
  • 登山靴…5

それぞれのアイテムごとに、コメントを紹介します。


ヘッドランプ

●停電時の明かりのほか、コンビニ袋を被せてランタン代わりにもなった。(くうさん/女性/自宅/東日本大震災、広島豪雨)

●冬の夕刻~夜間の避難だったため、両手を使いながら、足元を照らすものが必要。(うしくんさん/男性/地震に伴う大津波警報/避難所)

※凡例:お名前/性別/年代/体験した災害/避難した場所

頭に装着することで、両手を使って行動ができ、コンパクトなヘッドランプ。避難先を問わず、最も回答が多いアイテムでした。

夜間に避難する際にも、停電時での避難生活でも活躍します。

地震や台風で断線して停電する、という場合もあれば、アンケートには「計画停電」という答えもありました。東日本大震災の際に行なわれた計画停電では、約6870万世帯が影響を受けました。


火器類(バーナーなど)

●地震により電線が切れた影響で電気が使えなかったとき、温かいものを飲んだり食べたりするのに役立ちました。(きつねとたぬきさん/女性/30代/震災/自宅)

●ライフラインが全滅し、特に冷凍庫のものがすべてだめになりました。食べられるものは食べてしまうため、火を使うのに役立ちました。(はまちさん/男性/30代/東日本大震災/自宅)

●都市ガスは完全に止まっていたので、固形燃料で調理していました。(いからしさん/30代/中越地震、中越沖地震、東日本大震災/自宅)

ライフラインが停止した際の調理に。特に自宅避難の方からは役立った物に挙げられていました。

バーナー(ストーブ)本体とは別に、燃料が必要になります。防災時にも使える量の燃料の確保や、安全な保管方法にも注意が必要です。固形燃料はコンパクトですが、適切に保管しないと長期保存ができません。


寝袋

●東北の3月は気温が低く寒く、暖房をつけない車中で過ごすのに本当に暖かくて体力や体温を温存でき風邪ひかず1週間をしのげた。(一江さん/60代/女性/東日本大震災/公園)

●避難してきた友人を泊めました。独り暮らしで余分な布団もスペースもあまりなかったため、重宝しました(はまちさん/男性/30代/東日本大震災/自宅)

避難所や車中泊での利用のほか、自宅でも友人や親類に貸し出せた、というコメントがありました。

防寒着

●学校に避難したが貸出の毛布に限りがあり、寒さ対策は自分でしないといけなかったときに、持っていたコートがとても温かく役にたちました。(もんさん/女性/30代/豪雨災害/避難所)

●車中泊をしていた時、昼間は活動するため、車の中の整理が必要でした。日頃から自分や子供たちの分もコンパクト収納できるモンベルのダウンを常備していたので、朝晩の冷え込む時は活用して昼間は収納するなど、役に立ちました。(ゆかさん/女性/40代/熊本地震/車)

避難した場所が、避難所や車の方から特に多く挙げられていました。災害が発生した季節にもよりますが、暖房が使えない冬季には心強いアイテムです。

登山靴

●津波が来たエリアなので浸水や踏み抜きなどのケガが予防でき、安全な移動ができた。(あきらさん/男性/40代/東日本大震災/テント)

●食料品や水を得るために、長時間かつ瓦礫散乱の道を歩く時(7412さん/女性/40代/東日本大震災/自宅)

東日本大震災で津波被害に遭った場所や、豪雨災害時にも、足元の状況がわるい中で役に立ったというコメントがありました。

被災時に役立った登山・アウトドア知識は?

●山小屋泊の経験です。風呂に張った水でトイレを流すことができましたが、使用済のトイレットペーパーを流さずに溜めておくことが躊躇なくできました。歯磨き粉を使わずに少量の水だけで歯を磨くことも躊躇なくできました。(よこたんさん/女性/40代/令和6年能登半島地震/自宅)

●地形の見方。おそらくあそこは土砂崩れだろうとか。あとは、ゴミをなるべくださない工夫。加えて、知識というか、最小限の資源で楽しく負担なく生きようという意識は、登山経験から養われ、精神的健康の維持に役立ちました。(7412さん/女性/40代/東日本大震災/自宅)

●簡易トイレの使い方や、バーナーの使い方など、趣味の登山用具とその使い方がここぞという時に役立つので、色々持っていて良かったと思います。(いからしさん/男性/30代/中越地震、中越沖地震、東日本大震災/車)

●テント泊が好きなので、電気、ガスなどがない生活に慣れており、実質的な生活は勿論、精神的なストレスが少ないように思います。(EVA-Tさん/男性/50代/震災/自宅)

電気やガス、水が自由に使えない状況での寝泊まりを、山小屋泊やテント泊で経験していることが、ライフラインが使えなくなった被災時でのストレスの緩和になっているようです。

まず最初に必要になるものは「トイレ」

コメントなどで触れられて特に目に留まったものはトイレについてです。災害時には断水や停電、下水管の破損などで、トイレが使えなくなってしまいます。アンケート回答でも、役立った知識として、携帯トイレの使い方を知っていたこと、持っていたことが挙がっていました。登山者のなかには災害ではなく登山シーンで携帯トイレを使ったことがある、という方は多いのではないでしょうか。

東日本大震災では仮設トイレの設置が震災から3日以内だった自治体は34%でした。1月1日の能登半島地震でも、発生直後からトイレ問題が生じており、外で用を足したり、避難所の携帯トイレの数が足りず複数人で使ったケースもあったそうです。

●女性用トイレに最も苦しんだ。目隠しするためテントの中に女性用の簡易トイレを作った。(一江さん/60代/女性/東日本大震災/公園)

なお、政府のガイドラインでは、備蓄する携帯トイレについては、1日の平均排泄回数を5回として最低3日分、推奨1週間分があるとよいとされています。ご家庭で必要な分を計算してみてください。そして、登山中にでも機会があれば携帯トイレを使ってみてください。

一番役立ったものは「登山靴」と「ベースレイヤー」。東日本大震災での被災体験談

なにが役に立つかは、被災の状況によって大きく変わりますが、アンケート回答者のなかから、東日本大震災で被災されたあきらさんにお話をうかがいました。

宮城県石巻市湊地区にあった自宅は津波により1階部分は浸水し、大規模半壊という被害を受けたというあきらさん。避難所には大勢の人が身を寄せていて一人のスペースは狭く、自宅2階は親類に貸したため、2週間ほどはテント、その後は車を併用して避難生活をされていたそうです。

「被災当時は、北斗の拳の世紀末を連想しましたね。津波で車が上に4台重なっていたり、歩道橋に立てかけたように突っ込んでいたり。あらゆるところに家の残骸と、フェンスに刺さっている魚。川の橋の上に家がありましたし、道路にも漁船が流れ着いていました。近隣の民家やスーパーなどは倒壊し、買い物自体できるような場所はありませんでした。冷蔵庫や冷凍庫、近所の肉屋や寿司屋から食材を分け合っていただき、過ごしていました。4~6日ほどしてからボランティアや自衛隊による物資が少しずつ届きましたね」

2011年4月1日の石巻市の海岸近く(写真=PIXTA)
2011年4月1日の石巻市の海岸近く(写真=PIXTA)

あきらさんが役立った道具として挙げていたものは、「登山靴」と「ベースレイヤー」でした。特にベースレイヤーは少し意外なアイテムです。ヘッドランプや火器類についてはどうだったのでしょうか?

「確かにヘッドランプや火器、寝袋、シェルも役に立ちますが、あの頃はLEDのヘッドランプや懐中電灯は少なく、豆球のため電池の消耗が激しくて・・・。電池も買えませんし、予備も少ないし。リモコンの電池を使いまわすなど貴重でした。積み重なった車の脇や瓦礫などがある夜道を歩くことは危険ですし、夜にすることといえばトイレのみ。すべては明るい内にしてしまうのでヘッドランプは除外でした」

確かに、ヘッドランプはこの10年ほどでかなり進化したアイテムです。現在はLED、充電式が一般的になりました。 2011年にもLEDタイプのモデルはありましたが、買い替えで切り替わる過渡期くらいでしょうか。

「また、火器もOD缶バーナーがありましたが、ガスの補充が電池と同様です。ガスがなくなったら使えないので流れついた家の残骸などを使い、流れてきた一斗缶やBBQコンロで暖をとったり、煮炊きをしていました」

ガスの予備を用意しておけばよかった、というコメントは、アンケート内にもありました。

では、役立ったという「登山靴」と「ベースレイヤー」。その状況について、詳しく教えていただきました。

「まず、土砂や粉塵が舞うなかでの移動や生活、修繕活動における安全性での登山靴。安全靴まではいきませんが、釘の踏み抜き予防や泥のぬかるみ、積み重なった車を登り越えるにはいいグリップでした」

続いて、ベースレイヤーについてはどんな理由でしょうか。

「被災地では水道と電気がなく洗濯ができません。ランドリーがあっても激混みでしょう。上着はすぐに汚れますが着回しができますし、四季さまざまの衣類を持ち出せば、当面の着替えはもつでしょう。しかし、インナー類はあまりありませんよね。そこでベースレイヤーが役に立ったのです。匂いはもちろんですが、数日着ても普通のインナーより着心地がよく、山水で洗っても乾燥が速い。3月ですので日中の作業時は暑いし夜は寒い。そんななかでの評価です」

あきらさんの自宅のライフラインがすべて復旧したのは5月末だったそうです。

あきらさんは「道具はあると便利だけど、一番は創意工夫」だと言います。

「正直、道具をそろえても限界があるってところでしょうか。電池やガスもそうですが道具が壊れてしまうと使えず困ってしまいますよね。当時、雪も降り、津波で流された木っ端は濡れており、数日は新聞だけを燃料に米を炊き味噌汁などをつくりました。ただ燃やすのではなくねじって束にすると長持ちしましたし、火を着けるライターやマッチも限られていたので一発で木っ端に着火できるよう家にあった“よしず”を使用しました。新聞やよしずがなくなるころには杉の葉や木っ端も乾き、そちらを使用していました。トイレは下水道が大丈夫でしたので水を汲み溜めて使用しましたが、水を引くのにも竹や流されてたどり着いた缶やタンクなどを使用しました。モノが“ない”から、“工夫して作る”か“代用品を作る”しかなかった。登山でもキャンプでも不便を楽しむように、代わるものを想像して使用することは汎用が利いて大切ですよ」

今後、自分がどんな災害に遭うのかは、その時が来るまでわかりません。あきらさんが体験したような自宅半壊、長期にわたる避難生活、という状況になるかもしれません。しかし、ないものを工夫し、リスクに備えることは、危険と不便がつきものの登山を趣味にする人ならば、身近な行為なのではないでしょうか?

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