ネパール・カトマンズで運命の再会

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カトマンズ・タメル地区

カトマンズのタメル地区(写真/稲葉 香)

今回の遠征は、まずネパールのアッパームスタンを歩き、ドルポ入域地点まで戻る。そしてアッパードルポ〜ロードルポを歩いた。その行程は500kmを越え、2016年8月17日から10月24日のおよそ2カ月に渡った。

同行してくれたのは、友人の伴久美子(以下、伴ちゃん)と、清水玲子(以下、玲子さん)。伴ちゃんは前回のドルポ遠征にも参加し、旅の全行程を共にする。登山隊に初参加の玲子さんはアッパームスタンのみの参加となる。2人とも私の思いを理解してくれているドルポ遠征の経験者だ。

前回記事:私がヒマラヤ最奥の聖地ドルポと「慧海ルート」を歩く理由
 

8月18日 ネパール・カトマンズに到着

8月17日に伴ちゃんと大阪を発ち、上海〜昆明を経由して、8月18日に無事に“荷物とともに”カトマンズに到着。というのも、前回2012年のドルポ遠征では大変な目に遭った。伴ちゃんのザックが丸ごと盗まれたのだ。

私のザックもライターが入っていたために、中国で数日間足止めをくらった。私のザックは戻ってきたからまだいいが、伴ちゃんは冬靴から何まで登山用具一式が盗まれてしまった。カトマンズで一から買い直すことになり、出だしからまともに寝れないぐらい忙しかったーー。

そんな事があったので、今回は荷物があるだけで思わず拍手が湧く。玲子さんともカトマンズで合流し、第一関門クリアだ。

カトマンズに無事到着

8月19日 運命の再会

カトマンズの馴染みの店に顔を出し再会を喜ぶ。翌日から遠征に向けた本格的な準備が始まった。まずはエージェントとの最終交渉。エージェントにはガイドやポーター、レンタル道具の手配や登山許可書の手続き日程の調整をお願いした。

出発の半年ほど前に直接会って打ち合わせを行い、その後メールでやりとりをしていたが、日本のように計画通りにいくことはめったにない。何度確認しても間違っていたり予定が変わっていたりする。

うまくいかない、それがネパール。現場での交渉が勝負になるので、何事も柔軟に対応できる余裕が必要だ。

今回の遠征は、経費削減のために小規模のキャラバンスタイルで行った。テントや寝袋、雨具、登山靴などの個人装備は全て持参し、現地ではキッチン用具を借り、ダイニングテントやトイレテントなどを省いた。

レンタル装備の確認中

レンタル装備の確認している様子

レンタル装備の確認を済ませた後、改めて登山隊のメンバーで顔合わせをする。隊員の伴ちゃん、玲子さんに加え、現地ガイドとキッチポーターを含めたネパール人スタッフ4名の合計7名で旅をする。

偶然なことに、ガイドは過去にポーターとして大西 保さんたち西北ネパール登山隊とともにドルポを旅している人で、キッチンポーターは私も参加した2009年の西北ネパール登山隊の遠征で共にヒマラヤを歩いている人だった。この再会は、まるで大西さんが引き合わせてくれたようだった。

2016年登山隊メンバー

今回のメンバー(アッパームスタンの道中にて)

現地ガイドと言っても、彼らは地図をもたない。山を読んでいるのか、直感なのか、そこで生きてきた人にしかない、鋭い勘のようなもので歩いている気がする。日本でいうマタギのようなものなのか。ドルポのような辺境地になると、ガイドさえも道を知らないことが多い。大西さんの隊と共に歩いた彼らはとても頼もしい存在だった。

プロフィール

稲葉 香(いなば かおり)

登山家、写真家。ネパール・ヒマラヤなど広く踏査、登山、撮影をしている。特に河口慧海の歩いた道の調査はワイフワークとなっている。
大阪千早赤阪村にドルポBCを設営し、山岳図書を集積している。ヒマラヤ関連のイベントを開催するなど、その活動は多岐に渡る。
ドルポ越冬122日間の記録などが評価され、2020年植村直己冒険賞を受賞。その記録を記した著書『西ネパール・ヒマラヤ 最奥の地を歩く;ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)がある。

オフィシャルサイト「未知踏進」

大昔にヒマラヤを越えた僧侶、河口慧海の足跡をたどる

2020年に第25回植村直己冒険賞を受賞した稲葉香さん。河口慧海の足跡ルートをたどるために2007年にネパール登山隊に参加して以来、幾度となくネパールの地を訪れた。本連載では、2016年に行った遠征を綴っている。

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