御嶽山噴火から10年。あの瞬間、山頂部ではなにが起きていたのか
火山ガスと噴石と・・・
登山道脇の岩に張りつき、できるだけ小さくなった。私がやっと隠れるそう大きくない岩だった。もっと大きな岩のほうがよかった。登山道を5、6メートル移動して隠れ直した。その岩もたいして大きくはなかったが、張りつき頭を抱えた。すれ違った男性が登山道を駆け上がり、隣に身を伏せた。それと同時に、視界を遮る強烈な腐卵臭のするガスに巻かれた。温泉地にある「立ち入り禁止」の箇所で、もくもく出ている、あの少し黄色味かかった濃いガスだ。
噴煙を見てから20秒あったかどうか。
鼻につくそのガスが喉に張りつく。ガスを吸わないように我慢するが、苦しくて苦しくて吸ってしまう。酸素ではないので吸えば吸うだけ苦しくなっていく。喉を押えのたうち回る。
「もうダメだ」そう思った瞬間、風向きが変わったのかガスの臭いはするが、何とか息ができるようになった。今生きているので、そう長い時間ではなかったと思うが、このとき、一番死ぬ恐怖を味わった。1分くらいだろうか。それ以上長かったらここで死んでいた。
ガスを直接吸わないように「タオルを首に掛けておけばよかったな」と思った。
ギリギリまで息が吸えなかったので、吸えるようになってからは肩で息をしていた。隣の男性はガスを吸ったからか、何度も吐いていた。普段そうした光景を見れば、私もつられて吐くが、このときはそれどころではないのか、大丈夫だった。
肩で吸っていた息も落ち着き出し、男性に「大丈夫ですか」と声をかけた。
「大丈夫」
そう返してくれた。このとき、視界はうっすらと自分たちの周りだけは見えていた。
私はこの先何が起きるか分からないと思い、隣の男性に名前を聞き、自分の名前も伝えようとした。もし私が生きて帰れなくて男性が帰れたのなら、小川というガイドの女にお鉢の外輪手前で会ったと伝えてほしかったからだ。
名前を覚えやすいように、自己紹介では「石川さゆりと一文字違いの、小川さゆりです。でも残念、音痴」そう言っている。これならきっとこんな状況でも覚えてくれるはずだ。
「名前は……」そう声に出したとき、ついに放り出された噴石が降り出した。噴煙を見てから2分弱はあった。
その音は、説明しにくい凄まじいものだった。
山で聞く落石の「ブーン」という音よりさらに早く、それが雨のように大量に真横に飛んでくる。想像してみてほしい。それが山肌にぶつかり、また空中で岩同士がぶつかり砕け飛び散るのを……。時速200キロとも300キロとも言われている。
これに当たれば生きては帰れない。そう誰もが容易に想像できる、そんな音である。とにかく聞いたこともない、そして聞きたくもない音である。
噴石の恐ろしさは物理的にも、精神的にも想像以上の破壊力だった。噴石が降り出したのと同時に、一度だけ剣ヶ峰方向から男とも女ともいえない「ギャー」という凄まじい叫び声が聞こえた。
「あっちもやられているのか」そう思った。
あとは噴石が山肌にぶつかり砕ける音と焦げくさい臭いがした。噴石が体をかすめ飛んでいく。生きた心地はしなかった。心もとない岩に張りつき、頭を抱え、ただただ必死に祈った。声にならない声で。
「噴火がおさまりますように。噴石が当たりませんように」そして「生きて帰れますように」。
この記事に登場する山
プロフィール
小川さゆり(おがわ・さゆり)
南信州山岳ガイド協会所属の信州登山案内人、日本山岳ガイド協会認定ガイド。中央アルプス、南アルプスが映えるまち、長野県駒ヶ根市生まれ。スノーボードのトレーニングのため山に登り始める。景色もよく、達成感もあり、すぐに山を好きになる。バックカントリースキーに憧れはじめた25 歳のとき、友人が雪崩で命を落とす。山は楽しいだけではない、命と向き合うリスクを痛感する。「山で悲しい思いをしてほしくない」、そんな思いをもって、中央アルプスをメインにガイドしている。山以外では無類の猫好き。
こちらの連載もおすすめ
編集部おすすめ記事

- 道具・装備
- はじめての登山装備
【初心者向け】チェーンスパイクの基礎知識。軽アイゼンとの違いは? 雪山にはどこまで使える?

- 道具・装備
「ただのインナーとは違う」圧倒的な温かさと品質! 冬の低山・雪山で大活躍の最強ベースレイヤー13選

- コースガイド
- 下山メシのよろこび
丹沢・シダンゴ山でのんびり低山歩き。昭和レトロな食堂で「ザクッ、じゅわー」な定食を味わう

- コースガイド
- 読者レポート
初冬の高尾山を独り占め。のんびり低山ハイクを楽しむ

- その他
山仲間にグルメを贈ろう! 2025年のおすすめプレゼント&ギフト5選

- その他