人々の生活を支えた古道を訪ねて東京都檜原村・浅間嶺へ

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読者レポーターより登山レポをお届けします。勝五郎さんは往年の人々の暮らしを感じる道を歩き、浅間嶺(せんげんれい)へ。

文・写真=勝五郎


東京都檜原村の浅間嶺を歩いてきました。浅間嶺は低山ながら、展望がいい場所がいくつもあり、気持ちがいい山歩きができる場所として知られています。また、歴史の痕跡が多く残る古道の一部で、歴史好きにもよく知られた場所でもあります。毎年秋になると歴史の痕跡の状態確認と紅葉の状況確認を目的に歩いていますが、今年は10月上旬に歩いてきました。

JR武蔵五日市駅からバスに乗車して浅間尾根登山口バス停で下車します。バス停からは五日市方面に戻るように約100m歩いた後、左に曲がり橋を渡ったところから登山開始です。開始から約10分歩くと絶対見逃さないくらい大きな字で「浅間坂」と書いた看板が目の前に現われます。

ここからは、針葉樹林の少し暗い場所と広葉樹林の明るい場所を交互に抜けながら約1時間をかけて数馬(かずま)の分岐まで上がります。

逆光の広葉樹
逆光の広葉樹

約1時間かけて数馬の分岐まで登ると馬頭観音が迎えてくれます。ちなみに馬頭観音とは、牛馬の供養や、今で言う交通安全を願うために置かれたもので、観音様の頭の上に馬頭が乗っているのが特徴です。

浅間尾根はハイカー中心の道になっていますが、元は甲州古道(甲州中道)の一部で生活物資を運ぶ生活道でした。木炭や米などを牛や馬に乗せて往来した道です。そのため、峠や分岐など馬牛の安全や供養目的に置かれた石仏がこの浅間尾根には多く残されています。

中には風化して特徴がわかりづらくなった物もありますが、この場所の馬頭観音は馬面で2つ耳が立った馬の特徴がみごとに残っています。

馬頭観音
馬頭観音

石宮ノ頭(いしみやのあたま)付近まで来ると木橋の崩壊でトラバース道が設置された場所があります。そのトラバース道は石宮ノ頭のピーク(911m)近くまで上がるため展望がいい場所に出ます。本来のルートであれば見えないはずの三頭山や笹尾根が目の前に広がっています。

石宮ノ頭付近から見える双耳法の三頭山
石宮ノ頭付近から見える双耳法の三頭山

石宮ノ頭付近の展望地から20分ぐらい歩くと人里(へんぼり)峠に到着します。ここにも馬頭観音らしき石仏が置かれています。風化が進み文字が読み取りづらい状態ではありますが、向かって右側面は「ひだりへんぼり、みぎかずま」と読み取れるので道しるべの役割をしていたようです。

人里峠の石仏
人里峠の石仏

そして、左側面にはかすかに「享保」の文字が読み取れます。享保といえば今から約300年前で、徳川吉宗による「享保の改革」が行なわれた時代です。300年前からこの場所に居て、旅人を見守っていたのかと思うとロマンを感じます。

ところで、峠といえば越えて隣の村に行けるイメージがありますが、ここの峠は隣の村には行けません。北側には平家の落人伝説があり、南側は武田家(源氏)の落人伝説が残っているので交流がなく峠も繋がっていないようです。

馬頭刈尾根の全容
馬頭刈尾根の全容

人里峠から少し歩くと北側斜面の木々がなくなり展望が開けます。以前はスギやヒノキの林でしたが、数年前に伐採したことから展望がいい場所に変わっています。この日は快晴で八王子や都心などもよく見えていました。写真の左右に延びる尾根は馬頭刈(まずかり)尾根で、左の大岳山から右の馬頭刈山まで見えています。

ここから山頂まで約20分で到着します。古道に沿って歩いていると右側に山頂案内板が出てくるので、見逃がさないように注意して歩きます。

浅間嶺(小岩浅間)903m
浅間嶺(小岩浅間)903m

浅間嶺の頂上(903m)は木々に覆われ展望はよくありません。ほとんどの方はあずまやがある峠から東側に上がった場所が山頂だと思っているようですが、そこは展望地であって山頂ではありません。本当の山頂は東屋がある峠から反対の西側に上がった場所にあります。

檜原村郷土史には「山頂周辺に天皇家の血筋を引く為定王子が埋葬されたと伝えられている」とあります。また「為定王子は浅間嶺の北側にある小岩という地で一生を過ごし、山頂近くに埋葬された」とも書いていました。山頂付近には為定王子のことを書いた案内板等はありませんが、山頂表示板にわざわざ「小岩浅間」と書いてあるのはそういう背景があるからだと思います。

浅間嶺展望地(東屋がある峠から東側に上がった場所)
浅間嶺展望地(東屋がある峠から東側に上がった場所)

山頂の後は、ハイカーが必ず行く展望地にも立ち寄りました。南側の展望は笹尾根の切れ間から富士山が見えるはずですが、この日はもやがかかって見えませんでした。しかしながら、北側は馬頭刈尾根の全容のほかに湯久保(ゆくぼ)尾根から延びる御前山(ごぜんやま)。そして御前山の左奥に鷹ノ巣山(たかのすやま)・七ツ石山(ななついしやま)・雲取山(くもとりやま)が連なる石尾根までよく見えていました。写真では少しわかりづらいですが、御前山の山頂付近は少し赤みがかっていたので紅葉が始まっているようです。

湯久保尾根の先にある御前山(左側のピーク)
湯久保尾根の先にある御前山(左側のピーク)

ちなみに御前山の名前の由来は、為定王子が住む場所の前にあったことから御前山と名付けられたという説があります。そのため、本来は湯久保尾根から登り、途中のスズ野御前神社を通るのが正式ルートのようです。ほとんどの方が奥多摩側から登りますが、興味がある方は湯久保尾根から登ってみてはどうでしょうか。

眺望を堪能した後は時坂(とっさか)峠に向かって歩きました。気持ちがいい尾根歩きも30分ぐらいで終わり、あとは谷を下って行きます。

谷間の下山道(以前は石畳っだったと言われている場所)
谷間の下山道(以前は石畳っだったと言われている場所)

谷間の道は、先程までの眺望が嘘のように薄暗い道でした。14時ごろ通過しましたが、16時ごろにはヘッドランプがないと通過できないと思います。この場所だけではないですが、秋は日没が早いのでヘッドランプの携帯は必須です。また、足元は石が転がり少し歩きづらい状態です。以前は石畳だったという話が残っているので石畳の残骸かもしれません。足元をよくゆっくり歩けば問題ありませんが、きれいに並んだ石面を見かけたら「石畳?」と勝手に解釈して気分転換してはどうでしょうか。楽しく安全に下れると思います。

谷間の道を過ぎると瀬戸沢(せとざわ)の一軒家が見えてきます。ここは馬を乗り継ぐ駅家だったようです。大きな母屋に広い庭があり、たくさんの馬がいたのではないかと想像できます。昨年まではお蕎麦屋さんとして門が開いていましたが、現在は閉まっています。

瀬戸沢の一軒家
瀬戸沢の一軒家

瀬戸沢の一軒家から10分ぐらい歩くと高嶺荘に到着します。以前はうどんなどを提供していたようですが、現在は写真の通り閉まっています。

高嶺荘
高嶺荘

高嶺荘の看板には「瀬戸沢宿馬方宿 創業1687年」と書いてあります。このことから先の瀬戸沢の一軒家と同じ馬方だったことがわかります。それにしても330年以上前からこの地で営業していたことになります。どんな歴史的な出来事があったのか気になります。

高嶺荘から約20分歩くと時坂(とっさか)峠に着きます。ここには小さな祠といくつもの石仏があります。

時坂峠の祠(2021年10月撮影)
時坂峠の祠(2021年10月撮影)

風化して判断がつきませんが、祠の横には道祖神と観音様がそっと置かれています。道を挟んだ場所には、顔が破損した石仏や百番塔などがあることから集落の入口で人の往来が多かったことがうかがい知ることができます。

この後は時坂の集落を通り、いくつかの石仏を確認して、払沢(ほっさわ)の滝バス停まで歩いて終了しました。

今回は浅間嶺(甲州古道)のレポートでしたが、歴史が残る道は全国にたくさんあります。山で生産した炭などを古道を使って各地に運んでいました。知らなければ見過ごしてしまう祠や道の形にも歴史があります。山に登って下りてくるだけでなく、道端にあるさまざまなものを知ることで山歩きの楽しさが倍増します。まずは地元に残る古道を歩いてみてはどうでしょうか。きっと新しい発見があると思います。

(山行日程=2024年10月4日)

MAP&DATA

高低図
ヤマタイムで周辺の地図を見る
最適日数: 日帰り
コースタイム: 5時間27分
行程:浅間尾根登山口・・・数馬分岐・・・人里峠・・・小岩浅間・・・浅間嶺・・・時坂峠・・・払沢の滝入口バス停
総歩行距離:約10,900m
累積標高差:上り 約893m 下り 約1,229m
コース定数:23
勝五郎(読者レポーター)

勝五郎(読者レポーター)

奥多摩と高尾周辺を中心に活動しています。時々日本アルプスへも遠征します。山頂をめざすより、その山の自然や歴史を感じるのが好き。下山後は飲食店に駆け込みます。

この記事に登場する山

東京都 /

浅間嶺 標高 903m

東京都檜原村にある山。江戸時代は木炭や米や塩などの生活日用品を運んだ古道、甲州中道にある。 山名は富士浅間神社があることからとされている。 山頂には八重桜が多く、サクラの時期は美しい。

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