【体験ルポ】世紀を超えて神戸市民が育んできた文化。六甲山系の毎朝登山

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およそ150年前に開港された神戸には、外国人が持ち込んだ登山の文化が早くから広まった。そのひとつが六甲山(ろっこうさん)の毎朝登山だ。大正時代に市民の間に広まったという毎朝登山は世紀を超えて受け継がれ、今なお多くの人が登り続けているのだという。出張で東京から神戸に行くことになった筆者は、かねてから興味のあった毎朝登山に参加してみることにした。

文・写真=西村 健(山と溪谷オンライン)

なぜ六甲山で毎朝登山?

関東で暮らしていると、六甲山に登るチャンスはあまりない。山岳雑誌・ウェブの編集という仕事柄、六甲山が日本の近代登山発祥の地であり、今なお神戸市民に盛んに登られていることは知っていた。単独行で知られる加藤文太郎や、RCC(ロック・クライマーズ・クラブ)創設者の藤木九三といった、登山史に名を残す登山家たちがトレーニングを重ねた山だということも。しかし、哀しいかな実際に登ったことがないので、六甲山がどうしてそんなに神戸市民に愛されるのか、どうにもよくわからないというのが本音だった。この春、急に神戸に出張することになったので、長年気になっていた六甲山に登ってみようと思い立った。

登るとなったら予習が欠かせない。まずは六甲山の歴史を少しさらっておこう。

神戸市街のすぐ裏にそびえる六甲山は931mと決して高い山ではないが、日本の近代登山を考えるとき、六甲山の存在は標高以上に大きいものがある。最初の登山の記録は明治6(1873)年。3人の外国人がピッケルを手に六甲山に登ったのだという。ちなみに日本近代登山の父と呼ばれるウェルター・ウェストンが神戸に来日したのは明治21(1888)年だが、それより15年も前にレジャーとしての登山が行われたことになる。

神戸の居留区に住む外国人たちはそれまでの日本には存在しなかった近代スポーツやレジャーを持ち込み、六甲山には外国人の山荘が数多く建てられた。その山荘への道として登山道が整備され、外国人たちは出勤前の朝の運動として、六甲山での登山を行なうようになった。H.E.ドーントらが山岳会Ancient Order of Mountain Goatsを立ち上げたのが明治37(1904)年ごろ。大正時代に入ると登山は日本人にも浸透し、大別して7つある六甲連山の山筋のほとんどで早朝登山が行なわれるようになった。かの加藤文太郎が最初に行なったという「六甲山全山縦走」と並んで、毎朝登山は六甲山の登山文化を形成する重要な登山形態になっている。

私は外秩父の山裾に住んでいることもあって、時折仕事前に山に登ることがある。自宅から登山口まで走り、少し速めのペースで山頂まで登り、少しだけ展望を楽しんで下山すると1時間ほど。登山としては手軽だが、毎朝はちょっと難しい。せいぜい月に数回といったところだ。しかし、神戸では雨の日も風の日も昇り続ける毎朝登山実践者が大勢いるという。そのモチベーションはいったいどこから来るのか、それを知りたくて最古の山岳会のひとつ、神戸ヒヨコ登山会に連絡してみた。

神戸ヒヨコ登山会の創立は大正11(1922)年。今年で95年を数えるわが山と溪谷社より古く、3年前に創立100周年を迎えたという。全国的に山岳会が衰退するなかで、同会は旗振(はたふり)、高取(たかとり)、再度(ふたたび)、布引(ぬのびき)、一王山(いちのうさん)、保久良(ほくら)、唐櫃(からと)の7支部をもち、会員は計500人以上もいるそうだ。名誉会長の吉野宏さんは電話の向こうで「毎朝登山を取材するなら、人数が多い保久良がいいでしょうね」と教えてくれた。地図を眺めると保久良山は標高190mほど、六甲山の尾根の末端にあたり、東灘区の住宅地の裏山といったところだ。山頂に保久良神社があるらしい。

未明の住宅街から保久良神社へ

三宮の宿を出発したのは夜明け前の4時30分だった。眠そうな顔をしたフロントのスタッフにスーツケースを預け、神戸三宮駅から阪急の始発に乗る。飲み明かして朝帰りする若者や、職場に向かうサラリーマンなど、乗客は意外に多い。岡本駅で電車を降りると、空が白み始めたところだった。北口の小さな改札を抜けて、スマホのマップを見ながら住宅街を歩いていく。ここ東灘区は芦屋市と接しており、山裾に立ち並ぶ住宅の中には長い塀を連ねた邸宅や、しゃれた洋館ふうの建物もある。時刻はまだ日の出前。家々の建築様式を眺めながら歩いていると、不審者と間違われそうだ。人影はほとんどないが、スズメが驚くほど大きな声で鳴き交わしている。

岡本駅北出口を出るといきなり細い路地。地形図を頼りに進む
早朝登山者向けの注意喚起の看板。ルートはこれでいいらしい

坂道をしばらく登っていくと、ようやく保久良神社の参道口に着いた。フェンスに囲まれた水道施設を右手に見ながら、舗装された参道の坂道を登っていく。沿道のサクラがちょうど満開で、淡い朝の光景に彩りを添えている。ちらほら登山者も見かけるようになってきた。夜明け前から登ったのか、もう下山してくる人も少なくない。みな一様に手ぶらで、本当に近所の散歩といった出で立ちだ。確かに住宅地のすぐ裏だし、道は舗装されている。しかし、傾斜はなかなかだ。平地を歩くペースではすぐに息が切れてしまう。サクラを見ながらのんびり登ることにしたが、登るうちに少し汗ばんできた。

保久良神社の参道入口に出た
もう下山してくる人も
ちょうどサクラが満開だった

参道のカーブを大きく5回曲がったところで鳥居の前に出た。石灯籠越しに大阪湾と、その向こうに連なる金剛(こんごう)・生駒(いこま)と和泉(いずみ)の山脈を見晴るかすことができる。眼下には神戸の市街地と港。この街に大勢の人々が暮らしている。神戸の人たちの喜怒哀楽を、この神社はこうして見守ってきたのだ。普段目にすることのない風景が旅情をそそる。

海上の安全を願う保久良神社の石灯籠「灘の一ツ火」は古代からの長い歴史をもつ

標高185mの保久良山頂に鎮座する保久良神社に参拝。周囲には注連縄が張られた磐座が点在している。須佐之男命(すさのおのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、大歳御祖命(おおとしみおやのみこと)、椎根津彦命(しいねつひこのみこと)を祭る神社はシダレザクラが美しかった。次々にやってくる毎朝登山者が拝殿で柏手を打っている。有史以前から信仰の地だったというこの地は、今なお神戸市民にとって心のよりどころなのだろう。

保久良神社を参拝
この地は古代から祭祀の場となっていたそうで、磐座も点在。弥生時代の祭事用の土器や石器も出土している

参拝を終えて境内を散策していると、6時30分にラジオ体操が始まった。「おはよう」「サクラがきれいやね」と、顔見知り同士が笑顔で挨拶している。懐かしいラジオ体操のテーマが小さなラジカセのスピーカーから流れてくる。春休みということもあって、台の上でラジオ体操の手本を務めるのは小学生くらいの男の子だ。30人ほどだろうか、文字通り老若男女が胸いっぱいに朝の空気を吸い込んで、手足を大きく動かしている。何年ぶりかでラジオ体操に参加したが、意外に体は覚えているものだ。ラジオ体操第2まで終えると、うっすら汗をかいていた。

ラジオ体操は六甲の毎朝登山には欠かせない

MAP&DATA

高低図
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最適日数:日帰り
コースタイム: 50分
行程:岡本駅・・・保久良神社・・・岡本駅
総歩行距離:約3,100m
累積標高差:上り 約188m 下り 約188m
コース定数:4
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プロフィール

西村 健(にしむら・たけし)

山と溪谷オンライン編集長。新聞記者や海外ボランティアを経て、『山と溪谷』や『ワンダーフォーゲル』などの雑誌編集に携わる。現在はウェブメディアと書籍の編集をしながら、ホームマウンテンの奥武蔵を拠点に活動。山歩き、トレイルランを中心に雪山、カヤック、釣り、野菜作りと節操なく遊ぶ日々。

Special Contents

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