第6回 伊勢〜熱田神宮徒歩100km

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一万日連続登山を目指し、達成目前で力尽きた東浦奈良男さん。連続登山を始めた昭和59年よりも19年前の昭和38年、前回に紹介した北アルプスの五竜岳で痛い目に遭い、山に向かう己の力の限界を感じた奈良男さんが取った行動は、ひたすら歩くことだった。

前回の「奈良男日記」:第5回 軽装で登った五竜岳での雪と霰。

五竜岳を撤退してから約1ヶ月後の昭和38年10月26日の土曜日に仕事を終えた奈良男さんは、「五竜の悔しさをはじきとばすべく胴ぶるいのまま年は越さぬ(S38.10.27日記)」と、19時間以上かけて名古屋の市街地までの約80kmを歩いた。

そして、11月10日、伊賀上野まで約70kmを歩いた2週間後、再び名古屋を目指し、熱田神宮までの約100kmに挑んだ。

 

昭和38年(1963年)11月24日の日記より

熱田神宮参行歩

日本晴 6.17〜夜〜5.18  5.45まで 実に23時間余

苦業の果てのはてに熱田駅に到達せり。溜飲忽ち、快す。一〇〇粁(km)は完全に越ゆ。四六時中の敢斗ここに成り。本年掉尾(物事・文章の終わりになって勢いを奮うこと)の足ならし了れり。我ながら苦ばらしきものなり。来年の山行にいかにひびくか。みものききものぞ。夜の神さま、星さま、熱田さまよ、ありがとう。恵まれた好天よ。登山靴はやはり重く、同歩調は強要されるものの如し。一時間はよけいにかかった。足裏はそのかわり前回ほど痛まず。登山靴もこの壮途を同じくしたのだ。よくぞいけたる。

 

出がたきを出て、松阪、松ヶ崎で思案しつつも、ついに前進に決しられて、苦行はじまる。津で意外の時間に(一時すぎ)夜半のたたぬ時間で助かると進行す。なかなか遠いものだ。鈴鹿までの長さは、人殺しもの。魚屋か、言葉を交わす。自嘲?の一言耳に残して。四日市手前すばらしい暁天となる。好天まちがいなしだ。よしきたベース崩れず、快調つづく。だが、桑名あたりより、心鬱し来る。これとの斗(たたか)いが、えんえんと道につれてつづくのだ。いや心屈するといえようか。一歩、ただ一歩、ようやく、ようやくにして、(名古屋市を流れる庄内川に架かる)一色大橋、ここで止めんとするも、一気なんとなく歩きすぎて、熱田神宮までしんどついでとばかり、ふらりぶらりゆく。猛然、5.5キロの標識に、最后までと一心決したり、倒れてもゆかんかな。気はらくとなった。が、えらさ遠さは同じ。尋ねること数度、少しでも近づいたことを知って、元気づけるため。空はついに雲押しよす。ネオンがつき、太陽もおさらばしたころ、昭和橋、暗きに出て暗きにつくか、星を戴きて出で、星を行き、月を行き、また日を歩み、そして星を冠りて了るか。月はすでに津近くで没したり。今熱田神宮に着す。ネオンの渦に光る時計は五時十八分であった。ああらくにやっとらくにタッチしたのだ。もう神宮へは、正月と帰りかけしも、すまぬ一心で、歩きがたきを堪え、ちょっとの所を、一生懸命であった。これだッ。

夜道は・・・・・・・・・・・・・・・・

はなかむしぐさにしたしみがわく。決戦前の一服のみか。

 

歩きなきところ幸福なし

真剣の魅力とは。真剣に歩く、いいことだ。まっ暗の本殿にききたどりつき、やっとお礼の心語を奉る。さあ帰りだ、うきうきの帰り。バスで25円の借をかえして、本屋へも行かず。ただひたに電車で帰る。この苦しさ、苦しさの遠さ、長さを、よくも踏み越えたり。23時間の真剣、これだから、歩くのはやめられんわい。人が何といおうと、見ようと、かまうもんかい。歩くことが人間の、永遠不変の最良の真姿なのだ。歩くことを忘れてどこに人間の真面目ありや。歩くこと少なれば、福を招かず、病を招くだろう。足をもらって生れた以上かくあるべきものなり。歩徳無窮なるかな。
人にいわれた、ひよくちの四字がこの大満足を産んだもの。何が酷評? が因となったか、そういわしめた遠因(間接的な原因)は、実に実に深く遠い。俺がこう歩きすえるのも、山が好きになったから、本で山を知ったから、本は一人子だったから。一人子は二人が亡くなったから、二人が亡くなったのは大阪へ親がきたから、そうなった里の事情、大きく大阪があったから。ついに秀吉が出たから、・・・・きりのないまでの深因か。命日の成功。足のうらは、むせてかわいそうにも右足のみ白くふやけていた。親指と前部が。だがくつ下をとると、すぐかわいて回色す。いたわしき足よ。さすりまわしつつおかきをくった。二日たった26日朝もまだ足腰常復せず、ねうちを思い知らされる日がつづくのか!! !! !! !! !! !! !! !! !! !! !! !!

運は空気なり。

吸主、呼従のいかんにある!! !! !!

歩かないで歩いていた昔の人も真実もわからぬ

すべての幸福は苦しみの固い皮に包まれたうまい餡である。あまい幸福を味あわんとすれば、苦しみの厚さを突き破ることだ。苦しみのない、苦しみを踏みこさぬしあわせはどこにもないと覚悟すべし。苦しみ遠く大なるほど、喜びもまた深く大なのだ。かんたんに破られる苦しさならたかがしれているのだ。よろしく苦しみには背水の陣あるのみ。苦しみを逃げるものにぜったいにおもしろいよいことはありえぬ。23時間の苦しみをのりこえきし今、無形無限のあるものが、心身にすみついただろう。今までの人生、なんと苦しさからにげてばかりいたことぞ。今からでも、なら遅くなし。苦しみに当って砕けろ。

後半に出てくる「人にいわれた、ひよくちの四字がこの大満足を産んだもの」の「ひよくち」とは何のことか分からない。奈良男さんの次女の小澄さんに尋ねたところ、「伊勢にそうした言い方はないですが、昔の父の言い回しを考えてみると、物事の始まりを表す<初口>のことを<ヒョクチ>と言っていたように思います。こじつけかもしれませんが、熱田神宮の初口(この場合、入り口)まで来たことを誰かに教わり、喜んだのではないでしょうか」と教えてくれた。その後に「酷評? が因となったか」とあるから、魚屋に言われた「自嘲(でそんなに歩いているのか)?」のような言葉があったからこそ歩き抜くことができ、「大満足を産んだ」のかもしれない。

また、「一人子は二人が亡くなったから」は、奈良男さんの兄と姉のことを指す。ご家族に聞くと、まだ小さい頃、風邪をこじらせて二人は亡くなってしまったという。

淡々とした長い道を歩いていると、いろいろな事が思い浮かぶ。自分の身の上がある原因を、大阪の街を作った秀吉がこの世に生まれたことにまで時代を遡ってしまう感覚が独特だ。

そして100kmを歩き抜いた奈良男さんは「苦しみの硬い皮」を突き破った。

奈良男さんは、20代前半で迎えた太平洋戦争時代、自分の体にコンプレックスを抱いた。結婚するまでは、会社へもろくに行かない生活を送っていたこともあった。唯一、没頭できたものが読書で、この日の日記でも「本で山を知った」と綴っている。

もともと、ひとつの事にのめり込む素養はあったと思うが、後に一万日を目指して27年間欠かさず頂きに立った強い精神力は、五竜岳敗退後のこの熱田神宮への徒歩参拝があったからこそ生まれたように思えてならない。

注:日記の引用部は誤字脱字も含めて採録しますが、句読点を補い、意味の通じにくい部分は( )で最低限の説明を加えています。

イベント情報

吉田智彦写真展
『淋しさのかたまり 〜1万日連続登山に懸けた父親の肖像〜』

1万日連続登山記録達成寸前に他界した東浦奈良男の最後の5年を追った写真と半世紀もの間綴られた日記から浮かび上がる、勝手と優しさに満ちた一人の父親の姿

日程 2019年2月2日(土)~2月11日(月・祝)
会場 ナノグラフィカ(長野県長野市西之門町930-1)
営業時間 11:00〜17:00
定休日 不定休(お店に要確認)
お問い合わせ TEL 026-232-1532
※吉田氏によるギャラリートークを開催
日時 2019年2月10日(日) 18:00〜20:00
参加費 2,500円(食事・ドリンク付き)
日時 2019年2月11日(月・祝) 15:00〜17:00
参加費 1,500円(軽食・ドリンク付き)
(※前日までに要予約)

日程 2019年2月16日(土)~3月4日(月)
会場 コトバヤ(長野県上田市中央4-8-5)
営業時間 月・火 12:00〜20:00、土 10:00〜20:00、日 10:00〜18:00
定休日 臨時休業・営業あり(お店に要確認)
お問い合わせ kotobaya.net@gmail.com
※吉田氏によるギャラリートークを開催
日時 2019年3月3日(日) 15:00〜17:00
参加費 1,500円(ワンドリンク付き)

『信念 東浦奈良男 一万日連続登山への挑戦』
著者 吉田 智彦
発売日 2013.06.14発売
基準価格 本体1,200円+税

amazonで購入 楽天で購入

プロフィール

吉田 智彦(よしだ ともひこ)

人物や旅、自然、伝統文化などを中心に執筆、撮影を行う。自然と人の関係性や旅の根源を求め、北米北極圏をカヤックで巡り、スペインやチベット、日本各地の信仰の道を歩く。埼玉県北部に伝わる小鹿野歌舞伎の撮影に10年以上通う。2012年からは保養キャンプに福島から参加した母子のポートレートを撮影し、2018年から『心はいつも子どもたちといっしょ』として各地で写真展を開催。福島の母子の思いと現地の実状を伝えている。
Webサイト: tomohikoyoshida.net
ブログ:https://note.mu/soul_writer

奈良男日記 〜一万日連続登山に挑んだ男の山と人生の記録〜

定年退職した翌日から、一日も欠かさず山へ登り続けて一万日を目指した、東浦奈良男さん。達成目前の連続9738日で倒れ、2011年12月に死去した奈良男さんの51年にも及ぶ日記から、その生き様を紐解いていく。

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