アッパームスタンにて。ガイドブックに載っていない天然の仏塔を訪れる

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今から100年以上も前に、標高5000m以上あるヒマラヤ奥地の峠をいくつもこえた僧侶、河口慧海。その足跡を辿って、稲葉 香さんらが歩いた2016年の記録。今回はチレからシャンボチェまでの途中に立ち寄った、ガイドブックにも載っていない場所の話。

チレからランチュン・チョルテンへ

この日は、「ランチュン・チョルテン」というムスタンでも名高い巡礼道に立ち寄った。河口慧海のチベット旅行記には出てこない場所だ。それは天然の仏塔で、ドーム型の鍾乳洞である。2014年に来た時、とても印象が良かったから、一緒に来たメンバーにはぜひ見て欲しいと思ってコースに入れたのだった。この場所はガイドブックには載っていない場所で、高野山大学文学部密教学科教授の奥山直司氏の著書「ムスタン曼荼羅の旅」でその存在を知った。


チレからは、車道とトレッキングルートと大きく二つに分かれることになり、この巡礼地(ランチュン・チョルテン)へ入るには、深い渓谷を下ることになる。慧海の時代には現在の車道がなかったから、この巡礼道を歩いていたのだろうか? でもチベット旅行記には一言も書かれていない。

朝、今にも雨が降り出しそうな分厚い雲がかかっていたが、ムスタンでは本来雨は少ない。以前に来た時には気付かなかった水路があり、そこには貴重な水の流れができていた。それを見ながら進んで行くと、西側に深い谷を挟んで村が見える。ここは、以前は畑だけで、村はなかったらしい。この村へは、大きな立派な橋ができ上がっていて、今では容易に行けるようになっていた。

谷を挟んだ対岸に村が見え、橋がかかっていた


しかし、私たちは橋を渡らず、そのまま山肌を削って作られた道をどんどん進んで行く。石を重ねて作られた階段になっている。

アッパームスタンでは、午前10時を過ぎると強烈な風が吹きはじめる。以前、夕方に通過した時、強風に吹っ飛ばされそうになったことがある。ここは道幅が狭いから早めに通過した方が無難だ。ここを登りきると峠に出る。天気が良ければニルギリ(標高7061m)が綺麗見えるはずだが、この時は雲がかかっていてその姿を見ることができなかった。

ここからサマル村は目の前だ。

山肌を削って作られた道を進む


サマルとは、チベット語で「赤土」という意味だ。村は、ポプラの林に囲まれていて、かつては、ゾン(城砦)があったというが、今は跡形もない。ここでランチタイムの休憩をとった。ダルバートは、言うまでもなく美味しい!

2014年に訪れた時にはここで一泊し、早朝、峠からは神々しいヒマールを遠望したこと覚えている。ニルギリ(標高7061m)、ティリチョピーク(7134m)、カトゥカン(6484m)、ヤカワカン(6482m)、そして、トロンパス(5415m)が見えるが、今回は雲で見られなかった。峠までは長いアップダウンが続くので、休憩を取りながら歩いた。

神々しいヒマールの山並み(2014年撮影)

深い谷を下ってたどり着いた先に、神聖な洞窟があった

途中、カルカ(放牧地)を通り過ぎて、登りきると峠に出る。そして、ここからがいよいよ「ランチュン・チョルテン」に至る道だ。深い谷に入るように、ひたすら下る。

ランチュン・チョルテンに至る道。ひたすら下る


途中、巨人の顔のような岩が出てきたり、絶壁の高みに洞窟が両側に出てきたりするので、それらの景色を堪能してさらに下ってゆく。沢まで降りたら対岸に渡り、しばらくするとタルチョが一面に靡いているのが見えてきた。

巨人の顔のような奇岩


空気感が変わり、神聖な場所に来たことを感じた。谷底からは登り返しになるので息をきらして洞窟にたどり着いた。中に入ると、自然にできた仏塔に目を奪われる。この洞窟のご神体は天然のチョルテン、巨大な鍾乳石だ。

鍾乳洞の中に入り、その景色に圧倒された


2014年の訪問時に出会った、ここを管理していた若夫婦の写真を持ってきたが、この時この場所を守っていたのは一人のチベット人男性だった。

彼は、世界中の聖地を周っていて6ヶ月目になるとのこと。その彼に洞内を案内してもらう。

自然にできたターラ菩薩、パドマサンバヴァ(注1)などの像がある(詳しくは『ムスタン・曼荼羅の旅』(奥山直司 著/中央公論新社を参照)。


彼の説明を聞きながら、岩に目をこらすと確かにそれが仏の顔や体に見えてくる。これらの像はたとえ壊されてもまた同じ形が岩の中から現れるという。色々質問を重ねていると、かなり関心が高いと感じたのか、「もう一つ、上に洞窟があるよ」と話してくれた。

そこは未だ外国人を案内したことはなく、道もついていなかったが、ちょうど2週間前に村人総出で作った道が完成したばかりだという。時間に余裕がなかったが、せっかくなので案内してもらった。

最初に見た鍾乳洞とは違って、タルチョはあったが、それだけで、仏像や祭壇のようなものはなかった。その洞窟には、様々な言い伝えがある。ある石の間にわずかなすき間があり、そこを通り抜けられた人は信仰心が強いという。私たちは、ああでもない、こうでもないと必死になって、足がつりそうになりつつ、あらゆる角度からチャレンジした末、なんとか通り抜けることができた。

次に示されたものは、太い石柱。これに両手を回して右手と左手の指先を触れることができた人は、天国にいる親といつでも再会できるという。メンバー全員がチャレンジし、大いに盛り上がる。私も必死に抱きつくが、指先は届かなかった。

私は、チベット人の彼に「次はどこへ行くの?」と聞くと、「ドルポに行く」と言っていた。「ドルポのどこへ?」と聞くと、「シェー ゴンパだ」と。私達もまた、このムスタンの旅を終えたらドルポへと向かう。

またどこかで会えたらいいねと、最後にみんなで記念写真を撮った。写真を見るとみんなとてもいい笑顔だ。結局、滞在は2時間を超え、今日のその日の宿泊地、シャンボチェに着いた時は、18時を回っていた。

(注1):パドマサンバヴァは、8世紀後半にチベットに密教をもたらしたとされる人物

稲葉香さんの「ドルポ越冬プロジェクト」、クラウドファンディングでサポーター募集

過去4回、ドルポを旅した稲葉さんだが、厳冬期のドルポは見たことがない。氷点下20~30℃にもなるドルポで、現地の人たちとともに、ひと冬を過ごしたい! この「ドルポ越冬プロジェクト」では、クラウドファンディングでサポーターを募集中! 

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稲葉香さんが自費出版で2冊の本を出版

『Mustang and Dolpo Expedition 2016 河口慧海の足跡を追う。ムスタン&ドルポ500キロ踏破』

(46ページ・写真付き) 1500円(※完売)

2016年に河口慧海の足跡を忠実に辿り、慧海が越境したであろう峠クン・ラまで歩き、国境からは、アッパードルポからロードルポをできるだけ村を経由して横断し約60日間で500km以上を歩いた時の報告書を、編集したもの。

『未知踏進 稲葉香の道』

(14ページ・写真付き) 1000円

18歳でリウマチ発症、24歳で仕事を辞め、ベトナムの旅へ。ベトナム戦争の傷痕に衝撃を受け。28歳では植村直己に傾倒してアラスカへ。30歳で河口慧海を知り、河口慧海を追う旅が始まった。流れるように旅に生きる稲葉さんの記録。

⇒詳しくはこちら

プロフィール

稲葉 香(いなば かおり)

登山家、写真家。ネパール・ヒマラヤなど広く踏査、登山、撮影をしている。特に河口慧海の歩いた道の調査はワイフワークとなっている。
大阪千早赤阪村にドルポBCを設営し、山岳図書を集積している。ヒマラヤ関連のイベントを開催するなど、その活動は多岐に渡る。
ドルポ越冬122日間の記録などが評価され、2020年植村直己冒険賞を受賞。その記録を記した著書『西ネパール・ヒマラヤ 最奥の地を歩く;ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)がある。

オフィシャルサイト「未知踏進」

大昔にヒマラヤを越えた僧侶、河口慧海の足跡をたどる

2020年に第25回植村直己冒険賞を受賞した稲葉香さん。河口慧海の足跡ルートをたどるために2007年にネパール登山隊に参加して以来、幾度となくネパールの地を訪れた。本連載では、2016年に行った遠征を綴っている。

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