多摩川最初の一滴を生み出す「水干」と笠取山。水源の森として守られた重厚な原生林を楽しむ

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東京都民の命の川、多摩川。その水源の山と知られるのが笠取山だ。水源の地として守られてきたため、山全体は原生林に覆われ、この山域の中では随一の自然の残った山となっている。独特の雰囲気のある広葉樹林が新緑に染まり始める5月中旬以降にぜひ訪れたい場所だ。

 

奥多摩とは、多摩川水系の山と谷を著す名称だ。多摩川は埼玉県秩父市と山梨県甲州市(かつての塩山市)の県境にある笠取山(1953m)から流れ出す。山頂から南面に下った「水干(ミズヒ)」が水源で、かつては「東京湾まで138km」という小さな木の看板だけのある、苔むした岩の窪みがある場所だった。現在は、「水源の森」として水干周辺が整備されて、テーブルやベンチが置かれ、小さな広場となっている。周囲は広葉樹で覆われ静けさに満ちている。

東京湾まで138km、多摩川源流の地、水干の様子(写真/マサヒタ さん


雲取山(2017m)、飛龍山(2077m)、唐松尾山(2109m)・・・、そして笠取山と連なる山々は、奥多摩でも比類ない高さで連なる山脈として存在感があり、「多摩川水源地帯の山」と呼ばれる他の山域とは異なる太古の自然環境の残る場所となっている。大部分はコメツガやシラビソの針葉樹と、ミズナラ、ダケカンバなどの広葉樹の自然林に覆われた、奥多摩屈指の原生林に覆われた美しい山と谷からなっている。

この山と谷が太古の静けさを保っているのは理由がある。それは東京都がこの山域の森を保護してきたからだ。1960年代に利根川水系、荒川水系からの水資源が利用されるようになるまで、多摩川は東京都民の水の大部分を供給する「都民の命の川」だった。1909年(明治42年)、時の東京市長だった尾崎行雄は5日間に渡り多摩川水源地帯を視察し、多摩川を生み出す水源の森の保護・管理を決めたのだった。

行政的には山梨県に属する甲州市、丹波山村、小菅村の森林は、東京都水道水源林として購入され、これまで保護・育成されてきた。土木王国・山梨県の中にあって、多摩川水源地帯は植林・伐採・林道建設・河川の堰堤工事などの影響が極めて少なく、重厚な原生林と、それによって守られた渓谷が、美しい山と谷や森を形作っている。

山中は深い原生林に包まれた美しい森林が広がっている(写真/やまやま@ さん


ちなみに丹波山村に至っては、全面積の75%が水道水源林として手厚い保護がなされている。笠取山南面は、1960年代の他の山域の植林、伐採などの人の手による大規模森林経営から守られ、下部ではミズナラ、ブナ等の広葉樹、上部ではシラビソ、コメツガの森に囲まれた独特の雰囲気を持っている。

なお、笠取山の北面は埼玉県秩父市だが、ここも峻険な山と谷に囲まれて手つかずの自然が残っている。さらに、笠取山から雁峠にかけては、多摩川だけでなく、荒川、富士川の各支流の水源でもある。山頂から西側にかけての稜線は大きく広がりを見せて、奥多摩・奥秩父最大の明るい草原となっている。奥深い原生林と明るい草原とに囲まれた独特の雰囲気を持つ笠取山だ。

笠取山山頂へと続く登山道の様子(写真/うっかり さん


将監峠から唐松尾山、黒槐ノ頭、笠取山、雁峠と続く山脈は、青梅街道から犬切峠を越えて尾根によって隔絶された一ノ瀬高原と呼ばれる山里が登山口となっている。一之瀬、二之瀬、三之瀬と、小さな集落があり、江戸時代は金鉱の村として拓かれ、1970年代から20年ほどは民宿経営が盛んな地域だった。かつては青梅街道の落合まで塩山駅からバスが通っていたが、この25年近くはバス運行がなかった。数年前から週末のみ運行されるようにはなったものの、落合から三ノ瀬まで約10kmは公共交通機関が無い、まさに陸の孤島だ。

ところで笠取山の名の由来は、甲州や武州の領地視察の役人が、国境である笠取山でお互いに笠を取り、挨拶を交わしたことから付けられたことからだという。頂上直下の笠取小屋、将監峠下の将監小屋共に、水道局の水源巡視の小屋として建てられたものだ。現在は登山者のための小屋として存在意味が変わったが、笠取山は江戸時代以降、現在が最も静かな環境にあると言える。

そんな笠取山に登るには、多摩川源流の作場平の登山口が最も良く利用される。30台程度が止められる駐車場があり、トイレなども完備されていて便利だ。公共交通機関を利用する場合は、JR中央線・塩山駅からタクシーで10000円前後となる。多摩川源流沿いに歩き、途中から一休坂と呼ばれるミズナラの巨樹の目立つ森を登る好ルートが最もポピュラーだろう。しかしここでは、水源林巡視路として作られ、登山道として使われている中島川橋からのコースを紹介したい。

中島橋から森林巡視路を通って笠取山・水干へ

行程:
中島橋・・・黒槐分岐・・・笠取山・・・雁峠分岐・・・水干・・・黒槐分岐・・・中島橋(約4時間40分)

⇒コースタイム付き登山地図

 

広葉樹の森を抜けて水源の山頂へ

作場平から東に約1.5km、中島川の手前が登山口だ。この道は森林巡視の作業道として作られた関係で、急な傾斜を避け、丁寧にジグザグを作り、ゆっくりと高度を上げるのが特徴だ。最初は杉や檜の植林だが、駒止と呼ばれる分岐からはカラマツの中を登りだし、やがてミズナラやコナラの明るい広葉樹の森となる。5月中旬、鳥の繁殖期になると、コマドリやウグイスらの声と、これらの鳥に托卵を試みるホトトギスやジュウイチが縄張りを主張して、お互いに鳴き交わし、うるさいほどの鳥の囀りで一杯になる。

広葉樹の森が終わり、ウラジロモミなどが現れる頃、背後には大菩薩や富士山が大きく見えてくる。傾斜が落ちてきて黒槐分岐で奥秩父主脈縦走路に登り着く。ここからは山の斜面を水平にトラバースするコメツガの森だ。

豊富な水量の冷たい水流を渡る黒槐沢を越えて、やがて縦走路から別れて五月ならミツバツツジの咲く中を傾斜のある登山道を辿る。左に水干への道を分け、登り続けると苔むした原生林の中を山梨・埼玉県境の尾根上に出る。ここから笠取山山頂までは三つほどの小ピークを越えて行くが、5月末には尾根の上は一面のピンクのアズマシャクナゲが咲き乱れる中を進んでいく。すると、“ポン”と笠取山頂上だ。立派すぎる頂上標識がある場所から、もう少し先(西側)に進んで「山梨百名山・笠取山」の標識のあるピークの方が展望は広大だ。

笠取山頂から雁峠方面を望む(写真/カボス大使 さん


この場所からは、西へと続く奥秩父主脈、南アルプス、富士山の眺めが大きい。足元に大きく広がる草原は雁峠まで続いている。かつては一面のレンゲツツジの咲く斜面だったが、今では鹿の食害で大きく数を減らしポツリポツリと点在する感じになったのは残念だ。

ここから大きく広がる急な草原の中を進み、下り切った所が雁峠分岐だ。ここで少し南にある小ピーク「小さな分水嶺(多摩川、荒川、富士川)」の看板のある展望の良いピークにも登ろう。

小さな分水嶺(多摩川・荒川・富士川)(写真/やまやま@ さん)


分岐に戻り、左手・東側に20分ほどで多摩川水源・水干の広場に着く。常に水があるのは「水源の道」と書かれた標識に従って50mほど下った場所だ。花崗岩の砂礫の間から沁み出すように水が湧いている。この水を汲んで広場のテーブルでお茶を入れると楽しい。水干から5分ほど東に向かうと、先ほど別れた笠取山への分岐に戻る。再び、黒槐沢を渡り、黒槐分岐に戻り、中島川橋へと戻ろう。

笠取山への道は週末には作場平の駐車場が埋まるほどの登山者が来るが、平日は極めて登山者は少ない。新緑の頃、むせ返るような緑の美しさや、随所に林立するブナ、ミズナラの巨樹の中を水源林の豊かさに感謝しながらミツバツツジ、シャクナゲの中を登れば、奥多摩=多摩川水系の恵みの森との印象を強くするだろう。

 

プロフィール

山田 哲哉

1954年東京都生まれ。小学5年より、奥多摩、大菩薩、奥秩父を中心に、登山を続け、専業の山岳ガイドとして活動。現在は山岳ガイド「風の谷」主宰。海外登山の経験も豊富。 著書に『奥多摩、山、谷、峠そして人』『縦走登山』(山と溪谷社)、『山は真剣勝負』(東京新聞出版局)など多数。
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