三頭山――。奥多摩三山随一の広葉樹の森が広がりブナの巨木を楽しめる山
奥多摩の中でも随一の自然林が残るのが三頭山周辺だ。奥多摩周遊道路の完成で東側の様相は大きく変わったものの、標高1000m以上の山中は、引き続き原生林が残り、5月中旬~6月初旬の初夏の時期には美しい新緑を楽しめる場所となっている。
奥多摩とは多摩川水系の山と谷を著す呼び名だが、その多摩川の南岸に横たわる奥多摩主脈には奥多摩三山が存在する。御岳山の隣にある独特の山容を持つ大岳山、美しい三角錐の御前山。そしてもう1つが、1531mの最も高い標高を持ち、広葉樹の森とブナの巨樹に覆われた三頭山だ。
大きな山容を持つ三頭山は、奥多摩三山の盟主と言って良い山だ。大岳山と御前山は、昔から日帰り登山で登られることが多かったのに対して、三頭山は最も西にあり、登山口からの標高差もあり、健脚者以外は山麓に泊まって丸一日かけて登られることが多かった。
南秋川の最奥にある数馬(かずま)が、古くから三頭山登山の最もポピュラーな登山口だった。奥多摩を世に知らしめた田部重治氏の名文「数馬の一夜」(ヤマケイ文庫「山と溪谷」)で知られる谷間に面した山里だ。現在でも武蔵五日市駅から西東京バスで1時間以上を要する東京でも最も奥地にある集落だ。
50年前までは、ここで街道は終点となり、車道はここで途絶えていた。北側の奥多摩湖畔からは小河内神社前からドラム缶浮橋で湖を渡り、オツネの泣き坂で知られるヌカザス尾根を1000m近い標高差を制して登る道が歩かれていた。こちらも湖畔の宿に前泊する者が少なくなかった。
林業が盛んだった1960年代でも、1000m以上ではサワクルミ、ミズナラ、コナラなどの広葉樹が、1200m以上ではブナの巨樹が林立する奥多摩屈指の森には、手が付けられずに自然林が残された。
三頭山はその名の通り3つの頭・山頂からなっている。1527mの三角点のある東峰、展望台があって御前山や大岳山と続く奥多摩主脈が明るく見渡せる最高点1531mの標高を持つ中央峰、そして南北に広大な展望のある実質的に山頂として扱われている西峰がある。
遠くから三頭山を眺めると、西へ鶴峠へと続く尾根上の神楽入ノ峰、南にムシカリ峠を挟んだ大沢山と合わせて、たくさんの峰からなる大きな山塊のように見える。人気の奥多摩主脈、奥多摩三山の中では重厚な奥地に君臨するイメージが強かった。
ここで「強かった」・・・と過去形で書いてしまったのは、1973年に奥多摩有料道路(現在の周遊道路)が開通してからは周辺の様相が一変して、最奥の原生林の山の様子が大きく変わってしまったからだ。車道終点のどん詰まりの集落だった数馬から、南秋川源流の三頭沢を通って奥多摩主脈の風張(かざっぱり)峠から月夜見山東へとほぼ稜線近くを通過して、奥多摩湖畔の岫沢から湖南岸を通って奥多摩湖深山橋へと三頭山を半周する形で建設された二車線の山岳道路によって、三頭山は自動車やバイクの疾走する場へと変わってしまった。小河内峠から月夜見山・風張峠の一帯は、道路建設以前は奥多摩主脈で最も人影を見ない明るい稜線で、好ましい場所であっただけに、その変貌には愕然とさせられる。
また、道路建設とほぼ同時に、秋川側の標高990m付近に広大な「都民の森」が、奥多摩湖畔の岫沢には「山のふるさと村」が作られた。「都民の森」はレストランや研修施設、木工や炭焼き体験のできる施設などを含んだ巨大建造物で、大きな駐車場なども作られた。かつての原生林の広がりを知る者には、驚きの光景である。
「山のふるさと村」は、奥多摩湖建設後も残った奥多摩湖南岸の2つの集落に建てられた。こちらは宿泊可能な施設やレストランなどがある。この2つの施設の建設と共に、何もなかった三頭山南面には何本かの歩道が整備された。とりわけ沢登り以外では見ることのできなかった落差33mの雄大な三頭沢の大滝には、滝を見下ろす巨大吊り橋が作られ、周囲は公園の様に整備された。
このように、奥多摩周遊道路の建設と都民の森の出現は、三頭山登山を大きく変えてしまった。数馬から、または奥多摩湖畔から1000m近い標高差を制して登った大きな山も、標高990mの都民の森から整備された遊歩道を辿れば3時間弱で、ブナの森も大滝も見ながら周回できる山となった。実際、三頭山を訪れる登山者の9割は都民の森を拠点とするルートから山頂に立つ。それでも三頭山そのものは、山頂付近の自然が破壊された訳ではないので、山の魅力そのものは残されている。
1960年代に書かれた「奥多摩の山と谷」(山と溪谷社)というガイドブックを読み直すと、三頭山に登るルートとしては、
- 東京・神奈川・山梨を分ける笹尾根からのコース
- 檜原村の浅間尾根から風張峠を経て登るコース
- 小河内峠から月夜見山を越えて縦走するコース
- 奥多摩湖畔からヌカザス尾根を登る「オツネの泣き坂」の急坂を越える健脚コース
- 鶴峠からのコース
と、四方に広がっていた。そのうち浅間尾根からと小河内峠からのコースは奥多摩周遊道路の横断や通過を余儀なくされ、登山ルートとしての意味を失った。
様々な変容を強いられた三頭山だが、山頂(西峰)からの北側に広がる雲取山から飛龍山、そして石尾根など、多摩川北岸の大きな山の連なりの眺望は壮観だ。また南面の富士山や三ツ峠、丹沢の明るい眺めなどの優れた展望も見事だ。そして山頂付近のブナの森、南面の広葉樹の美しい森など素晴らし原生林そのものは大きくは変わっていない。アクセスの良い都民の森を活かしながら、自分の志向を考えて様々なルートから三頭山に登ってもらいたい。
今回、三頭山に登るためのコースとして、最も森の美しさを体験できる鶴峠からのコースを紹介したい。鶴峠は標高870mにある山梨県上野原市と小菅村を結ぶ峠で、古くから車道が通り多摩川奥と鶴川上流を結ぶ峠だ。週末には上野原駅からバスも運行されているので、これを利用しながら登りたい。
広葉樹の自然林が多い鶴峠から満喫する三頭山
三頭山の西側にある鶴峠のさらに西側には、「牛ノ寝通り」と呼ばれる長大な尾根が大菩薩連嶺の石丸峠から続いている。大正時代の日本の近代登山の黎明期には、大菩薩から鶴峠を経て三頭山に登り、そこから、更に奥多摩主脈へと繋げるような登山の記録が見られる。
筆者自身、1960年代末期に牛ノ寝通りを縦走した際に「ショナメ」と言う場所で「武州御嶽に至る」と書かれた古い指導標を見て、奥多摩と大菩薩の繋がりに驚かされた記憶がある。また三頭山から伸びる笹尾根・甲武相県境尾根は、生藤山や和田峠、陣馬山を越えて高尾山へと続いている。奥多摩の大きな尾根の要としての三頭山の位置を改めて思い起こしながら山頂を目指そう。
鶴峠から僅かに植林の中を登ると、その先は全てブナを筆頭とした明るい広葉樹の自然林だ。春先ならば新緑が眩しく、鳥の囀りに満ちた道が続く。尾根の少し北側の斜面を緩やかに巻きながら登る歩きやすい道は、やがて小焼山を巻いてコルに出る。ここから明瞭な登山道は大きく尾根北側を巻いてしまい、奥多摩湖畔からのヌカザス尾根の道と合流する遠回りとなるために、尾根の上を歩く道に入ろう(小さな「三頭山へ」の指導標がある)。
尾根上はシロブナの巨樹が林立し、所々で富士山を筆頭とした西側の展望が開ける。神楽入ノ峰を越えて登りきると三頭山の東西に伸びた頂稜の一角だ。最後の斜面を登って、広い展望が見事な三頭山山頂に立つ。
下山は南へとムシカリ峠を経て三頭沢沿いの道に入る。サワグルミ、コナラなどが目立つ明るい広葉樹の道は、すぐに沢が現れ、沢沿いの楽しい道となる。やがて三頭沢の大滝の落ち口に立つ。
立派な休憩所の横を通ると大滝を正面から見る吊り橋がある。水量も多く、迫力ある滝と対面できる。ここからはチップの撒かれた広い遊歩道が都民の森へと続いている。
プロフィール
山田 哲哉
1954年東京都生まれ。小学5年より、奥多摩、大菩薩、奥秩父を中心に、登山を続け、専業の山岳ガイドとして活動。現在は山岳ガイド「風の谷」主宰。海外登山の経験も豊富。
著書に『奥多摩、山、谷、峠そして人』『縦走登山』(山と溪谷社)、『山は真剣勝負』(東京新聞出版局)など多数。
⇒山岳ガイド「風の谷」
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