もしも今、伊勢湾台風が襲ってきたら山の天気はどうなるのか? JRA-55を使って当時の状況を再現

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台風災害としては明治以降で最多の死者を出した、1959年の伊勢湾台風。この台風は、大台ヶ原の原生林を一夜で立ち枯れ林としたほど、山岳地帯にも甚大な被害を出したことでも知られているが、はたしてこの規模の台風が再び上陸したら――。そんなシミュレーションを、JRA-55を使って再現する。

 

ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。8月の初めには各地で「線状降水帯」が発生し、河川の氾濫や土砂災害などの大きな災害になっています。その後は一時的に猛暑が復活しましたが、お盆の頃に関東に上陸した台風8号の影響で静岡県や関東地方で、秋雨前線の影響で北日本や北陸などで、再び大雨になっています。被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

そして9月になると偏西風の流れに乗って台風が日本に上空しやすくなり、10月まで「台風シーズン」となります。拙著「山岳気象遭難の真実」(ヤマケイ新書)での第6章「関東甲信や北日本を襲う台風」で解説しましたように、気候変動によって猛烈な台風が増えるという研究結果が出ています。

シミュレーションはあくまで可能性を示すものであって、必ずしもそうなるというものではありませんが、過去に日本列島を襲って甚大な災害をもたらした台風について知っておくことは、将来への備えとして決して無駄にはならないと思います。

そこで今回は、「もしも今、伊勢湾台風が襲ってきたら山の天気はどうなるのか」をテーマとして、JRA-55(気象庁55年再解析データ)を使って当時の山の気象状況がどのようなものだったのかを再現してみました(図1、詳細は本文を参照)。

図1.JRA-55で再現した伊勢湾台風の等圧線・風・可降水量(JRA-55データを使って筆者作成)

 

1959年9月の伊勢湾台風とは

伊勢湾台風――、昭和34年台風15号、国際名Vera(ベラ)は、1959年9月26日18時に中心気圧929hPa、超大型で猛烈な勢力を維持したまま和歌山県の潮岬付近に上陸しました。伊勢湾台風は上陸時の勢力としては、室戸台風(1934年)、枕崎台風(1945年)、第二室戸台風(1961年)に次ぐ第4位ですが、台風災害としては明治以降で最多の死者・行方不明者数5,098名(死者4,697名、行方不明者401名)に及ぶ甚大な被害をもたらしています。犠牲者の83%が愛知・三重の2つの県に集中した一方で、広島県から北海道までの極めて広い範囲で犠牲者が発生しています。

伊勢湾台風の被害を大きくしたのは、伊勢湾を襲った観測史上最大の5.81m(名古屋港検潮儀による)の高潮です。当時の4.5~4.8mの海岸堤防の高さを大きく上回りました。更に愛知・岐阜・三重を流れる木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の下流には、日本一大きい「海抜ゼロメートル地帯」が広がっています。当時は想定を超えた高潮災害に対して無防備であったことに加えて、貯木場にあった大量の木材が高潮によって流されて住居を襲った(図2)こと、台風が来たのが夜間であったことなどが高潮による被害を大きくしています。

図2. 材木で打ち砕かれた家屋の残状(名古屋市港区)  出典:伊勢湾台風災害誌(内閣府ホームページ /報告書・1959 伊勢湾台風

 

伊勢湾台風が取った経路とJRA-55による台風の姿の再現

気象庁による伊勢湾台風の経路を図3に示します。1959年9月20日に発生した熱帯低気圧が、21日21時にマリアナ諸島の東で中心気圧1002hPaの台風15号となりました。22日9時に996hPaだった中心気圧が、23日9時には905hPaと急発達、更に23日15時に895hPaまで発達しました。中心付近の最大風速は75m/sで、時速に換算すると270km/hという猛烈な風です。

図3.伊勢湾台風の経路(出典:気象庁)


台風15号は、その後も勢力を維持して日本に接近し、26日18時過ぎに潮岬付近に上陸しました。上陸後は速度を速めて紀伊半島を縦断して、北アルプスと白山山系の間を足早に通過して、27日0時過ぎにはいったん日本海に抜けています。その後、台風は秋田県沖から北海道の南に進み、同日21時に北海道の東で温帯低気圧に変わっています。

台風が潮岬付近に上陸してからわずか6時間あまりで日本海に抜けており、その間の台風の平均速度は約65km/hという速いスピードでした。2018年7月の富士山の遭難事故の記事で解説しましたように、台風の進行方向の右側は風が強まる「危険半円」です。走りながらボールを投げると遠くまでボールが届くように、台風の進行速度が速ければ速いほど、「危険半円」で強い風が吹きます。そして、伊勢湾はその「危険半円」に入ってしまったのです。それが未曾有の高潮災害をもたらしました。そして伊勢湾台風が取った経路は、まさに東海地方にとっては最悪のコースでした。

当時はまだ気象衛星がありませんでしたので、JRA-55のデータを使って可降水量(地上から上空までの水蒸気量の合計)を計算して、等圧線や風とともにプロットしたのが冒頭の図1です。可降水量を白黒の濃淡で表示させると、現在の気象衛星による水蒸気画像のような図になります(JRA-55の解像度の関係から若干シャープさに欠けます)。

等圧線の込んでいるエリアや水蒸気が多いエリアを見ると、いかに巨大な台風であったか想像できると思います。実際に伊勢湾台風上陸時の暴風域(風速25m/s以上)は、東側400km、西側300kmという巨大な範囲にわたっていました。数字では実感がわかないと思いますが、暴風域の東西の合計700kmは、東京から広島の間の距離に相当します。

 

伊勢湾台風による山岳での被害状況

まとまった資料は見つかりませんでしたが、筆者が調べただけでも、伊勢湾台風は山岳地域でも多くの被害を与えたようです。和歌山県と三重県の県境付近にある大台ヶ原(主峰:日出ヶ岳1695m)では、伊勢湾台風の暴風によって大量の倒木が発生しました。現在でも、山頂付近で立ち枯れ林が残っているのを見ることができます(出典:Wikipedia)。

また、埼玉県と山梨県の境に雁坂峠(2070m)という峠がありますが、同じく伊勢湾台風の暴風によって原生林が壊滅的な被害を受けたため、峠道が付け替えられたそうです(出典:雁坂峠小屋公式ブログ)。

八ヶ岳の赤岳鉱泉では、伊勢湾台風の大雨によって洪水が起きて小屋が流されてしまったそうです。現在の赤岳鉱泉は風雨の影響を受けにくい場所に再建されています(出典:YAMA HACK)。

ほかにも、北アルプスでは、「水晶小屋の建設を開始するも完成間近で伊勢湾台風で全壊」(出典:雲ノ平山荘の歴史)という被害も見つかりました。

このような大きな被害は、やはり台風の「危険半円」で起きています。ちなみに富士山測候所にあった富士山レーダーは、伊勢湾台風による甚大な被害が契機となり、日本本土に近づく恐れのある台風の位置を早期に探知する目的で1964年に設置されました。気象衛星によって台風が監視できるようになり、各地に気象レーダーが設置された現在では、富士山レーダーはその役目を終えて引退しています(富士吉田市立富士山レーダードーム館で展示)。

 

山岳での気象状況の再現

平地で実際に観測された伊勢湾台風の時の最大風速(10分間平均)は、伊良湖の45.4m/s(瞬間最大風速は55.3m/s)が最も大きな値ですが、中部山岳の3000m稜線ではどのぐらいの風が吹いたのでしょうか。JRA-55を使って、伊勢湾台風が上陸した直後の9月26日21時の700hPa(標高3000m付近)の風速を再現したのが図4です。

図4. 700hPa(標高約3000m)の風速(JRA-55データを使って筆者作成)


図4を見れば、伊勢湾台風の進行方向(北北東)に対して右側の半円が、風が強まる「危険半円」であることが一目瞭然です。そして、中部山岳3000m稜線では44~52m/sという猛烈な風が吹き荒れていることが分かります。陸上の地表面付近は、地面との摩擦によって暴風が多少は弱まりますが、高度700hPa付近では標高3000mを越えているエリアはほとんどないため、摩擦によって弱まることなく非常に強い風が吹きます。この猛烈な風が各地の山岳の樹林をなぎ倒していったのです。しかも瞬間的には平均風速の約1.5倍の風が吹いたのです。

JRA-55データによって富士山付近の標高3000m/2000m/1000mの風速の時間推移を再現したものが図5です。高度とともに風が強まり、ピークの26日21日には標高1000mで40m/s、2000mで50m/s、3000mで52m/sという凄まじい風が吹き荒れていました。図は割愛しますが、大量の倒木が発生した大台ケ原の850hPa(標高1500m付近)でもピークの26日15時には53m/sの猛烈な風が吹きました。

図5. 富士山付近での風速の時推移(JRA-55データを使って筆者作成)


ちなみに気象庁の定義では、「風速がおよそ30m/s以上、または最大瞬間風速が50m/s以上の風」を「猛烈な風」と表現しています。風速35m/s以上になると多くの樹木が倒れ、40m/s以上では住居で倒壊するものが出てきます。伊勢湾台風によって中部山岳を襲った猛烈な風はそれ以上で、原生林が壊滅的な被害を受けたり、完成間近の山小屋が全壊したりしたのも頷けます。

図6は、台風の中心を通る北緯35度における風速の高度断面図です。台風の中心では風が弱く、それが台風の目に相当します。台風の中心の右側で風が強くなっていますが、これが「危険半円」に相当します。「危険半円」において、高度とともに風速が増加していて、5000m付近で最大の54m/sに達しています。要するに、「危険半円」に入ったエリアでは風が強まりますが、山岳では麓よりも更に強い風が吹いたことを図から読み取ることができます。

図6. 1959年9月26日の伊勢湾台風の中心を通る北緯35度の風速の高度断面図(JRA-55データを使って筆者作成)


もしも今、伊勢湾台風が襲ってきたらどうなるのか

1959年当時に比べて現在では予報技術は進歩して、伊勢湾台風のような超大型台風についてはかなり前から進路の予報ができるようになってきています。日頃から気象情報に注意していれば、台風の接近を見逃すことはまず考えられません。

しかし、天気予報をあまり見ない人が一定数いるのは事実で、今も昔も変わっていません。また、1週間以上のロング縦走では、出発前には台風の予報が出ていなかったので、油断して入山中に台風に対する注意を怠って、台風接近の直前まで知らなかったという事態も起こりえる話と思います。

図5をご覧になると分かるように、台風の接近とともに風は急激に強まります。もしその時に伊勢湾台風並みの台風が来たら、木をなぎ倒すほどの猛烈な風の中の行動は不可能なので、近くに山小屋や避難小屋があればそこに避難するしかありません。しかし、40m/s以上の風は鉄骨建造物の一部を変形させるほどのエネルギーを持っているので小屋でも安全圏ではありません。

とすれば、伊勢湾台風並みの台風が接近してくる前に下山、そして帰宅して台風に備えるのが一番です。帰りの道路も土砂災害の危険があり、暴風による高速道路の閉鎖、公共交通機関の運行停止によって、危険な場所で孤立してしまう恐れがありますので、早めの帰宅が肝心です。

また、令和元年東日本台風のように、あらかじめできた前線によって、台風が上陸する前から豪雨になることも考えられます。伊勢湾台風でも、台風が上陸する3日前から前線による強い雨が降っています。要するに台風が最接近する数日前から大雨に対する注意が必要で、台風が接近してきたら急激に強まる風に警戒しなくてはいけないということです。

言い古された言葉ですが「備えあれば患いなし」・・・、これを登山においても常に心に置いておきたいものです。これが多くの犠牲者を出した伊勢湾台風における最大の教訓と思います。

 

プロフィール

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2021年9月までの2年間、岐阜大学大学院工学研究科の研究生。その後も岐阜大学の吉野純教授と共同で、台風や山岳気象の研究も行っている。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年には木村賞を受賞。2022年6月と2023年7月にNHKラジオ第一の「石丸謙二郎の山カフェ」にゲスト出演。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社)

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

山岳気象遭難の真実~過去と未来を繋いで遭難事故をなくす~

登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。

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