台風通過後も続いた暴風雨――、北海道では常識は通用しないこともある。1999年9月羊蹄山登山ツアー遭難事故の教訓

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「台風の進行方向(北東)の右側は危険半円」とよく言われるが、すべての台風において当てはまるわけでもなく、また地域によってもその実情が変わるケースもある。1999年9月に北海道・羊蹄山で起きた遭難事故を紐解くと、常識だけでは判断できないことが見えてきた。

 

ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。台風14号は中心気圧935hPaという史上4番目の強さで9月18日に鹿児島県に上陸し、日本列島を縦断して各地に被害を与えています。当初は大型で猛烈な勢力まで発達したため、気象庁は最大限の警戒を呼び掛けましたが、幸いに気象庁の予想よりも台風の勢力が衰えたため甚大な災害には至らなかったようです。

台風が東北を通過した後は寒気が入って、めっきりと涼しくなりました。21日の北海道の利尻山(1721m)では山頂付近が薄っすらと冠雪していたのが見えたそうです。この時期に北海道を通過する台風や低気圧が寒気を引き込んで雪になることは決して珍しいことではありません。

今回のコラム記事は、1999年9月の台風18号によって、北海道の羊蹄山(ようていざん1898m)で起きた遭難事故について解説いたします。この遭難事故は裁判になっていて、旅行会社の添乗員が遅れだした二人のツアー客を放置して低体温症によって死亡させたとして、有罪の判決が下ったという有名な遭難事故です。

これまでは台風の影響が残る中で添乗員が取った行動の妥当性のみに焦点が当たっていて、実際に遭難事故時にはどのような気象状況だったかの検証が不足しているように思われます。今回、改めてJRA-55(気象庁55年再解析データ)を使って調査してみると、気象面では地上天気図では分からない上空の気圧配置が真相だったことが見えてきました。北海道を通過する台風には常識が通用しないことがあるのです。

図1.蝦夷富士とも呼ばれる羊蹄山

 

1999年9月の羊蹄山遭難事故の概要

羊蹄山は、以前は後方羊蹄山(しりべしやま)と呼ばれていた百名山で、富士山に似た美しい円錐形の山容(図1)から蝦夷富士とも呼ばれている人気の山です。1999年の9月22日から26日までの日程で、関西の旅行会社による羊蹄山の登山ツアーに16名(55~71歳)が参加しています。当時の報道や記録をまとめると以下のようになります。

25日の出発時はまだ台風18号が通過した直後で、暴風・大雨・洪水警報が出ていた。そのため、当日朝の添乗員による状況説明で2名は入山を断念した。残る14名は7時50分に登山口を出発し、倶知安(比羅夫)コースから羊蹄山頂上を目指して登山を開始した。

樹林帯によって多少は風が遮られたとはいえ、厳しい気象状況の中で、8合目までに3名が登山を断念して下山した。11時半頃に9合目に到着したが、4名が遅れているにもかかわらず、添乗員はそのまま7名を連れて頂上に向かった。

9合目から上は樹林帯切れて、風雨をまともに受ける。遅れて来たツアー客のうち2名は濃霧の中で、9合目の分岐点で道を誤って頂上ではなく避難小屋の方に向かってしまった。ルートを見失った2名(64歳と59歳の女性)は、翌日に救助隊によって頂上付近で発見されたものの既に不帰の人となっていた。

 

1999年9月の台風18号とは

1999年の台風18号は9月19日に沖縄県の南東海上で発生し、24日に中心気圧950hPa、中心付近の最大風速40mの強い勢力で熊本県北部に上陸、速い速度でいったん日本海に抜けた後、山口県に再上陸、そして再び日本海を進み、25日2時に渡島半島に再々上陸して北海道を通過、12時にオホーツク海で温帯低気圧に変わっています(図2)。

図2. 1999年の台風18号の気象衛星画像(左、出典:Wikipedia)と台風18号の経路(右)


この台風は熊本県北部を中心に高潮災害をもたらしただけでなく、台風の移動速度が速かったため、危険半円(台風の進行方向の右側)で猛烈な風が吹き荒れました。負傷者数は1000人を超えていて、日本の台風では10番目に負傷者数が多い台風でした。ちなみに負傷者数1位の台風は前回の記事で解説しました伊勢湾台風の3万8921人で、ダントツの1位です。

★関連記事:もしも今、伊勢湾台風が襲ってきたら山の天気はどうなるのか?

 

地上天気図と麓の倶知安の観測データから分かること

図3に遭難事故当時の1999年9月25日9時の地上天気図を示します。台風18号は北海道の稚内付近に進んでいて、中心気圧は980hPaでした。台風の中心から少し離れた所から温暖前線と寒冷前線が伸びています。これは、台風が生まれ育った熱帯とは違う、南北の気温差が大きい中緯度に進んできたため、もはや台風のままではいられず温帯低気圧に変わりつつあることを示しています。実際に台風は12時にオホーツク海に進んで温帯低気圧に変わっています。

図3. 1999年9月25日9時の地上天気図(気象庁)


地上天気図だけを見れば、台風の羊蹄山の最接近は3時頃であり、9時の時点では台風は羊蹄山を離れつつあるため、風は次第に弱まって天気は回復しそうに見えます。しかし、実際には麓の倶知安の観測データでは強風と雨は長く続いており、さらに台風通過後に冬型気圧配置になって寒気が入ったことが遭難事故の大きな要因だったと思います。

倶知安の観測データによると、強風のピークは3時で16m/s、9時に第2のピークの14m/sの強風が吹き、14時までは10m/s前後の強風が続いています。そして15時以降には強風は収まっています。雨はそれほど強くないものの、19時~21時を除いて雨が降り続いたようです。気温は3時の25℃がピークで、9時は23℃だったのが、11時には17℃まで急降下しています。22時頃に最低気温15℃となり、実に10℃の気温低下が観測されています。

 

JRA-55によって解析すると真相が見えてきた

では当時の頂上付近ではどのような風が吹いていたのでしょうか。JRA-55(気象庁55年再解析データ)を使って、当時の800hPa(上空約2000m)の風速の分布を再現してみました(図4)。これを見ると、台風の進行方向(北東)の右側にあたる危険半円というよりも、台風の南側で台風の中心から少し離れた帯状のエリアで、風速20m/s以上の強い風が吹いていたことが分かります。羊蹄山付近はこの帯状の強風エリアに入っていたことが、強い風が長く続いた原因です。

図4. 1999年9月25日の800hPaの風速(JRA-55データを使って筆者解析)


なぜこのようなことが起きたのかを解析したものが図5です。黒線は800hPaの等高度線(地上天気図の等圧線に相当)です。日本の南側には太平洋高気圧(図のH)があって、台風(図のT)との間で等高度線の間隔が非常に狭くなっています。地上天気図で等圧線の間隔が狭いと風が強いのと同じく、高層天気図でも等高度線の間隔が狭いと強い風が吹きます。台風と太平洋高気圧との間で等高度線の間隔が狭く、気圧の傾きが大きい状態が続いたことが、台風通過後も強風が続いた原因と言えると思います。また、等温線(赤線)を見ると、台風の西側には7℃の寒気が入っていて、羊蹄山付近は間もなくこの寒気に覆われることも読み取れます。

図5. 1999年9月25日の800hPaの高度・気温(JRA-55データを使って筆者解析)


図6に羊蹄山付近の高度ごとの風速の時間推移を示します。頂上付近(800hPa)の強風のピークは、やはり台風が最接近した3時で、風速32m/sの暴風が吹き荒れていました。台風が通過したはずの9時:31m/s、15時:26m/s、21時:20m/sの非常に強い風が吹き続きました。麓の倶知安では15時以降には強風は収まっていたので、山の方が長く強風が続いたことになります。この事例で、平地よりも長く悪天候が続いたことが検証できたと思います。

図6. 950/900/800hPaの風速の24日~27日までの推移(JRA-55データを使って筆者解析)


図7に羊蹄山付近の高度ごとの風速の時間推移を示します。出発時に倶知安では22℃でしたが、15時の羊蹄山頂上付近では8℃まで気温低下しています。風速1m/sあたり体感温度が1℃低下することを考慮すると、15時の頂上付近の体感温度は、「8℃-26℃=-18℃」になります。暴風によってレインウェアから染み込んだ雨にアンダーウェアを濡らしてしまったら、もっと体感温度は下がります。ちなみに羊蹄山に近い札幌の21時の高層観測による800hPaの実測値は、気温8.2℃、風速18m/sですので、JRA-55による解析結果とほぼ整合しています。

図7. 950/900/800hPaの気温の24日~27日までの推移(JRA-55データを使って筆者解析)


以上をまとめますと、この事例では北海道付近の上空で台風の危険半円ではなく、台風の南側に東西方向に伸びる帯状の強風域ができたため、羊蹄山では強風が長く続きました。その原因は、日本の南で太平洋高気圧の勢力が強かったため、台風と太平洋高気圧との気圧の傾きが大きくなったことによると思われます。

この遭難事故の気象面での最大の教訓は、北海道の山では台風の「危険半円」という常識が通用しない場合があるということと思います。今回の検証結果は新発見であり、この貴重な教訓を生かすようにしたいものです。当時と違って現在では、たとえばWindyという無料のアプリで、地上のみならず900/850/800/700/600/500hPaなどの高度の風の予想図を見ることができます。遭難事故に遭わないために、ぜひご活用いただけますと幸いです。

プロフィール

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2021年9月までの2年間、岐阜大学大学院工学研究科の研究生。その後も岐阜大学の吉野純教授と共同で、台風や山岳気象の研究も行っている。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年には木村賞を受賞。2022年6月と2023年7月にNHKラジオ第一の「石丸謙二郎の山カフェ」にゲスト出演。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社)

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

山岳気象遭難の真実~過去と未来を繋いで遭難事故をなくす~

登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。

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