人気の観光地・大山登山の落とし穴|神奈川県警山岳救助隊活動ファイルから②

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高尾山や奥多摩の御岳山と並んで、観光客と登山者が多いのが丹沢の大山(おおやま、1252m)だ。雨乞いの神として長い信仰の歴史をもち、阿夫利(あふり)神社に参詣する「大山参り」は江戸時代に一大ブームとなった。現在もアクセスしやすい首都圏の観光地として人気が高いが、気軽に訪れやすい山ならではの遭難も多い。今回は、伊勢原署山岳遭難救助隊に大山での遭難の実例を聞き、回避策について考えてみたい。

文・写真=野村 仁/
写真提供=神奈川県警察山岳救助隊

 

大山の山岳遭難に備えて
訓練を行なう伊勢原署山岳遭難救助隊(写真提供=神奈川県警察)

 

大山で多発する山岳遭難

神奈川県警伊勢原署が管轄する山岳の範囲は、丹沢東端にある大山の南東側だけである。ごく狭い範囲だが、ここには大山の主要な登山ルートがある。2022年は47件の山岳遭難が発生し、54人が救助された。近年、神奈川県では山岳遭難の増加が続いているが、その最大の原因は大山での遭難多発なのである。現状を最もよく知っている伊勢原署山岳遭難救助隊の北條保徳さんに、大山で特徴的な遭難事例を紹介していただいた。

伊勢原署山岳遭難救助隊の
北條保徳さん

 

大山表参道での下山遅れ遭難

2022年9月11日(日)、東京都内在住の女性(36歳)が一人で表参道から大山へ登ったものの、登りで行程が遅れたために、山頂に着いたころは日没の時刻になってしまった。下山を始めてすぐ薄暗くなり、まもなく周囲の景色や足元も見えない状態になった。女性は早く下山しなくてはいけないと焦り、携帯電話のライトを頼りに下山を続けた。しかし、携帯電話のバッテリーが残り少なくなって危険を感じたため、午後6時30分ごろ、110番通報をして救助要請した。救助隊は約1時間後に女性を発見、無事救助した。

事故現場周辺の概念図

発見場所となった本坂7丁目付近

 

――午後2時半に登山開始したそうですが?

この方はケーブルカーに乗って大山中腹の阿夫利神社下社まで来て、そこから2時半に登山開始、頂上に午後5時近くに着いています。下社から頂上まで通常は1時間半と言われていますが、これは山を歩き慣れている人の時間でしょう。ビギナーや初級者、高齢者の方なら、休憩時間を含めて2~3時間かかっても不思議ではありません。この方の問題点は、登り始めの時刻が遅かったことでした。

――さすがにマズイと思って、頂上で休憩などせずにすぐ下りたのですよね?

そうですね。山頂に着くまでは、もうとにかく登ることしか考えてなかったようで、登ってみたら「あれっ?暗くなってきた」で、あわてて下り出しています。実はこういうケースは大山ではとても多いんです。休日の朝、起きたら晴れていて、「あっ、山登ろうかな、大山に行こう!」と。何かのCMみたいですが、話を聞くと、本当に簡単な思い付きのような形で登り始めているんです。

――登山計画とか、そういうことは考えないのですか?

まったくないですね。登山届もありません。この方は登山歴1年でしたが、それはハイキング程度で、高山に登ったりとか、本格的登山の経験ではありません。それまで友達に連れて行ってもらったことが何度かあるけれども、一人で登るのは今回が初めてぐらいだと言ってました。体力には自信があったので、すぐ登って下りてくれば大丈夫と判断していたそうです。ただ、登りで意外と苦戦したために、山頂に着いたらもう日没近かった。これも初心者によくある失敗で、情報誌か何かに「1時間半で登れる」と書いてあっても、実際にきっちり1時間半後に到着できるわけではありません。

 

大山・雷ノ峰尾根の滑落事故発生地点。このとき下山中の2人も軽装だった

 

――救助要請のときのやりとりといいますか、状況はどうでしたか?

そういう人ですので、ヘッドランプを持っているでもなく、レインウェアも夜間に着る防寒着も一切持っていないわけです。で、足元が見えないので、携帯電話をライト代わりにするしかない。携帯でライトをしていたことで電池がほとんどなくなってしまって、そこであわてて110番したというのが救助要請のきっかけでした。ただ問題があって、足元ばかり照らして下りて来たので、現在地が全然わからなくなっていました。GPSの入りも悪くて位置情報は取れませんでした。そのなかで、通報者が唯一覚えていたのが、保安林の看板に書かれてあった地名でした。

最終的に発見できた場所は、その地名から結構離れた所だったのですが、その手がかりから、われわれの知識経験を総動員して、要救助者発見に結びつけられた次第です。その手がかり一つがなかったら、発見に至る時間が変わっていたと思います。大山ではこういうケースが多くて、有効な情報が取れないために、捜索に苦労するという場面がしばしばあるんです。

――通報者の方が情報を言えないということですか?

それがいちばん大きいですね。自分の居場所を言えない、状況の説明にしても有効なことを聞き出せないことが多いです。登り出したら登るだけで、下りのことはほぼ考えていない。歩きながら周囲を何も見ていないので、いざというときに自分の状況を説明できない。登山という知識にも自覚にも乏しい人が多いと感じます。

――救助に至る経過はどうでしたか?

大山は非常にアクセスがよくて、ケーブルカー中間駅がある大山寺まで私たちは車で行きます。そこから徒歩で阿夫利神社下社へ15分から20分で上がります。登山道に入山して、夜間に捜索しながらなので若干時間はかかりましたが、発見場所まで30~40分というところでした。本坂(表参道)7丁目付近での発見でした。

――1時間ぐらいで発見ですね。付き添って下山ですか?

そうですね。特にケガをされている様子はなかったので、自分で歩いて下りていただきました。ただ、夜間歩行に慣れている方ではないので、いちおう確保はとりながらですね。女性は暗闇の中で待っていてよほど心細かったのか、歩いている間はずっと、ご自分のことをいろいろと話されていました。

――遭難救助の様子がよくわかりました。最後に、大山の登山者に何かメッセージがありましたらお願いします。

大山は登山知識のない方がたくさん登ります。その人たちは登山計画書の存在すら知りません。でも、私たちが遭難に対処するうえで登山届は重要なので、登山届を出していただけるよう、今いちばん力を入れて広報しているところです。登山届の文書を一から作成するのは手間がかかりますが、大山登山専用の簡単に書ける登山者カードを、バス停前観光案内所とケーブル乗り場の所に備え付けてあります。必要事項を記入して投函箱に出していただけるよう、ぜひともお願いいたします。

(注)大山の登山者カードは「伊勢原署・大山登山情報」のサイトからダウンロードできる。

https://www.police.pref.kanagawa.jp/ps/73ps/73mes/73mes058.htm#downroad

 

軽装の人が多い大山表参道

 

[丹沢大山:遭難の傾向]

大山の伊勢原署管内では、2022年中に47件(54人)の遭難が発生しました。神奈川県内で最も遭難の多いエリアです。死亡事例は少ないですが、疲労、転倒、滑落、下山遅れなどにより行動不能になって救助されています。都心から近くて登山口までのアクセスがよく、登りやすい山というイメージがあるために、観光気分のまま入山している人も多いのが実情です。多くの遭難者は初心者で、登山計画書の存在を知らない、登山地図や登山アプリを携帯していない、夜間用装備やレインウェア、防寒着など、必要装備を用意していない、といった問題点があります。登山初心者に向けて遭難防止の知識や情報をどう伝えていくかが課題になっていますので、私たちも試行錯誤をしながら努力を続けているところです。

さまざまな遭難を想定した
訓練を行なう伊勢原署山岳遭難救助隊(写真提供=神奈川県警察)

 

記者の印象

年間40数件発生する遭難に加えて、未遂事例や相談事例も含めると50件、60件という数になり、膨大な事案処理のため多忙をきわめることでしょう。そんななかで、言葉は悪いですが、自分で自分の安全を守ることができない、いわば困った登山者へも、おだやかな態度で接し、責めるようなきつい言い方を絶対にしないのが印象的でした。

 

北條保徳さんプロフィール

1974年生まれ、栃木県出身。逗子署勤務を経て、1997年伊勢原署大山交番に赴任。以来、山岳遭難救助隊として多くの遭難者を救助してきた。県に3人いる「山岳救助プロフェッショナルリーダー」の一人。

大山での山岳遭難に長年対応してきた北條さん

プロフィール

野村仁(のむら・ひとし)

山岳ライター。1954年秋田県生まれ。雑誌『山と溪谷』で「アクシデント」のページを毎号担当。また、丹沢、奥多摩などの人気登山エリアの遭難発生地点をマップに落とし込んだ企画を手がけるなど、山岳遭難の定点観測を続けている。

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