安易な入山が招く表丹沢の遭難事例|神奈川県警山岳救助隊活動ファイルから③

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首都圏のハイキングエリアとして人気の丹沢。なかでも、塔ノ岳(とうのだけ、1491m)をはじめとする表丹沢はアプローチしやすいこともあり、通年ハイカーでにぎわう。しかし、安易な入山が招く事故も多発しているという。今回は、秦野署山岳救助隊が対応した救助の実例について聞いた。

文・写真=野村 仁/
写真提供=神奈川県警察山岳救助隊

 

登山道での搬送訓練を行なう
秦野署山岳救助隊(写真提供=神奈川県警察)

 

山岳遭難が増加する表丹沢

神奈川県警秦野署が管轄する範囲は、「表丹沢」と呼ばれる登山者の多いエリアが中心である。昨年は遭難発生が増加し、なかでも疲労により行動不能になる事例が多かったという。秦野署山岳救助隊の中島陽平巡査部長に、印象的だったという遭難救助事例を紹介してもらった。

秦野署山岳救助隊の
中島陽平さん

 

事例:表尾根行者ヶ岳での疲労遭難

2022年8月24日(水)午後4時ごろ、横浜市在住の40代男性が「疲労と降雨による寒さで動けない」と通報した。この男性は午前11時10分ごろ、大倉(おおくら)登山口から塔ノ岳へ登り、大倉尾根を往復する予定だったが、下山時に誤って表尾根に入ってしまった。途中で気がついたものの、引き返す体力もないためそのまま下ることにした。しかし、表尾根はアップダウンを繰り返すことから徐々に体力を奪われ、降雨も重なって、ついには一歩も動けなくなってしまった。通報を受けて救助隊が出動し、同日午後9時過ぎに現地に到着。男性に付き添いながら烏尾(からすお)尾根を下って、翌午前0時36分に下山完了した。

政次郎ノ頭から見る
塔ノ岳表尾根・行者ヶ岳方面

 

――遭難された方は単独ですね。主な通過時刻などはどうだったでしょうか?

まず登り始めが、大倉を午前11時10分に出発です。塔ノ岳の山頂に着いたのが午後3時くらい。行程的に遅くはなくて普通のペースといえるでしょう。午後3時15分に下山を開始しました。塔ノ岳山頂からはルートが三つ又に分かれるのですが、大倉に下りる予定だったのを、表尾根に下りてしまったのですね。道に迷った……迷ってはいないのですが、間違えた。

――午前11時10分に登り始めというのが遅いですよね? 遭難と直接関係してはいないかもしれませんが。

たぶん道を間違えずに下っていれば、午後5時、6時には下りられたと思うんですよ。ただ、なにか問題があったときに、出発時刻が遅かったために対処する余裕がまったくなくなってしまいます。本人はブログみたいなもので大倉尾根は何時間とか、いちおう調べたとは言っていましたが、正式な地図で確認したというような準備はなかったようです。

――地図は持っていなかったのでしょうか?

持っていないです。地図もなければ相当に軽装で、服装は短パンにTシャツ、水もおそらく500㎖ぐらいしか持っていませんでした。

行者ヶ岳の道標

 

――資料に登山歴15年とあるので、慣れているかただと思いましたが?

登山歴15年といっても、2年に1回ぐらいしか山に行ってないそうです。まあ大山(おおやま)には2、3回登っていて、いつか丹沢に行ってみたいなーと思っていた。表丹沢に登ったのはこのときが初めてでした。レベル的には初心者だと思います。

――大倉尾根を今しがた登ってきたのだから、間違えて表尾根に入ったなら気がつくのではないかと思うのですが?

30分ぐらい下ったところで気づいたようです。どこへ下ってしまったかはわからないが、だいぶ下ってしまった。ここから登り返すのも厳しいというところで、どこかに下りればいいやという軽い気持ちで、そのまま下りてきたのだと思います。

――間違えたというよりも、コース変更をしたわけですね?

登山届も出ていませんから、当初からこういうルートを登って下山するという登山計画があったかどうかもはっきりしません。なんとなく行って、下りで違う道に入ってしまったから、まあ行っちゃえと。私たちが問題にしている「道迷い」とか、そういうことでもなく、もう気軽にコースを変更して行っちゃったという感じですね。そもそも地図も何もないので、どれぐらいの行程だとか、どこに向かう道だとか、まったくわからないまま歩いていたのかもしれません。

――どのように救助されたのでしょうか?

救助隊のほうは7人で午後5時35分に署を出発して、ほかに消防から4人随行しました。接触したのが9時9分ぐらいでした。着いたときには、男性は行者ヶ岳の岩場で傘をさして震えながらうずくまっていました。カッパは持っていない、ヘッドランプもない、着替えもない。それでもう相当震えているような状態で、消防隊員が体温を測ったら36度4分でした。とりあえず体を温めようということで、コロナ対応の防護服があったので、それに着替えさせて、白湯を飲ませて、20分ぐらいそのような温め作業をしてなんとか回復させました。

行者ヶ岳の鎖場。
過去に死亡事故が発生したことも

 

――その後は自力で下りられたのですか?

ゆっくり歩けそうですということでしたので、転ばないように確保措置をとりながら、自分で歩いてもらいました。烏尾尾根という所を下りたのですが、その登山口まで下山したのが日付が変わって翌日の0時36分。7時間以上に及ぶ救助事案となりました。

行者ヶ岳から三ノ塔方面。
遠く感じたことだろう

 

――難所で滑落したのでも、複雑なルートで道に迷ったのでもなく、一般的な登山道にいながら遭難してしまったという事例でした。この事例を挙げていただいた理由は?

秦野署での遭難事例は年間20〜30件くらいあるのですが、そのなかで疲れたとか、夏の間は熱中症で歩けなくなるとか、そういう「軽い気持ちで来てしまった」という事案が半数ほどに上ります。あとは道に迷ったなどが残り半分で、大きな事故はあまりないのが実情です。話を聞くと、「大山の次は丹沢と思って来た」「高尾山を登れたので」「小田急線で30分ほどで近いから」とか、軽い気持ちで来ている人が多く、気にかかっています。

4月から12月までの第2・第4土曜日、大倉登山口で「登山届を出してください」とキャンペーン活動をやっているんですけど、そのときの印象としても、登山者の少なくとも1割ぐらいは非常に軽い気持ちで、ハイキング程度の備えの人も見られます。多くの人は何事もなく帰ってきているけれど、そのなかで十数件、通報してくる人がいるわけです。こういう備え不足による通報を何とか減らしていければなぁと。表丹沢はそんなに軽い山じゃないよ、ということを知ってほしいと思いました。

――本事例を通じて登山者へのアドバイスをお願いします。

この方の問題点は、①スタートの時刻が遅いこと、②登山地図を持っていないこと、③レインウェアを持っていないこと、④登山計画を立てていないこと、でした。多くの登山者は遅くとも午前8時ごろから登り始め、午後3時くらいには下山してきます。早めの行動をとればアクシデントにも対応できます。登山地図は紙の地図のほかに、アプリの地図を使うのが有効です。アプリにはGPSで現在地が表示されているので、道を間違えてもすぐに気づくことができます。

レインウェアや防寒着はかならず携行してください。行動中は暑くても、山頂で30分ほど休憩をすると風や汗冷えなどで真夏でも体温を奪われます。この日は午後から雨が降る予報が出ていたのですが、この方は天気予報を確認していなかったため、レインウェアを携行しておらず、救助隊と合流したときは寒さで震え、身動きひとつできない状態でした。

今回の救助事案は典型的な準備不足が原因の遭難事故です。ゆとりある登山計画を立て、レインウェアや地図アプリなどを準備しておけば防ぐことができたと思います。

登山者の皆さんは、登山地図で3時間の行程であれば、4時間の行程で余裕ある計画にするなど、時間的に余裕をもった登山計画を立ててください。また、ヘッドランプを携行していないために日没後に行動不能となる救助要請も毎年のように発生しています。かならずヘッドランプなどの照明器具を持参してください。

秦野署山岳救助隊の訓練風景。
遭難者が沢に入り込むケースもあるため、
滝の登攀訓練も欠かせない

 

表丹沢:遭難の傾向

丹沢の秦野署管内では、2022年は32件(36人)の遭難が発生しました。県内では大山に次いで遭難の多いエリアです。塔ノ岳や鍋割(なべわり)山は首都圏から交通の便がよく、登山道も整備されているため、軽い気持ちで訪れる登山者が多いように思います。なかにはハイキング程度の準備や心構えで来ている人も見られます。しかし、登山道は急峻で標高差も大きいため、登るには体力が必要になります。

2022年の遭難事例のうち「疲労」遭難が最も多く13件を占め、次いで「道迷い」8件、「転倒」7件と、いずれも前年より増加しました。また22~23年シーズンの12~1月は冬山遭難が多発して新たな課題となっています。

 

記者の印象

長野県警救助隊の活躍を見て感激し、この道をこころざしたという中島さん。秦野署に来てから、登山技術や救助技術をいちから教わって身につけただけに、丹沢の山の厳しさが身にしみてわかっています。実際の山の状況を知らないで軽い気持ちで来てしまう初心者の人たちが、危険な目に遭わずに山を楽しんでもらいたいと、強く願っているようでした。

 

中島陽平さんプロフィル

1999年神奈川県警に任官。関東管区機動隊、瀬谷警察署などを経て、秦野警察署地域課に赴任し約20年間勤務。秦野署で救助技術を習得し、山岳遭難救助隊員として多くの救助事案に関わってきた。県に3人いる「山岳救助プロフェッショナルリーダー」として技術指導面でも活躍中。

表丹沢で多発する遭難について語る中島さん

プロフィール

野村仁(のむら・ひとし)

山岳ライター。1954年秋田県生まれ。雑誌『山と溪谷』で「アクシデント」のページを毎号担当。また、丹沢、奥多摩などの人気登山エリアの遭難発生地点をマップに落とし込んだ企画を手がけるなど、山岳遭難の定点観測を続けている。

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