立山連峰はなぜ氷河の宝庫なのか? 日本に残る氷河のヒミツ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「氷河」と聞くと、北極やアルプス山脈を思い浮かべがちだが、日本でも7カ所に氷河が現存している。その7つの氷河のうち、5つが立山連峰で発見されている。なぜ立山連峰は氷河が多いのか。日本の氷河のヒミツを探ってみよう。

監修・写真=福井幸太郎(富山県立山カルデラ砂防博物館学芸課長補佐)、文=大関直樹

目次

立山連峰はなぜ氷河の宝庫なのか?日本に残る氷河のヒミツ
富山県立山カルデラ砂防博物館研究チームが調査した池ノ谷(いけのたん)氷河のクレバス。落ちたらひとたまりもない

氷河と雪渓の違いってなに?

立山連峰はなぜ氷河の宝庫なのか?日本に残る氷河のヒミツ
秋になって表面の雪が解けて、氷河氷が表面に露出してきた池ノ谷氷河

そもそも氷河とはなんだろうか。氷河は漢字で「氷の河」と書き、文字どおり水が流れる河のように、氷が流れているもののこと。氷河も雪渓も表面は雪に覆われていることが多く、見ただけでは違いがわからない。しかし、表面の雪の下には20mを超える厚い氷の塊があり、氷の重みによって1年間に数m〜数十m斜面の下方に流れているのだ。

それに対し、雪渓は下部に氷の塊ができても数mほどと薄く、動かない。剱(つるぎ)岳では、三ノ窓(さんのまど)、小窓(こまど)、池ノ谷は雪渓と呼ばれているが、その実体は氷河である。

日本に現存する7つの氷河

立山連峰はなぜ氷河の宝庫なのか?日本に残る氷河のヒミツ
写真左が2012年に富山県立山カルデラ砂防博物館研究チームが日本で初めて発見した雄山の御前沢(ごぜんさわ)氷河。写真右は、2018年に氷河であると判明した内蔵助(くらのすけ)氷河

古くから日本には氷河が存在しないと言われてきたが、2012年に富山県立立山カルデラ砂防博物館研究チームが、雄山(おやま)東面の御前沢雪渓、剱岳東面の三ノ窓と小窓雪渓を調査したところ、厚さ30m以上の氷体があり、1ヶ月間で最大32cm流動していることを確認。氷河であると学術的に認められた。

その後も、2018年に内蔵助雪渓などが、2019年には後立山連峰の唐松(からまつ)岳の唐松沢雪渓が氷河であると確認された。2023年現在、国内には7つの氷河が存在する。

氷河は北アルプスの絶景づくりに大きく貢献している。流動する氷は大地を削る。涸沢(からさわ)カールや槍沢(やりさわ)カールなどの地形が有名だろう。山が木版なら氷河はさながら彫刻刀だ。今から1万年以上前、最終氷期と呼ばれる寒冷期には日本アルプスにも数百の氷河が発達し、多数の氷河地形をつくりあげた。

■現存する7つの氷河

  • 御前沢氷河・・・立山
  • 内蔵助氷河・・・立山・真砂(まさご)岳
  • 三ノ窓氷河・・・剱岳
  • 小窓氷河・・・剱岳
  • 池ノ谷氷河・・・剱岳
  • カクネ里氷河・・・鹿島槍ヶ岳
  • 唐松沢氷河・・・唐松岳

近年になって氷河が見つかっている理由とは?

立山連峰はなぜ氷河の宝庫なのか?日本に残る氷河のヒミツ
剱岳の三ノ窓氷河で、氷河氷のボーリング調査をする研究チーム

ひとつの疑問が湧いてくる。「氷河はずっとそこにあったのに、なぜ近年になって氷河の存在が明るみに出たのか?

答えは、氷河の観測方法にある。万年雪に覆われている雪渓の下に大きな氷の塊があり、それが動いていることが観測できたら氷河であると判定される。その調査には、電波を利用して氷の厚さや内部構造を観測するアイスレーダーという機器が必要だが、以前は車でなければ運べないほど大きく重かった。

しかし、最近はザックで携行できるほど小型化されたおかげで、深い谷の調査も可能となった。また氷の動きを調べるGPSの高性能化のおかげもあって、2010年代に入って、次々と日本でも氷河が発見されるようになったのだ。

剱・立山連峰に氷河が多い理由

立山連峰はなぜ氷河の宝庫なのか?日本に残る氷河のヒミツ
雪崩に覆われる5月末の三ノ窓雪渓。急峻な地形なので雪崩も多い

前述の通り、日本の氷河は5つが剱・立山連峰で見つかり、残り2つも北アルプス北部で見つかっている。なぜ同じ場所で見つかるのか。

冬に日本海からの湿った季節風がまともにぶつかる剱・立山連峰は、世界でも有数の豪雪地帯。また、日本で一番北に位置する3000m級の山岳なので、気温が低く夏でも雪が解けにくい。そのような気候に加え、非常に急峻な地形が多いため、斜面に吹き溜った雪は、雪崩となって谷底に集積する。それが押し固められて氷体となって、氷河が形成されることになるのだ。実際、剱・立山連峰で見られる5つの氷河は、すべて尾根に囲まれた谷底に位置している。

このように氷河ができやすい気候と地形の条件が重なっているのが剱・立山連峰なのだ。

日本で氷河の上を歩ける唯一の場所・内蔵助氷河

立山連峰はなぜ氷河の宝庫なのか?日本に残る氷河のヒミツ
内蔵助氷河はムーランが多いので、とくに秋に通過するときはくれぐれも注意しよう

氷河は深い谷底にできることが多く、基本的に一般登山者が近づくことはできないが、内蔵助氷河は例外。内蔵助氷河の上に登山道があるのだ。ただし、注意したいのが、秋になると出現する「ムーラン」と呼ばれるマンホールのような穴だ。これは、氷河の流動にともなってできた氷の割れ目に雪や氷の融水が流れ込んでできる縦穴で、直径1m以上、深さ25mに達するものもある。ここに落ちると命の危険に関わる。内蔵助氷河を通過するときは、スリップを防ぐためにアイゼンを用意しよう。

目次

この記事に登場する山

富山県 / 飛騨山脈北部

立山・大汝山 標高 3,015m

 ふつう立山と呼ぶ場合、雄山神社を祭る雄山(3003m)か、浄土山、雄山、別山を含めた立山三山を指す。昔は毛勝三山から薬師岳辺りまでを含めて立山と呼んだし、江戸時代の文人画家、谷文晁(たにぶんちよう)の『日本名山図会』では別山、立山、剱岳をひとまとめに「立山」としている。つまり漠然とした山域なのだ。  その山域の最高峰が大汝山。古くは御内陣と書かれているので、雄山神社の奥社だったと思われる。縦走路から少し東にそびえている。  花崗閃緑岩質片麻岩で構成される大汝山には、西側に氷河地形として知られるカールがある。日本の地理学のパイオニアで、日本の氷河地形を初めて発見した山崎直方の名をとった山崎カールで、天然記念物に指定されている。  冬の北西の季節風で豪雪が山の東側に積もるため、日本のカール地形はほとんど東斜面に発達しているので、西斜面の山崎カールは珍しい。室堂から見ることができる。  地籍は富山県中新川郡立山町。乗鞍火山帯に属す火山で、溶岩台地の弥陀ガ原の上にそびえている。立山のもう1つの顔は加賀の白山とともに北陸の霊山として古くから信仰されていた修験道としての山。  開山は大宝元年(701)で越中介佐伯有頼(慈興上人)が鷹狩りの折、手負いのクマを追って奥山に入り岩屋に追い込んだが、中に入ると阿弥陀如来と不動明王に化身し「立山開山」を命じたとか。同じ8世紀には越中国の国守に任じられた万葉の歌人、大伴家持が「立山に降り置ける雪を常夏に 見れども飽かず神からならし」と歌ったように、立山は霊位に満ちた山なのである。  後年、天台宗と真言密教の修験道場となり、立山三山を極楽、地獄谷と剱岳を地獄に見立てた思想が独得の立山講を生み、山麓の芦峅寺衆徒の立山曼茶羅図による視覚に訴える全国布教で信者を増大させていった。ことに、宗教上のタブーだった女性にも極楽往生ができるという「布橋大潅頂」がセールスポイントで、江戸時代での先進的、精神的女性解放の旗印だった。  イラスト入りで地獄極楽を説き、ほかの宗門では不可能な、女性でさえ極楽往生ができるという説教を聞かされたときの驚きと喜びが、立山講中の賑わいを生み、芦峅寺から材木坂を登り、長大な弥陀ガ原をたどって室堂や雄山へと、三十数kmもの山道の苦行を悦びに変えていたのである。  現在の登山者は室堂までケーブルカーやバスを乗り継ぎ、室堂から2時間30分で雄山へ、さらに15分で最高峰の大汝山に登り着く。

富山県 / 飛騨山脈北部

剱岳 標高 2,999m

 剱岳は剱・立山連峰と呼ばれるように、北アルプス北部の立山三山や大日岳と同じ山域にある。地籍は富山県中新川郡立山町と上市町。  北アルプス南部の盟主、穂高連峰と同じように、いかにも日本アルプスの名にふさわしい岩峰で飛騨系閃緑(せんりよく)岩や斑糲(はんれい)岩が氷雪で削り出された氷食冠帽である。氷河の痕はU字谷が稜線を削ってできた「窓」と呼ばれる地形にも見られる。三ノ窓、小窓、大窓などだ。もちろんカール地形も剱沢などに見られる。  登山史としての初登頂は1909年、吉田孫四郎パーティにより長次郎谷から行われているが、その2年前に、すでに陸地測量部の柴崎芳太郎たちが測量のため登頂している。  前人未踏の岩峰と思われていた頂上で、彼らは思いがけない発見をした。槍の穂と錫杖、古い焚火の跡などであった。奈良時代のものらしい。隣の立山とともに修験道の霊場だったのだろう。  現在の一般登山道、別山尾根は、1913年に木暮理太郎、田部重治パーティが初トレースしている。日本でもトップクラスの岩峰でロックゲレンデとして超一流なので、それ以後はバリエーション・ルートをねらう多くのアルピニストにより、さまざまな登路、登攀ルートが開拓されてきた。1923年には今西錦司、西堀栄三郎などの京大パーティによるチンネやクレオパトラ・ニードル登攀など、未開拓の難ルートが登られてきた。豪雪地帯だけに豊富な残雪とすっきりした岩峰群の人気は高く、戦後の登山ブームも加えて多くのクライマーを迎えてきた。それだけに事故も多く、1966年に日本で初めて積雪期登山の届出条例が発令されている。  ロッククライミングの対象として人気の高い三ノ窓や小窓、池(いけ)ノ谷(たん)、東大谷(ひがしおおたん)などにはチンネ、ジャングルム、クレオパトラ・ニードル、小窓ノ王、ドームなどと名づけられた岩壁や岩塔がクライマーの血を躍らせてくれる。  一般登山道は別山尾根。別山乗越から行っても剱沢から入っても一服剱(いつぷくつるぎ)で合流する。前剱を越え、途中、カニのヨコバイ、カニのタテバイなど岩壁を行く所があり緊張する。所要3時間30分。  もう1つは剱岳へ西から突き上げる早月(はやつき)尾根。標高差が大きく、途中の早月小屋で泊まる健脚向。馬場島(ばんばじま)から早月小屋へ7時間、早月小屋から山頂へ所要3時間30分。  裏剱の展望台、仙人池へは剱沢、仙人新道経由で所要6時間。仙人池から仙人谷を下って黒部峡谷の阿曽原(あぞはら)から水平歩道を欅平へは所要7時間。

Yamakei Online Special Contents

特別インタビューやルポタージュなど、山と溪谷社からの特別コンテンツです。

編集部おすすめ記事