【書評】創立100周年 山小屋を支え続ける二代目のまなざし『穂高に遊ぶ』

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穂高岳山荘の二代目として山小屋の近代化に力を尽くした今田英雄さんが、2023年12月21日午後、81歳で他界した。英雄さんの半世紀に及ぶ仕事をまとめた『穂高に遊ぶ 穂高岳山荘二代目主人 今田英雄の経営哲学』は、半年前に上梓されたばかりだった。

評者=星野秀樹


今思うとその山小屋は、独特な空気に満ちていた。個人がもつ自主性、創造性、責任感。得体のしれぬ緊張感。ほかの山小屋では感じることのない何かが、そこには漂っていた。

学生最後の夏休み、僕は穂高岳山荘でバイトをした。雲上の、険しい穂高の稜線上に拓かれた、美しい石畳が敷かれた峠。やっと緊張を解いて休めるその場所に、今田英雄の穂高岳山荘は建っていた。

本書『穂高に遊ぶ』で、筆者の谷山宏典は「自分が理想とする山小屋をつくり上げるため」、英雄が穂高岳山荘の後継者になる決意を固めたと推測する。「理想の山小屋」とは、穂高の山々や自然と調和した美しい山小屋のこと。早くから風車や太陽光発電などの自然エネルギーに着目し、建物の増改築はもとより、石垣や石畳などの石積みにも徹底的にこだわり抜いた英雄の「美」が、ここには結集されている。本書はその理想を実現することを目的に、「穂高で遊び」続けた今田英雄の物語だ。

実を言うと僕が最初にこの山小屋に泊まったのは小学5年生の時。夜は食堂で映画観賞し、「空気の缶詰」をお土産に持ち帰った。翌年も穂高へ。この時は悪天候をやり過ごすのに連泊し、日がな一日、快適な太陽のロビーで山岳写真集を眺めていたのを覚えている。

それは、英雄や初代支配人の神憲明、従業員の岩片克己ら、穂高岳山荘二代目黎明期の立役者たちが、穂高で「遊んで」いた時代。彼ら穂高の住人の暮らしが、自分の思い出と相まって、本書の行間から生き生きと伝わってくる。

さて、英雄の物語の一端が建物や石垣などの無機質な物質だとするならば、もう一端は「人」だ。

ここで紹介される登場人物たちの、今田英雄評の第一位は「厳しさ」。三代目支配人・宮田八郎の言葉を借りるならば、「盾突くどころか口答えひとつできるような存在ではなかった」という。しかし第二位に挙げられるのは「やさしさ」だ。ここでは「やさしさ」にまつわるエピソードも数多く紹介されているが、ストレートではない英雄の「やさしさ」の伝え方が、いかにも「英雄さんらしく」て、思わずニヤッとしてしまう。なんとも言えない英雄の温かみが、ジワッと伝わってきてうれしくなる。

他人に厳しいのは、自分に対してそれ以上に厳しい証拠。自分にゆとりがなければ、本当の意味で人に厳しくはできないはず。「人材を財産」と考える英雄は、一度仕事を任せれば自主を重んじ、余計な口出しを一切しなかったという。しかし手を抜けば叱り、一方で労うことも決して忘れなかった。

山荘に漂う自主性、創造性、責任感。そして緊張。それこそが、100年を超えてなお進化を続ける穂高岳山荘を支える力、今田英雄の存在そのものに違いない。

穂高に遊ぶ 穂高岳山荘二代目主人 今田英雄の経営哲学

穂高に遊ぶ 穂高岳山荘二代目主人 今田英雄の経営哲学

谷山宏典
発行 山と溪谷社
価格 2.200円(税込)
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評者

星野秀樹(ほしの・ひでき)

1968年生まれ。写真家。ジンプロダクション撮影助手を経てフリーランス。著書に『剱人 剱に魅せられた男たち』(山と溪谷社)『黒部の谷の小さな山小屋』(アリス館)がある。

山と溪谷2023年8月号より転載)

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