噴火から10年。僧侶や山伏と、信仰の山・御嶽山に登ってみた
63人の犠牲者を出した2014年の噴火から今年で10年を迎えた木曽御嶽山。霊神碑が立ち並ぶ信仰の山の山頂で昨年、大日如来像が再建された。この7月、その前での法会が、真言宗の僧侶と山伏、強力らによって試みられた。古来日本で山に入る行為は山岳信仰の宗教行事の一環だった。現代の登拝に同行して見た山は、登山の対象とは異なる姿を現わした。
文・写真=宗像 充
YouTubeの撮影隊と出会う
2年前の7月、御嶽山(おんたけさん)のメインルート、黒澤口登山道を初めて登った。下山途中の八合目女人堂で休憩していると、いで立ちがまばらな一行がやってきた。小屋の脇の上人像の前でお経を唱えだし、それを女性が撮影している。
「なんの撮影ですか」と聞くと、サングラスをかけたお坊さんが「YouTubeです」という。
「ツイッター(X)で知り合った人に呼びかけました。メンバーは僧侶と山伏と神職、それに強力さんです」
「今時ですね」とライターだと名乗ると、「『山と仏』というサイトをしています」と名刺を差し出された。
それが今回の登拝を発案した小雪童(しょうせつどう)さんとの出会いだった。高野山真言宗のお寺の住職と肩書にある。撮影をしていたのは『山伏ガール』(朝日新聞出版)という本を出した漫画家さんだ。
「見ている世界が違う」
後日、長野県塩尻市にある小雪童さんのお寺に遊びに行くと、格式のあるお寺の本堂で仏教音楽の練習をしていた。
「登山と登拝では見ているものが違う。山で見かけた仏様に手を合わせるだけでも、違った世界が見えてくるはず」という説明に、信仰の色濃い御嶽山を登ってきたぼくにもちょっとだけ響いた。
日本の山は、登ること自体を目的とする欧米の登山が広がる前は、信仰の対象や修行の場とされ、講を組んでの登拝に道を開く開山は明治に至っても続く。江戸時代に開山された御嶽山はその代表的な山岳だ。
今年、噴火事故で亡くなった方々の供養を兼ねて、真言宗における重要な経典である「理趣経(りしゅきょう)」を中心とした法会(ほうえ、経典を唱え、仏を供養する仏教儀礼=法要)を、山頂で小雪童さんたちが行なうというので同行させてもらった。
僧侶に山伏、漫画家・・・メンバー7人集合
7月9日朝7時、平日の上、天気は荒れ模様なので、中の湯の駐車場には、ほかに登山者はいない。集まったのは、僧侶の小雪童さん、小雪童さんの先輩僧侶で山伏でもある戸塚智尚さん、中村幸璋さん、それに2年前女人堂で会った山伏の曽我部泰純さんと、お連れ合いの漫画家で撮影係でもある、たなべみかさん。
SNSを山岳信仰に興味を持ってもらうきっかけにしたいという「山と仏」の理解者たちだ。
そして法会の道具一式を担ぎ上げる強力の塚原慎二さんと、ぼくの計7人。
山岳信仰は人智の及ばない山や自然に神性(仏性)を見て信仰の対象とする。修験道の開祖は役小角とされる。その後江戸時代に覚明行者がこの黒澤口の登路を開いた。
それまで厳しい修行を経た行者のみに許された登拝を簡素化し、以後多くの信者が御嶽山を訪れる。修験者が組織する講は各地にあり、御嶽教は神道、修験者の宗派も一つではない。
この記事に登場する山
プロフィール
宗像 充(むなかた・みつる)
むなかた・みつる/ライター。1975年生まれ。高校、大学と山岳部で、沢登りから冬季クライミングまで国内各地の山を登る。登山雑誌で南アルプスを通るリニア中央新幹線の取材で訪問したのがきっかけで、縁あって長野県大鹿村に移住。田んぼをしながら執筆活動を続ける。近著に『ニホンカワウソは生きている』『絶滅してない! ぼくがまぼろしの動物を探す理由』(いずれも旬報社)、『共同親権』(社会評論社)などがある。
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