噴火直後の御嶽山山頂付近。生き残るために彼女は走った

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御嶽山/2014年9月27日12時35分、二ノ池の水面に水柱が立つ。二ノ池本館の支配人(当時)、小寺祐介氏が噴火の一部始終を撮影していた
12時35分、二ノ池の水面に水柱が立つ。二ノ池本館の支配人(当時)、小寺祐介氏が噴火の一部始終を撮影していた

63人が犠牲となった御嶽山噴火から10年。頂上付近で被災しながらも生還した著者が、その決死の脱出行と教訓を綴り、その後の安全登山活動、御嶽山の防災への取り組みなどを追加した『ヤマケイ文庫 御嶽山噴火 生還者の証言 増補版』から、三度の噴火の直後の待避行動を抜粋して紹介しよう。

文=小川さゆり


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必死の疾走

12時50分ころ、私のいたお鉢は不気味なくらい静かだった。

剣ヶ峰にのろしのような黒い雲がかかり、ゆらゆら揺れていた。気持ちの悪い雲だった。

私は、噴火が終わったとは思っていなかった。次の爆発までに「全身の隠れる岩を見つけたい」、ザックの雨蓋から手早くサングラスと手袋を取り出して身につけ、行動に移った。水も飲みたかったが、「隠れる岩を見つけてからでいいや」と思った。

「するべきこと」の優先順位は、次の噴火に備え全身が隠れる岩を探すことだった。

外輪の稜線に登山者が見えた。一ノ池の斜面では膝上おそらく50cmは火山灰が積もっていた。それは2、3mmの石の粒で、手ですくうとこぼれ落ちるサラサラのものだった。「黒い新雪」そのものだった。不思議な感覚だった。稜線まで80mくらい、岩場を両手を使いながら駆け上がると、大きな岩に張りつくように、男性2名、女性1名の登山者がいた。そして剣ヶ峰方向の岩陰から男性1人が来た。

ここで私を含め5人の登山者が生きていた。男性1人はボーッと座っていた。「地獄ですね」と声をかけると、感情のこもっていない声で「地獄だね」、そう返してくれた。

女性は痛いでも、怖いでもなく、足を投げ出し膝のあたりをさすって泣き叫んでいた。パッと見たところ足に大きな変形はなかった。ズボンに血がにじんでいる様子もなかった。横に立っていた男性が、「噴石が当たって脛すねが折れたみたい」と教えてくれた。

剣ヶ峰方向の岩陰から来た1人の男性は噴火直後、私の隣にいた男性だと思う。そうであってほしいと今でも思っている。

「隣にいた方ですよね?」

そう聞けばいいのだが、「違う」と言われるのが怖いので言い出せなかった。違うと言われれば、ここにいないということは、最初隣にいた男性は噴石を凌ぐことができなかったことを意味する。ただ顔は灰で真っ黒で目しか分からなかったが、帽子と服装で隣にいた男性だと思った。男性は「小屋に行きたい」と言っていた。私は小屋なら火口から離れた「二ノ池本館か新館がいい」とアドバイスした。

泣き叫ぶ女性に横で立っていた男性が、「生きて帰りたいのならしっかりしなさい」と、大きな声で檄を飛ばした。

あの恐怖である。泣き叫びたくなるのも分かる。

私は彼女の横に行き、彼女を強く抱き締めた。この先どうなるか私自身分からないが、「大丈夫、大丈夫。噴火は終わるから」そんなことを言った。他に思いつく言葉がなかった。自分にも言い聞かせるように少し大きな声で言った。「助かって」そう思いを込め、願いを込めて強く抱きしめた。

そしてそこから立ち去る前に、男性3人にケガはないか聞いた。3人それぞれが「ケガはしていない」と返してくれた。

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この記事に登場する山

長野県 / 御嶽山とその周辺

御嶽山・剣ヶ峰 標高 3,067m

 ♪木曽のなあ、仲乗りさん、木曽の御嶽山はなんじゃらほい、夏でも寒い、よいよいよい♪  哀調を帯びた木曽節に歌い込まれた御嶽山(御岳山)は、富士山、白山とともに信仰の山として知られている。現在でも夏には白衣の御岳講の人たちが、「六根清浄」を唱えながら大勢登っており、『信濃奇勝録』にも「信州一の大山なり、嶽の形大抵浅間に類して、清高これに過ぐ、毎年六月諸人潔斎して登る、福島より十里、全く富士山に登るが如し」と書いてある。  御嶽山黒沢口の登山道沿いには、「何々覚明」と刻まれた石柱が、所狭しと林立しているのが見られるが、江戸末期から明治初めにかけて、毎年何十万人も登ったといわれる御岳講の賑わいぶりが想像される。  この御嶽山は何回もの爆発を繰り返したコニーデ型の複式火山で、1979年(昭和54年)には突然、地獄谷に新しい噴火口を現出させ、日本中をびっくりさせている。また、91年、07年にもごく小規模な噴火をしている。  最高峰は3067mの中央火口丘、剣ヶ峰で、その周りを継子岳(ままこだけ 2859m)、摩利支天山(まりしてんやま 2959m)、継母岳(ままははだけ 2867m)などのピークが外輪山となって取り囲んでいる。  また、これらの峰々の間にはエメラルド色をした、一ノ池から五ノ池まで数えられる山上湖が散在している。なかでも二ノ池は標高2905m、日本で一番高い湖として知られている。これらの池を結んでの池巡りコースも考えられる。  登山コースは信州側から3本、飛騨側から1本の計4本がある。7合目の田ノ原までバスが上がる王滝口は歩行距離も短く、日帰りも可能なので最も登山者が多い。田ノ原から荒々しい地獄谷爆烈火口を眺めながら3時間強で剣ヶ峰に立てる。  御岳山で最も古く、信仰登山のメインルートである黒沢口も6合目までバスが入る。また御岳ロープウェイ・スキー場からロープウェイを利用すれば7合目まで上がることもできる。6合目から4時間30分で剣ヶ峰。  信州側第3のコースである開田(かいだ)口は、標高差も大きく、行程も長いので、開田高原散策と合わせて下山に利用した方がよかろう。西野から登るとなると距離も標高差も大きく、6時間30分で剣ガ峰。  飛騨側唯一の登山道で、標高1900mに湧く濁河(にごりご)温泉がベースとなる飛騨口は、原生林の中の静かな山旅を楽しめる。濁河温泉から5時間30分で剣ガ峰へ。  山頂からの展望は広大で、3つのアルプスや中部、関東一円の山々を見渡すことができる。また遠く加賀の白山も望まれ、日が落ちると名古屋の街の灯が美しい。  2014年(平成26年)9月27日にも噴火し、大きな被害を出したのは記憶に新しい。噴火直後に気象庁は入山を規制する「噴火警戒レベル3」を発表した。2022年7月28日現在、「噴火警戒レベル1(活火山であることに留意)」だが、引き続き火口から概ね500m程度の範囲で立ち入りが禁止されている。

プロフィール

小川さゆり(おがわ・さゆり)

南信州山岳ガイド協会所属の信州登山案内人、日本山岳ガイド協会認定ガイド。中央アルプス、南アルプスが映えるまち、長野県駒ヶ根市生まれ。スノーボードのトレーニングのため山に登り始める。景色もよく、達成感もあり、すぐに山を好きになる。バックカントリースキーに憧れはじめた25 歳のとき、友人が雪崩で命を落とす。山は楽しいだけではない、命と向き合うリスクを痛感する。「山で悲しい思いをしてほしくない」、そんな思いをもって、中央アルプスをメインにガイドしている。山以外では無類の猫好き。

Special Contents

特別インタビューやルポタージュなど、山と溪谷社からの特別コンテンツです。

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