噴火直後の御嶽山山頂付近。生き残るために彼女は走った

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二ノ池本館は無人だった

セメントのような雨が靴の裏につき、そこに火山灰がつく。靴が重く高下駄のようになる。ちょうどアイゼンに雪がつき「だんご」になるのとまったく同じである。白か黒かの違いだけである。一ノ池も膝ぐらいは灰があった。レンジくらいの岩がいい間隔に火山灰に突き刺さっていた。その岩を蹴り上げ、灰を落とした。立ち止まる時間も惜しく走りながら灰を落とした。

なぜか岩を蹴り上げるとき「コーノヤロー」と言って蹴っていた。普段から口はかなり悪い方である。大きな声を出すと力が全身に漲みなぎっていくようだった。

「こんな岩が飛んできていたんだ」と思うと、ゾッとした。

そして今現在、その危険地帯にまだ自分がいることは承知していた。

「噴火するなら、ちょっと待ってて下さい。せめて二ノ池のガレに行くまでは」

そこは丁寧にお願いしながら岩を蹴り上げ、灰を落としながら必死に走った。

走っているとき気がついたが、一ノ池の半分くらいまでは岩は目星をつけなくてもいい間隔で灰のなかに転がっていたが、半分を過ぎると灰を落とすのにいい大きさの岩がなくなってきた。膝まであった灰も脛くらいになった。二ノ池のガレ手前は灰を落とす岩がなく、高下駄のまま走った。二ノ池のガレで身を隠す岩がないか見たが、いいのがなさそうだった。

空を見たら、薄っすら青空も見えてきた。

「噴火終了」そんな希望的観測をした。

一気に、二ノ池本館まで急なガレの斜面を300m弱行こうと決めた。

私は勢いでここまで来てしまったが、稜線で会ったケガをした女性が気になっていた。ヘリがすぐに救助に来るとは思わなかったが、とにかくケガ人がいることと、その場所を伝えたかった。

二ノ池のガレを笛を吹きながら下っていった。早く気づいてほしかった。二ノ池本館は向かって右側のドアが開いていたが、誰も出てこなかった。すでに五の池小屋か石室山荘に向けて避難を開始したあとで、小屋には誰もいないことを察し、二ノ池本館ではなく、ロープウェイ駅につづく黒沢口登山道目指し進路を変えた。二ノ池のガレでは、灰は黒ではなく灰色だった。そして灰の量もくるぶしくらいになっていた。

登山道に出た。誰の足跡もなく「この辺にいた登山者は皆うまく避難できたんだ」と思った。登山道脇の岩陰に隠れ救助要請をしようとしたが、携帯電話の電源を切っていたので電源が入るまで長く感じた。異変がないかお鉢方面を見ていたが、噴石が再び飛んでいる様子はなく異変はなかったと思う。

またセメントのような雨が降ってきた。携帯電話の画面がベタベタになってしまったので救助要請は諦め、とりあえず黒沢口登山道にある覚明堂を目指し登山道を走った。「小屋に行けば遭対無線があるだろう」登山道には灰が薄っすら積もっているだけで道は分かりやすかった。

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この記事に登場する山

長野県 / 御嶽山とその周辺

御嶽山・剣ヶ峰 標高 3,067m

 ♪木曽のなあ、仲乗りさん、木曽の御嶽山はなんじゃらほい、夏でも寒い、よいよいよい♪  哀調を帯びた木曽節に歌い込まれた御嶽山(御岳山)は、富士山、白山とともに信仰の山として知られている。現在でも夏には白衣の御岳講の人たちが、「六根清浄」を唱えながら大勢登っており、『信濃奇勝録』にも「信州一の大山なり、嶽の形大抵浅間に類して、清高これに過ぐ、毎年六月諸人潔斎して登る、福島より十里、全く富士山に登るが如し」と書いてある。  御嶽山黒沢口の登山道沿いには、「何々覚明」と刻まれた石柱が、所狭しと林立しているのが見られるが、江戸末期から明治初めにかけて、毎年何十万人も登ったといわれる御岳講の賑わいぶりが想像される。  この御嶽山は何回もの爆発を繰り返したコニーデ型の複式火山で、1979年(昭和54年)には突然、地獄谷に新しい噴火口を現出させ、日本中をびっくりさせている。また、91年、07年にもごく小規模な噴火をしている。  最高峰は3067mの中央火口丘、剣ヶ峰で、その周りを継子岳(ままこだけ 2859m)、摩利支天山(まりしてんやま 2959m)、継母岳(ままははだけ 2867m)などのピークが外輪山となって取り囲んでいる。  また、これらの峰々の間にはエメラルド色をした、一ノ池から五ノ池まで数えられる山上湖が散在している。なかでも二ノ池は標高2905m、日本で一番高い湖として知られている。これらの池を結んでの池巡りコースも考えられる。  登山コースは信州側から3本、飛騨側から1本の計4本がある。7合目の田ノ原までバスが上がる王滝口は歩行距離も短く、日帰りも可能なので最も登山者が多い。田ノ原から荒々しい地獄谷爆烈火口を眺めながら3時間強で剣ヶ峰に立てる。  御岳山で最も古く、信仰登山のメインルートである黒沢口も6合目までバスが入る。また御岳ロープウェイ・スキー場からロープウェイを利用すれば7合目まで上がることもできる。6合目から4時間30分で剣ヶ峰。  信州側第3のコースである開田(かいだ)口は、標高差も大きく、行程も長いので、開田高原散策と合わせて下山に利用した方がよかろう。西野から登るとなると距離も標高差も大きく、6時間30分で剣ガ峰。  飛騨側唯一の登山道で、標高1900mに湧く濁河(にごりご)温泉がベースとなる飛騨口は、原生林の中の静かな山旅を楽しめる。濁河温泉から5時間30分で剣ガ峰へ。  山頂からの展望は広大で、3つのアルプスや中部、関東一円の山々を見渡すことができる。また遠く加賀の白山も望まれ、日が落ちると名古屋の街の灯が美しい。  2014年(平成26年)9月27日にも噴火し、大きな被害を出したのは記憶に新しい。噴火直後に気象庁は入山を規制する「噴火警戒レベル3」を発表した。2022年7月28日現在、「噴火警戒レベル1(活火山であることに留意)」だが、引き続き火口から概ね500m程度の範囲で立ち入りが禁止されている。

プロフィール

小川さゆり(おがわ・さゆり)

南信州山岳ガイド協会所属の信州登山案内人、日本山岳ガイド協会認定ガイド。中央アルプス、南アルプスが映えるまち、長野県駒ヶ根市生まれ。スノーボードのトレーニングのため山に登り始める。景色もよく、達成感もあり、すぐに山を好きになる。バックカントリースキーに憧れはじめた25 歳のとき、友人が雪崩で命を落とす。山は楽しいだけではない、命と向き合うリスクを痛感する。「山で悲しい思いをしてほしくない」、そんな思いをもって、中央アルプスをメインにガイドしている。山以外では無類の猫好き。

Special Contents

特別インタビューやルポタージュなど、山と溪谷社からの特別コンテンツです。

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